[893]李白社のCDの一部を聞いた感想とまとめたこと

加地 龍太 投稿日:2012/02/24 22:05

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番 
加地 龍太(かじ りょうた)です。

以下「~だ。~である。」調にて、李白社が出した「日中殴り合い対談 副島隆彦vs石平」という三枚組みCDの第1部と第2部を聞いた感想と、簡単にまとめたことを記載します。

~日中殴り合い対談を聞いた感想と、簡単にまとめたこと~

第1部
~NHKが伊藤博文を主人公にした大河ドラマを作らない理由~

伊藤博文の歴史を洗ってゆくと必ず大英帝国の姿がちらつき、「幕末の真相」や明治維新後の明治日本が大英帝国の属国として機能していたという事実が明らかになってしまうからだという。
阿片戦争を主導したのはイギリス・ロスチャイルド家の直系企業であるジャーディン・マセソン商会である。

~日露戦争~

日露戦争のとき、ロシア帝国のバルチック艦隊はアフリカの喜望峰を通りインド洋を通過して日本の東郷艦隊の所へ向かった。その道程で、バルチック艦隊は大英帝国による妨害工作に合っている。大英帝国は、自国の属国だった清国(中国)の上海にバルチック艦隊を入港させず、石炭を積ませないという妨害工作をした。
バルチック艦隊は、東郷艦隊とぶつかるまでの間に、上記のような大英帝国の妨害工作により戦闘能力を削減されていたのである。
日本が日露戦争に勝利できたのは、大英帝国の後ろ楯があったからだ。
この当時、日本とイギリスは日英同盟を締結している。
日露戦争のときに日本に資金を提供したのは、イギリスのユダヤ資本家たち(ロスチャイルド家やジェイコブ・シフなど)である。
さらに!東郷艦隊には、その当時 世界最強の軍事力を誇っていた大英帝国の海軍の大佐クラスの人間たち4人が乗り込んでいた。(この4人は名前が割れているようだ。)
東郷艦隊を実際に指揮していたのは、その4人のイギリス人将校たちであり、東郷平八郎や秋山真之ではない。

~阿片戦争から中国知識人たちの心根に巣食った西洋に対する劣等感~

ジャーディン・マセソン商会が主導した阿片戦争(1840~1842)によって、中国こそが世界の中心であり、最も優れた国だという中華思想に傷を付けられ、中国の権力者や知識人たちは西洋に対する劣等感(インフェリオリティ・コンプレックス)と恨みを植えつけられたようだ。
それが現在の中国の知識人たちの頭の中にもあり、西洋よりも自分たちが上に立ってやるという考えの根っこになっている。
2011年に騒がれ出し、現在も騒がれているヨーロッパ債務危機の問題で、EUが中国に
「資金援助を求めた」という事実が中国人たちを歓喜させた。

第2部
~鄧小平の「先富論」に基づく改革開放政策~

1978年から鄧小平が実行した改革開放政策により中国人は豊かになった。
政治家にとって最も重要なのは「経世済民(経済)」である。
経世済民とは、「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」である。
極論すれば、「国民の経済生活を守ること=国民を飢えさせないこと」である。
国民を飢えさせないことが政治家にとって最も重要なことである。(小室直樹先生 著作「日本いまだ近代国家に非ず」 参照)

鄧小平は上記の「経世済民」を敢行した立派な政治家だったようである。
彼が唱えた「先富論」は、「実力のある人間(商才のある人間)がまず金儲けをして豊かになり、自分の生活に余裕が出来たら周囲の人間を援助せよ。」という考えであるそうだ。(副島隆彦先生 著作「中国は世界恐慌を乗り越える」 参照)
その「先富論」に基づき、改革開放政策を敢行して中国人を豊かにするきっかけを作った鄧小平が優れた政治家である。
尤も、鄧小平は政治家として中国国民が豊かになる「きっかけ」を作ったに過ぎず、中国が豊かになったのは自助努力をして運を掴んだ中国の実業家たちの功績であろう。

             
 ~日本の輸出大企業群~

日本の輸出大企業1200社(例:トヨタ自動車、パナソニックetc)は、中国(他にはインドなど)の市場(マーケット)で実益を出さなければ経営が成り立たなくなっているようである。最悪は経営破綻、良くても大規模リストラをしなければならない現状であるという。「経済規模が大きければ良い」という考えは、今後は消滅してゆくかもしれない。
私は、自分と自分の身内が平穏に生活できればそれ以上のことはないと思っている。

             

~岡田英弘氏と日本史の秘史~

岡田英弘氏は東京外国語大学名誉教授であり、東洋文庫専任研究員である。
この岡田氏の「日本史の誕生」という本が重要な本のようである。
「日本史の誕生」によると、日本史が始まったときから中国の漢帝国の商人たちが日本に来て諸々の商売をしていたという。
卑弥呼も中国人であり、邪馬台国は最初は下関で誕生し、上海と貿易して豊かになった国だという。上海から東に線を引いていけば下関にぶつかる。その後、200年の間に邪馬台国は下関から京都・奈良へ移ったのだそうだ。

~宮内庁と東京大学が隠し持っている資料~

宮内庁と東京大学が隠し持っている歴史資料があるという。この資料によれば、豊臣秀吉が朝鮮に侵略戦争を仕掛けたとき、当時 朝鮮国の宗主国であった大明帝国の使者が日本に派遣されてきていて、豊臣秀吉の家来である加藤清正たちと密書で契約したという。
その契約とは、「豊臣秀吉」を大明帝国の属国・日本の「国王」として認める、という内容だったようである。
徳川家康も、中国の皇帝から属国・日本の「国王」としての認可を貰っていたという。(副島隆彦先生 著作「改訂版 属国・日本論」 参照)

やはり、「政治力学(現実の国際関係は、各国の軍事力で決まるということ)」の観点から、
日本はいつの時代も、その当時の世界帝国の属国であったのだろうと考えるのが自然だ。

第3部の感想と簡単にまとめたことは後日に書かせていただきます。

何かご意見がある方は私のアドレスにメールを下さい。宜しくお願いします。

加地 龍太 拝