[919]2012年3月1日号の 週刊文春の 「 郡山 4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」の記事

大内なんでかな 投稿日:2012/03/21 00:48

(転載貼り付け始め)

郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い!衝撃スクープ 

福島からの避難民11人に深刻な異常が見つかった

医学的にありえないしこりと嚢胞・・・。
山下俊一福島医大副学長は「検査するな」とメールを

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福島から北海道に避難してきた児童2人の甲状腺から「がんの疑い」のある深刻な異常が見つかった。他の子供たちは大丈夫か?福島第一原発の爆発事故の影響は? 
しかし、学会では検査を控えるようにとの指示が回されていた__。この事実から目をそむけてはならない!

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自由報道協会理事
 おしどりマコと本誌取材班

「今までにこんな例は見たことがありません」
超音波の画像を診た医師はそうつぶやいたという。
 7歳女児(検査当時・以下同)の小さな喉にある甲状腺に、八ミリの結節(しこり)が、微細な石灰化を伴って見られたのだ。
「児童にはほとんどないことですが、がん細胞に近い。二次検査が必要です」
 呆然(ぼうぜん)とする母親。だがショックはそれだけに留まらなかった。「二歳の妹さんにも、二ミリの石灰化したものが見られますね」__。
           
         *

「北海道に自主避難している親子の中で、甲状腺に異常が見つかった。幼い子供が数人いる。すぐに来てほしい」
 そんな電話が入ったのは一月二十五日の晩のことだ。
 聞けば、昨年末から、福島第一原発事故を受けて札幌に避難をしている親子参百九名(子供百三十九名、大人百七十名)を対象に、地元の内科医がボランティアで甲状腺の超音波(エコー)検査を行っているという。
「4歳児で十ミリと四ミリの結節がある子がいる。郡山から来た七歳の女の子や、その他にも異常が出ている。みんな、福島からの自主避難者だ」

チェルノブイリ事故後に激増 

 小児甲状腺がんは、チェルノブイリ原発事故で唯一公式に認められた被曝による健康被害だ。
 事故から十年後の一九九六年、オーストリアのウィーンで開かれたIAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)、EU(欧州連合)の三者による合同国際会議において「原発事故と因果関係が明らかである」と総括された。
旧ソ連のベラルーシでは、事故までの十年間に甲状腺がんが見つかった子どもは七人。事故後はその数が五百八人に上っている。
それでも札幌からの報告を受けたとき、私の中ではまだ半信半疑の気持ちが強かった。
 奇しくもその日、福島県で第五回「県民健康管理調査検討委員会」(以下、検討委員会)が行なわれ、一八歳以下の甲状腺エコー検査の結果が発表された。
それによると、福島では五・一ミリ以上の結節および二十・一ミリ以上の嚢胞(のうほう)が、三千七百六十五人中二十六人に見つかったが「全て良性」されていたからだ。
 福島県立医大の鈴木眞一教授も会見で、
「二十六名はいずれも六歳以上。五ミリ以上の結節、二十ミリ以上の嚢胞が五歳以下で見つかることはありえない」 
 と明言していた。
 それに甲状腺がんは通常、進行が非常に遅いはずだ。旧ソ連においても発症が確認され出したのは事故の約四年後のことだった。何かの間違いでは__。
 だがそんな思いは、事実の前にあっさり裏切られた。

