[1158]メディチ家とボッティチェリ

小澤博幸 投稿日:2012/12/15 15:29

会員番号1021小澤博幸と申します。以下のメイルを副島先生に差し上げましたら、お返事をいただきました。『隠されたヨーロッパの血の歴史』はワクワクしながら読みました。これからもよろしくお願いいたします。

副島隆彦様、

会員番号1021小澤博幸と申します。お忙しいところすみません。『隠されたヨーロッパの血の歴史』と関連する文章を発見いたしました。引用が長くなりました。お時間があったらご覧ください。

中村麗(なかむら うらら)著『これだけは知っておきたい「名画の常識」』(小学館101ビジュアル新書V019、2012年4月7日、191頁、1,100円+税)

(54頁から引用開始)
ヴィーナスを生んだメディチの力
ボッティチェリの《春(プリマヴェーラ)》(p49)と《ヴィーナス誕生》(p13)はともに、メディチ家が親族の邸宅に飾るために依頼したとされる絵、つまり私的な用途のために描かれた絵なのだ。
しかし、古代ギリシャ・ローマにおける宗教は多神教であり、彼らの神に対する考え方は、本来、一神教であるキリスト教的な考え方とは相容れないはずである。実際、ルネサンス以前は、ヴィーナスなど古代ギリシャ神話の神々は「異なる宗教」、つまり「異教」の神々として斥けられ、それらを彫刻や絵画の主題にすることは避けられていた。
にもかかわらずボッティチェリが、ヴィーナスをはじめとするこの「異教」の神々を描いたのは、依頼主であるメディチ家が、現世を肯定していた古代ギリシャ・ローマの考え方を主導していたからにほかならない。前述したように、あくまでメディチ家の庇護があったからこそ、アカデミアで古代ギリシャ・ローマ文化の研究がおこなわれていたのであり、メディチ家の人々とアカデミアの思想家およびその取り巻きの知識人たちというごく一部の人々しか、異教の神々についての知識ももちえなかった(ちなみに、ミケランジェロが古代ギリシャ彫刻のような肉体をもったキリスト〔p43〕を描いたのも、修業時代におけるメディチ家庇護下での古代ギリシャ彫刻の研究や、ロレンツォの周囲に集まった知識人との交流から受けた強い影響による)。
 ボッティチェリが《春(プリマヴェーラ)》を描く以前に、メディチ家の指南役であったある哲学者が、そこに登場することになるヴィーナスや三美神を「理想の美」として、絵の依頼主に説明した手紙が現在も残っている。そこからも、メディチ家の要望によって、古代の石棺や浮彫り、当時の画家が描いた古代遺跡の素描集など、あまり多くはなかった資料(p55参照)を手がかりに、ボッティチェリが、身体に対する「肯定的な表現」として、理想化されたギリシャ神話の神々を描き出したことがわかる。
(56頁まで引用終了)

小澤博幸  さまへ

副島隆彦から

メールをありがとうございます。 お久しぶりです。

ボッティチェリの二大作についての、美術の専門家の解説を教えてくださいまして、ありがとうございます。

私は、この程度の鑑賞文では、まったく満足しません。日本の輸入学者たち、というのは、この程度です。多神教と一神教という無意味なコトバを 振り回して、さらには、異教徒というコトバまで使う。ヨーロッパ人に対する、3世紀からの ローマカトリック教会の支配、洗脳というのが、どれぐらい激しいものだっか、そして、それが、1700年間も続いていることをこそ、私たちは、冷やかに見つめて批判しなければいけないのです。そして、それが、そのまま、ヨーロッパ近代 modern以降の丁度、500年間 に、世界中に対して、侵略と抑圧の思想として、広がったのだ、ということも。私のミケランジェロ・メディチ・ルネサンス本を 読んだ以上、小澤さん自身が、もっとしっかりとこのことを自覚してください。私は、日本国内程度の、大半の国内知識人どもの低能ぶりはよく知っていますから、こんな連中には、何の期待もないのです。

この私の文も含めて、重たい掲示板に、ご自身で投稿してください。
今後とも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。

副島隆彦拝