[1115]SBIが「身売り」工作失敗

松尾 雄治 投稿日:2012/10/25 11:33

FACTA Online 2012年11月号から転載します。

(貼り付け始め)
SBIが「身売り」工作失敗

かつての盟友、孫が同席し、北尾がヤフーの宮坂社長に「証券と銀行以外を買ってくれ」。答えはノーだった。

その会合の顔ぶれには、誰しもギョッとするだろう。

一席を設けたのは、本誌が徹底追及を続けてきたSBIホールディングスの総帥、北尾吉孝である。9月上旬、彼のたっての希望で「奇妙な会合」が開かれた。

以前、SBIの中枢にいたことのある人物から、同月半ばに本誌にその情報がもたらされた。何の用件かは事前に知らされていなかった、という

この席には北尾以外にあと3人。ひとりは北尾のかつての“盟友”、ソフトバンク社長の孫正義である。残る2人は、この6月に日本のポータルサイト大手ヤフーの社長になったばかりの宮坂学と、元同社最高幹部の人物だった。

誰よりも北尾が「来てくれ」と懇願したのが孫である。ヤフー会長を兼任し、ソフトバンクはヤフーの筆頭株主でもあるが、それだけではない。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの孫に、1990年代後半に負債に苦しんでいたソフトバンクのために北尾が資金繰りを一手に引き受けた時代を思いだしてもらいたかったに違いない。

「同窓会」で虫のいい提案

ヤフー新社長の宮坂を会合に引っ張り出したのは元最高幹部である。北尾は95年に野村を辞めてソフトバンクに入社したが、この男も翌年、野村の金融法人部からソフトバンクの財務部次長に転籍した。まだ海のものとも山のものともつかなかったソフトバンクを財務、金融で支えたのが北尾だったことを考えれば、ある意味、会合は同窓会のような趣がないわけでもなかった。

それにしても奇異な集まりだ。なぜこのタイミングで、このメンバーが集まらねばならなかったのか。

答えは簡単だった。

北尾にはどうしても会わなければならない相手がいたからだ。かつてのパートナー孫ではなく、ましてや元最高幹部でもない。北尾意中の人物は、44歳の若きヤフー社長、宮坂だったのである。

折り入ってのお願いが北尾にはあった。けれども、自分の子どもほどの年齢の宮坂を前にして、ものを頼むようなへり下った口調ではなかった。

「うちの証券と銀行以外のものを買ってくれないか」

自分のやることに絶対の自信を持ち、人に頭を下げて頼みごとなどできぬ北尾にすれば、ソフトバンクの孫や、それに連なるヤフーの面々は、比較的気安い相手ではあっただろう。だからこそ、わざわざこんな一席を設けたのだ。

しかし、北尾が除外した「証券」とはSBI証券のことだろうし、「銀行」とは三井住友信託銀行と組んだ住信SBIネット銀行のことだろう。

つまり、北尾が常々、「金融コングロマリット」だの「金融帝国」だのと豪語していたグループを、トラの子だけ残してほぼそっくり「ヤフーに買って欲しい」という虫のいい申し出だったのだ。

巨額買収控えて孫は無言

いつか、どこかで見た光景だ。そう、15年前の97年に自主廃業に追い込まれた山一証券の最終局面に似ている。

債務超過にもかかわらず、監査法人とグルになって、ありもしない数字をでっち上げ、それもできなくなると、山一は身売り話をところ構わず必死に持ち歩いた。

見届け人として孫の同席は必須だったのだ。いや、口にこそしなかったものの、孫の口添えを、心の底では大いに期待していたのではないだろうか。

本誌前号(「SBI韓国投資先が騙る『孫のフンドシ』」)でも既報の通り、SBIの投資先である韓国の現代スイス貯蓄銀行は、現地でSBIがソフトバンクの関係会社と混同されていることを最大限に利用している。そして今回も北尾が頼ったのは孫。この奇妙な会合も、孫の同席なくしては成立しなかった。

