[883]反体制・反権力の人間=自分の脳で思考する人間

加地 龍太 投稿日:2012/02/17 01:45

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて、自分の脳で物事を思考する人間について論じます。

リバータリアン派の頭目とされるロナルド・アーネスト・ロン・ポール氏の著作「THE REVOLUTION A MANIFESTO」の翻訳本である「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」(佐藤研一朗さん著作)の中の一節に「一度 物事が制度化されると、人々はそれを疑問に思う能力を失う。」という言葉がある。
私はまったくもってこの通りだと思う。どこの国のどこの国民も、大半は制度を制定する権限を持っている体制側=権力者側の決めた制度を無条件に正義(正しい道理)であると判断して生きている。
なぜならば、恐らくそっちの方が楽に生きられるからであろう。
自分の脳髄で思考して物事を考えなくても、体制側の決めたルールに従順に従って生きていれば普通に平穏な生活は営める、ということに今まではなっていた。
皆、自分が楽を出来ればそれが一番良いと思ってしまうのであろう。

だからこそ、自分の脳で物事を思考して生きてゆく聡明な人間たちはいつも酷い目にあって生きてきたのである。
約150年前のアンブローズ・ビアス氏や、現代の小室直樹先生や副島隆彦先生のような真実派言論人たちは体制側に「悪魔」と罵られるようである。
そして、自分の脳で物事を思考するということを知らない白痴(はくち)たちは、体制側=権力者側が「悪魔」だと決定した人物たち(真実は国家のために非常に有益な人間たち)のことを「悪人」だと決め付ける。

これは、現在の「日本国王・小沢一郎」についても同じことが言える。
アメリカ帝国の手先をしている大手マスコミ(体制側)の報道によって、「小沢一郎は日本国に取っての害悪だ」などと思い込まされて日々を生きている日本国民たちがあまりにも多すぎる。
この日本国民たちは、読売新聞社の主筆「渡邉恒雄氏」と元首相「中曽根康弘氏」がヘンリー・キッシンジャーに教育・使役されて日本国内に「ポピュリズム」という言葉の意味を歪めて浸透させた、という事実すら知らない。
いや、知ろうとすらしていない。
ただ、大学などの学び舎で日々繰り返されている「念仏授業」に出席して、ペーパーテストで「俺は何点だった。私は何点だった。アンタは何点だった。」などという念仏を延々と繰り返している。悪いが、小さな人たちだ、としか思えない。

私、加地龍太には何の権威も権限もない。ただ、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」に基づき、人間一匹で吼えることくらいは出来る。
如何なる権威的団体に対しても、無礼も失礼もはっきり言って顧みる気などない。
権威というのは、専ら形而上的なものであり、形而下的にはただのハリボテに過ぎない。そして、私は形而下的世界=現実世界に身を置いている生者である。

加地龍太には、玉座=権威に対する礼はなく、実力の伴った真実派人間(体制側からは悪魔と罵られる運命にある人間)にのみ、ひれ伏す用意がある。

何かご意見がありましたら、私のアドレスにメールを送って下さい。宜しくお願いします。

加地 龍太 拝