[952]福島本部活動日誌です84

吉見 おさむ 投稿日:2012/04/27 11:06

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

燃えるゴミを出すのを忘れました。

「原発難民ツアー」の計画表を作っていました。

まもなく警戒区域の一部解除が始まるので、少し緊張しています。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120330-OYT1T00963.htm?from=popin

夕食は、ご飯、カレー、アスパラガスとオクラを茹でただけのもの、でした。
カレーが悪くなっていましたが、そのまま食べました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年4月1日の日誌です。

午前6時から、解除された一部の警戒区域を、自転車で見に行きました。
立入禁止になっていた場所には、パトカーが停まっていました。
入れるかどうかを訊いてみた所、入れるが検問所まではかなりの距離がある、と言われました。

途中の歩道は、余り草の除去が済んでいませんでした。

2km程進むと自販機の置いてあるスペースに一台、高崎ナンバーの車が停車していました。そこで男性が着替えをしているように見えました。
なお、自販機は動いていませんでした。

更に3km程進むと、プレハブと簡易トイレの置いてあるスペースがありました。
この3kmの上り坂は、大変厳しい急勾配でした。
(注:4月15日では、昼間はここの手前に検問所が出来ていました)
プレハブの中には防護服のようなものが吊るされていました。


更に500m進むと、新しい検問所がありました。

神奈川県警の警察官に尋ねられたので応答していると
「ああ、3/30に来ていた方ですよね」
と言われました。

帰り道は逆に、非常に急な下り坂でした。
自転車では体温が低くなり、事務所に帰りつくと、すぐに暖房にあたりました。

午後3時から東京に行く準備をし始めました。
どうしても必要なものがありました。

午後4時35分のバスで船引に行き、駅前の休憩所で夕食としてカップ麺を食べました。
そこから、磐越東線、東北本線、京浜東北線の順で利用し、秋葉原駅に行きました。
秋葉原駅に到着したのは、午後11時30分頃でした。
その後、ネットカフェに入って休みました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年4月2日の日誌です。

午前8時に秋葉原のネットカフェを出ました。
駅前には、夜にZさんと見る約束をしているアニメ映画(正しくは、TVシリーズの劇場版)の広告がありました。
(上級者向けですので、一般人は観に行かない方がいいです・・・。)

ある大学に一寸だけ用事があったので、寄らざるを得ませんでした。
途中の渋谷駅付近で、放射線測定器の広告看板がありました。それ以外は、東日本大震災以前と全く変わらない東京の日常に思えました。
大学に着くと、丁度、大学の入学式が行われていました。これを奇貨として(汗)、原発や地震関連の変化があるかを回って見てみたのですが、何もありませんでした。
(中田先生は早稲田大学によく行かれるらしいですが、早稲田大学はボランティアサークルなどが増えたりとかしているのでしょうか?)
壁にはサークル勧誘のビラが貼ってあったのですが、私には「そっち系」のサークルが作ったビラしか目に入らず、変化に気づくことはできませんでした。


長島昭久議員が以前いたと思われる応援指導部のチラシもありました。

なお、今日の夜に見るアニメを専門にしたサークルのビラがありました。感動しました。

午後1時までに用事を済ませた後、秋葉原に戻り、暫く時間を潰しました。
戻る途中、渋谷の売店に「重慶式麻婆豆腐」という商品があったので、薄熙来の一件を思い出し、衝動買いしてしまいました。

ソフマップの店内の広告には、進研ゼミの漫画をネタにしたものがありました。

(元ネタは、http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51613385.htmlの<“http://livedoor.blogimg.jp/goldennews/imgs/3/a/3a6dc4d7.png”>です)

午後6時40分、Zさんと水道橋駅のホームで合流しました。同人誌を差し上げました。
池袋に到着後、高島屋の一部スペースで、秋葉原駅の駅ビルで買ってきた弁当で夕食にしました。

映画館で、『チャイナナイン』について訊いてみた所、110ページと111ページにある、団派の人材がどのように地方に配置されているかの表は、Zさんが作成したそうです。
と言いますか、Zさん自身は政治に殆ど興味がないが、大学時代の友人でとても詳しい人がいて、その人が勝手に教えてくれていた、そうです。
映画の上映前に
「中国には、このアニメに登場するキャラのモデルになったような、空戦パイロットのエースはいなかった?」
と訊いてみたところ
「中国では当時、軍隊と言えば陸軍だった。それに、当時の中国では飛行機の整備等ができなかっただろう」
と言っていました。
(後でチャイナナインを見たら、333ページに「しかし蒋介石・国民党側が「飛虎隊」(フライング・タイガー)という強烈な空軍を持っているのに対し、人民解放軍側は、ほぼゼロに等しかった。」とありました。)

映画は、ネットで俗に言う「儲」(←信者という意味です)である私に冷静な判断が出来るはずもありませんでした。
とりあえず、菅野直がモデルとなったキャラが一瞬だけでも出て来て、感激しました。

秋葉原に帰る電車の中で、ちょっと変わった広告を見かけました・・・。

秋葉原に到着後、駅でZさんと別れて、ネットカフェに向かいました。
途中のコンビニで、amazonで注文した商品の料金を振り込みました。2700円でした。
秋葉原には、今日見た映画の広告が二箇所にありました。

センスのある交通標識の落書きもありました。

午後11時、ネットカフェに入りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年4月3日の日誌です。
(おそらくは、この暴風の日に、外風呂の屋根が飛ばされてしまったのだと思います。)

午後9時にネットカフェを出て、もう一度大学に行ってみました。
何とか原発や震災関連の写真を撮れないか、生協等も回る等、粘ってみました。
しかし、何もありませんでした。
あったのはサークルの勧誘をしている人達と新入生の姿ばかりでした。


(SOS団という、こっち系のサークルの人が東方(という同人ゲームの)コスプレをして勧誘をしていました。)

昼食は駅前のオムライス屋にあった、巨大なオムライスでした。自棄食いしました。

全く目立った写真が撮れないまま、気落ちしつつ、正午から、いわき経由で都路に戻ってみようとしました。
ところが午後から暴風雨になり、いわき駅へはとても行けなさそうでした。
仕方が無いので、秋葉原駅に戻りました。今日もここで過すしかないと思いました。
ソフマップのエロゲ売り場を徘徊して時間を潰すしかありませんでした。
そのうちに、テンションが戻ってきました。目星をつけていたエロゲは安くなっていなかったので、手が出ませんでしたが、どこか満足でした。
(これは秋葉原セラピーというのでしょうか?)
その後も上機嫌のまま、とらのあなやアニメイトを回っていました。

午後11時、ファミレスに居たところ、店員から
「今日は暴風の影響があるので、まもなく閉店させて下さい」
と言われました。
止むを得ず、店を出ました。

4月4日午前0時、ネットカフェに泊まりました。

(転載終わり)