宮坂は何と答えたのか。

「せっかくですが、うちには必要ないですね」

北尾とは何の接点もない、いわば貸し借りがないだけに、とりつくしまもない即答だった。

かたわらの孫は無言だったようだ。それはそうだろう。孫の頭のなかは、大詰めを迎えていた業界4位の携帯電話会社イー・モバイルの買収交渉、そしてその先には全米第3位の携帯電話会社スプリント・ネクステル、同5位のメトロPCSコミュニケーションズの買収計画が控えていたのだから。全部を合わせれば買収総額は優に2兆円を超す。その壮大な計画で、孫は気もそぞろだったはずだ。

明らかに大した価値もないサプリメントの会社(SBIファーマ)で決算の辻褄を合わせるようなSBIに、今さら興味などあるはずもなかった。宮坂とて、スマートフォンの普及でパソコン向けポータルサイトが苦しくなっているのに、お荷物のSBIなどしょいこむ必然性がない。

情報提供者の語る身売り工作の経緯は詳細だった。ほぼ同時にこれと符合する別の情報が入ってきた。「SBI損保をSBIの人間が持ち歩いている」。持ち歩いている、とは買い手を物色しているという意味だ。北尾自身が証券、銀行を除いたとはいえグループ身売りを画策し、その一方で中核をなす損保会社の売却に奔走する。まさに山一のデジャヴである。
本誌はすぐにヤフー関係者に接触した。すると、この会合が事実であることをあっさりと認めた。そしてヤフー前社長の井上雅博は海外旅行中だったので、会合に出ていないことも確認できた。

明暗を分けた孫と北尾。北尾が孫の大番頭を務めていた時代、SBIの前身であるソフトバンク・インベストメントが97年にソフトバンク・コンテンツファンドを組んだ。このファンドには、モーニングスター日本法人とユーティスターコムという優良銘柄が組み込まれていたが、いつのまにかこの2社の株がソフトバンク本体の組成するベンチャーキャピタルファンドに組み替えられていたことがある。

一口1億円で出資していた投資家たちが怒って抗議の電話が殺到した。孫は「あれはキー(北尾)ちゃんがやったんだ」と言い、北尾は「あれは孫さんの判断」と押しつけ合うばかりで埒が明かなかったという。投資家の中には真剣に訴訟を検討したところもあったが、結局は見送られた。

北尾はかつて“一心同体”だった孫の顔をどんな思いで見つめていたのだろうか。

9月期末にまた無理算段

しかし、感慨にふける暇は北尾にない。すぐに9月中間決算発表がやってくる。9月期末の数字を作らねばならない。北尾が豪語していた「金融コングロマリット」は今や完全な決算操作グループでしかない。

今回はSBI損保がそれだ。

9月28日に第三者割当増資で60億円を調達したかと思えば、10月1日には19・9%(54万株)をウェブクルーに売却を発表。売却価格は16億2千万円だった。

06年以来、SBIがこの損保に投下した資本はおよそ221億円にも及ぶ。19.9%を売却した時点の純資産は約122億円。逆算すれば損保会社の企業価値はたったの65億円に過ぎないことになる。

話はこれだけで終わらない。

SBIは売買契約時にウェブクルーの時価総額の10%を上限として、かつ16億2千万円を上限としてウェブクルー株を株式市場で取得するとなっていたことから、ウェブクルーの買収のおよそ10億円分はSBIが自ら用意したことになる。

時価総額およそ101億円のウェブクルーにすれば、これぐらいの条件でなければ赤字垂れ流しの損保会社を買うことはできなかったのである。

哀れなSBI。こうまでしなければ期末の益出しが、数字上でもできなくなっているのだ。SBIキャピタルソリューションズやSBIジャパンネクスト証券も益出しに使われた。SBIキャピタルソリューションズにいたっては、譲渡先さえ明らかにされないという有り様。本誌が4月号で報じた疑惑のホメオスタイル(現・ナノスタイル)と同じ構図だ。そのホメオスタイルは債務超過に転落。SBIが同社に貸しつけた15億円以上をどう処理するつもりか。

末期癌の様相だ。SBIの生命線は利回りをちょっぴり高くした短期のSBI債だけ。その格付けを維持するために赤字決算だけは何としても食い止めなければならない。10月11日にも1年債を100億円発行したが、主幹事の大和証券も、格付け会社のR&Iも、そして監査法人のトーマツも、いつまでこんな罪つくりを続けるつもりなのだろうか。(敬称略)
(貼り付け終わり)

松尾雄治 拝