娘二人に異常が見つかり・・・

 札幌で甲状腺エコー検査を実施した内科医が言う。
「しこりのあった七歳女児と四歳男児の二人に加え、十九歳以上の『大人』九人の計十一人に、甲状腺がんの疑いがありました。うち成人女性一人は既に甲状腺がんが確定、切除手術を行なうことも決まっています。
いくら『五歳以下で五ミリ以上の結節ができることはない』と言われても、今回検査をして、これが出たことは事実です」
 甲状腺は成長に関するホルモンを分泌する。大人は急激な被曝の影響を考えにくく、放射線に対する感受性の強い子供の方に影響が出やすいのだ。いびつな形の嚢胞が見つかった例もあった。
 ちなみに札幌の甲状腺エコー検査は、福島での検査と同じ方法で実施された。
 この内科医は、知り合いの甲状腺専門医を通じ、「検討委員会」座長でもある山下俊一・福島県立医大副学長と連絡を取り合い、福島におけるエコー検査の手法を確認した。しかし、山下副学長は「独自の検査は遠慮してください」とも付け加えていたという。
「自費で技師を二人雇い、甲状腺専門医と一緒に、三日間に分けて約百人ずつ検査を行いました。最初は、まさかこんな結果が出るとは思わなかった」(同前)
 甲状腺学会員が解説する。
「甲状腺がん自体は、命に別状のある病気ではありません。しかしサイズが大きい場合や患部がリンパ節に近い場合、転移すれば命を失う危険もあるため、切除する必要があります」
 気になるのは、今回深刻な所見が出た四歳男児、七歳女児の二人がともに、福島県から避難しているという点だ。女児の二歳の妹にも、がんの疑いはないものの、小さな石灰化したものが見られた。
「石灰化も時間をかけて非常にゆっくり進行するものなので、幼児にみられることは極めて稀です。
 私は年間に二千人ほど甲状腺の手術を行いますが、しこり自体、小学校に上がる前にできる可能性はほとんどない」(同前)
子供たちはいずれも原発事故の後、三ヵ月以上、福島で暮らしていたという。
 私は今年の二月十一日にトークショーのため郡山市を訪れたが、いまだに、室内でも毎時一・八マイクロシーベルトの値を計測していた。郡山は計画的避難区域以外で、最も空間放射線量が高い町の一つとして知られている。
 姉妹の母親、坂本舞子さん(仮名)が語る。
「私たちが札幌に自主避難してきたのは去年の六月。郡山では正しい情報が入って来なかったんです。原発事故の後、『避難する』と言うと、学校のお母さん方からは『気にしすぎじゃない?』とも言われました」
 坂本さんは、避難が元で離婚を余儀無くさせられた。「初めのころ、外気が入ってこないように家の戸締まりをして、窓枠にテープを貼っていたら、主人に『周り見ても、こんな事やってる家ないだろ!』と。
でも私は周りは周りだと思っていたし、二歳の娘を仕方なく外に出すときは、ジャンパーにくるんでなるべく空気を吸わせないようにしていました。
 納得しない夫を置いて札幌に避難すると、親戚中から責められました。今回、子供たちの甲状腺にしこりが見つかった話を、福島の友達にすると、『そうならないために避難したのに、バカみたいだね』と言われます。
一方、先に避難した親友からは『だから早く避難しろって言ったのに、自業自得だよ』って・・・・・・・。本当に辛くて、長女と二人でずっと泣いていました」
 なおも坂本さんを不安にさせるのは、エコー診断後の二次検査の結果だ。七歳の長女の甲状腺にできたしこりと腫瘍は、他の子供に先立って二月中旬に行われた血液検査の結果「良性」と診断され、細胞組織を検査する「細胞診」は必要ない、とされた。しかし、
「エコー診断で異常が認められた場合、血液検査はあくまで参考値に過ぎない。通常は、細胞診を行わなければ、がんであるかどうか判定はできません。また細胞診自体は予防接種程度の負担で出来るもので、幼児に実施しても問題はありません」(甲状腺専門医)
 また、「良性」であったとしても、将来に深刻な不安が残るという。
「たとえ良性であっても、ウチの子みたいにしこりがあると、将来、がん化する可能性がある、と医師から聞かされました。小児甲状腺がんは非常に珍しくて、データがないんだそうです。 
 診てもらった北海道大学の先生も、今までに十四歳未満でがんになった子供を二回しか診たことがなく、『いつ、がんになるかわからない』と。でも、しこりを切除手術してしまうと、今度は一生ホルモン剤を飲み続けないといけなくなるというのです。
だから今は下の子も含めて、経過を観察するしかないんですが・・・・・・」(坂本さん)
 
〈追加検査は必要がない〉!?

