[1018]フフホト通信(山東省青島市から)

石井裕之 投稿日:2012/07/20 14:26

山東省青島市から石井裕之がフフホト通信をお送りします。
本日は、「阿修羅」というインターネット投稿サイトに面白い投稿がありましたので、皆さんに御紹介させて頂きたいと思います。
フフホトの情報でも他の地方都市の情報でもございませんが、御付き合い下さいませ。

http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/904.html
↑この記事と、記事に対する色々な方々からの投稿を御覧頂きたいのです。
記事の申すところは、中国人はコツコツ働くよりも投資や投機によって一気に成り上がりたいと思っている、ということです。

実は、中国にもこれらの思想には二つのスタンダードが存在します。
と言いますのも、40歳代後半以上の年齢の人は毛沢東時代の思想を徹底的に刷り込まれておりますから、労働というものに対する意欲すら持ち合わせていないように思われます。この傾向は、実は漢民族ではなく、少数民族に顕著に観られるかもしれません。彼らは如何に毎日酒を飲んで美味い料理を食べるか、このことだけが興味の対象となっているようです。その源泉は「労働」による対価でなくとも良く、言ってみれば「たかり」の類でも一向に構わないのです。

これが30代前後の若者世代になってくると、状況は一変します。
彼らの功名心は非常に強いものがあります。兎に角何でも一番でないと気が済みません。他の人のことは余り気にしません。自分本位と言って良いでしょう。
実は私はこのことを余りネガティブに考えておりません。我々日本人が他人の目を意識し過ぎる余り、逆に萎縮してしまってどのような行動にも出れない状況を観るよりも、実は清々しいとさえ思ってしまうのです。
彼らの興味は只一つ、財を為すことです。
これは間違っても「コツコツ働いて貯金に貯金を重ねて」財を為す訳ではありません。
今の中国には、アメリカンドリームならぬチャイニーズドリームというものが存在します。数年前まで田舎の農民だったのに、石炭の炭鉱を掘り当てた途端に億万長者の仲間入り、等と言うのが一番の例でしょうか。
そのような例が本当に沢山存在するのです。そして、若者は皆「明日は吾身(非常にポジティブな意味での)」として、アンテナを張り巡らせるのです。

さて日本です。
1970年代に象徴される高度経済成長期に、日本は国全体が「工場」と化していました。資源の無い国が付加価値(利益)を得る方法は、加工貿易によって外貨を稼ぐ以外になく、全ての国民がその製品を生産することに「加担」していった時代です。為替相場も日本に有利だったことも手伝って、日本の製品は面白いように海外(主にアメリカ)で消費されていきます。それによって輸出企業は巨万の富を得、そこに働く労働者の所得も倍々ゲームで増えていったのは記憶に新しいところです。
要するに、政策(国歌戦略とでも言いますか)として、日本は国全体が工場になる必要があり、国民は須らく「機械の一部」として働かなくてはならない時代が存在したのです。
と、言いますか、「機械の一部」となることがどれほど素晴らしいかを、教育の分野で我々は洗脳されていたようです。日本に企業家が少ないのは、その弊害と思って間違いないでしょう。

中国の世代間の「労働」に対するギャップ。日本の「労働」に対する思想形成を思うと、全てはそのとき時の国家の思惑によって、我々の思想は絶えず「教育」されているのだと感じざるを得ません。
すると、今の日本に若者を嘆くことも、中国人に「一発逆転型」の思考法を持つ人が多いこをを揶揄することも実は無意味なことですね。
今の世界は、「資本主義」「民主主義」を共通のルールとしてゲームが進められております。今後もこのルールの統一化の方向にどんどん進んでいくのでしょう。
もし私が(あなたが?)ルールを決定出来る権者だとしたら良いのですが、概ねそうではありません。従って、どうあれこのルールの中で、個人としての「最大幸福」を見出さざるをえないのです。
では、その「最大幸福」を得る方法とは?!
これは私にもその答えは判りません。しかし、「大人」の「言われるがママに」、コツコツと真面目に単純作業を繰り返していくことでないことくらいは、判るつもりでおります。

はてさて、皆さんはどうお考えでしょう。