 では、やはり「良性」と判断されたものの、しこりや嚢胞が発見されている福島県で検査を受けた二十六人は、本当に「安全」と言い切れるのだろうか。
 現在、福島県が行っている甲状腺検診は、原発事故当時、十八歳以下だった全福島県民を対象に、三年間をかけて一巡目の検査を行う事業である(その後、時間をおいて追跡調査を行う必要がある)。
実施するのは「検討委員会」の山下座長が副学長を務める福島県立医大だ。
原発事故後数年間の甲状腺被爆データを得られる、この調査には、非常に大きな意義があるのも事実だ。
「チェルノブイリでも、事故後五年間、被曝者のまとまった検診データは皆無でした。事故から五年後、日本の笹川財団が三十五億円をかけて調査団を派遣。ようやく住民の甲状腺の組織的な検診活動が始まったのです」(前出・甲状腺専門医) 
 山下氏も当時、同調査に加わっていた。その「チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト」の総括には、調査の遅れを悔やむような一文がある。
「重要なのは事故直後の放射線被曝がどの程度であったかを調査すること」(「放射線科学九九年十一月号)
 にもかかわらず、今回の福島県での調査では、原発事故直後に、住民の内部被曝の調査は行われなかった。
 山下氏は、チェルノブイリでの経験を忘れてしまったのだろうか。
 内部被曝の調査において、事故直後の測定に次いで有効なのが、現在、行われている小児甲状腺エコー検査である。しかし、ここでも専門家から取組みの遅れが指摘されている。
 福島の調査は、事故から三年をかけて一巡目が行われるというが、
「動物実験のレベルでは、被曝しても一年で発がんすることはない、という結果が出ています。
しかし、チェルノブイリで事故直後のデータをフォローしていない以上、放射線に対して感受性の高い一歳や二歳の子どもが、事故から一~二年後まで受診出来なくても大丈夫だと言いきれるかは疑問。
子どもたちや保護者などの不安を軽減させるためにも、早期検査が望ましいことは言うまでもありません」(甲状腺学会関係者)
 しかも、福島では甲状腺エコー検診を受けても、エコー写真を見せてもらうこともできない。子供たちの健康を守り、不安を取り除くよりは、研究データの収集に重点が置かれている気がしてならない。 
 さらに問題なのは、福島県内ではセカンドオピニオンを仰ぐことすら困難であることである。しかも、それは、座長である山下氏自ら「検査を受けないよう」働きかけているためなのだ。
 一月十六日、山下氏は全国の日本甲状腺学会員宛てに、次のようなメールを送った。
〈一次の超音波検査で(中略)五mm以下の結節や二十mm以下の嚢胞を有する所見者は、細胞診などの精査や治療の対象にはならないものと判定しています。先生方にも、この結果に対して、保護者の皆様から問い合わせやご相談が少なからずあろうかと存じます。
どうか、次回の検査を受けるまでの間に自覚症状等が出現しない限り、追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます〉
 
従来の常識が通じない可能性も

 つまり、いま甲状腺にある程度の異常が見られたとしても、"一巡目"が終わるまでの二年間は追加検査を受け付けるなというのである。実際、福島県内で追加の甲状腺検査をしようとしても、「福島県立医大に行け」と門前払いされるケースも出ているという。
 坂本さんがこんな疑問を投げかける。
「二年間待たされている間に、がん化したらどうするんでしょう?ウチの下の子は二歳で、いまは良性だけど、北海道大学病院では、どう急変するかわからないから半年ごとに診察しよう、と言われました。福島ではこういう診察が受けられないということですよね」
 別の甲状腺専門医もこう警鐘を鳴らす。 
「従来の理論では、一~二年ですぐに嚢胞やしこりは大きくならないかもしれない。しかし、あくまでそれは『これまで普段見てきたもの』を基準にした場合です。原発事故が起こった今、『今まで見たことがないもの』を見ている可能性がある。従来の基準が絶対とはいえないのでは。
 ただ、むやみに危険をあおり、安易に異常部分を切除してしまうのもいけません。甲状腺を摘出すれば、ホルモン剤を飲み続けなければいけないことに加え、不慣れな医師による手術で声帯に傷がつき、声が嗄(か)れてしまうケースもあります」
 大切なことは、セカンドオピニオンをとり、甲状腺の状態を小まめにフォローしておくことだ。
 その意味で、はたして個人の受診機会に制限を設ける福島県のやり方は正しいと言えるのか。
 郡山市で講演を行なっていた山下氏を直撃した。

__福島から札幌に避難している四歳の男の子に十ミリと四ミリの結節、七歳の女の子に八ミリの結節が見つかりました。

「それは、画像見ないといかんな。今出たっていうこと?」
__はい。

「それは、ある一定の頻度で出るということでしょうね。何万人に一人という」

__約百四十人のうち二人なのですが。

「データを見ないとわからない」
__三年かけて検診している間に、受診を待たされて甲状腺がんが見過ごされるような小児が出た場合、責任をどう取られるのですか。

「よくわからない。責任という言葉は問題です。おかしな発言ですね、今のは」

__追加検査を控えるよう、メールも出していますね。

「はい。学会のホームページにも載っていますよ」

前出の札幌の内科医は、こう訴える。
「今までに我々が蓄積した広島や長崎やチェルノブイリの知識からは想像がつかないことが起こっている可能性がある。従来の常識から外れるからありえない、と決めつけるのではなく、今いる子供たちの事実から物事を考えたい。医者の真実は患者の側にある。
甲状腺エコーは一日でも早く行なったほうがいい」
 坂本さんも言う。
「私の子は二人とも女の子です。この子たちが無事でも、次に生まれてくる子供たちの事まで考えないといけない。この子たちを守るのも自分の役目だけど、その後の将来も守ってあげなきゃって思った時に、避難する決心がついたんです」
 今、求められるのは、現実を直視する勇気である。

(転載貼り付け終わり)