[878]最近の重掲を読んで思った事を徒然に
皆様こんにちは。
会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。
SPECTRUM.REVOという、現実を斜に眺める若者と数人連れ立って、
東京でイベントやってます。http://sperevo.blog69.fc2.com/
さて、私はつい最近まで、福岡の実家でフラフラしておりました。
40日間ほどはいたのではないかと思います。
地元の友人と会い、酒を飲み、たまに女の子にちょっかいかけていました。
そんな事してるあいだに40日間が経過し、誕生日を迎え26歳になり、慌てて東京に戻ってまいりました。
実家で懐かしい作品を読みました。
太宰の『女生徒』やら
三島の『海と夕焼け』やら
私は少年時代から詩や文学を愛好していました。
日本文学は短編がいいですね。
詩とか短編に、日本語はよく適している気がします。
私は日本語以外を使えないので、本質的には理解していないでしょうが
副島先生方がおっしゃる、日本語は学問にむかない、というのは何となくわかる気がします。
日本語は、どこかゆらりとしていて流動的です。
私自身、論文めいたものを書くときには、論理性に難渋します。
アフォリズムめいたものや例えを使うと記述が、はかどります。
まあこれは、日本語のせいなのか、私自身に論理性が欠如しているのか定かではありませんが。
重掲で話題になっている司馬遼太郎
実は、私も中学生の頃、激しく影響を受けました。
英雄、というものに自分の人生を投影しました。
学校教育に退屈さをおぼえていた事も重なり
家出してそのまま旅に出て、ホームレスのおっちゃんと一晩語り明かしたりしましたね。夜はすごく寒かった。けれど、胸のうちには竜馬や秋山兄弟がいました。自分の人生を照らしてくれるように思いました。
で、私は今もその延長上を生きてます。
その頃に芽生えた憧れとか志とかは、今も私の生きる意味です。
ただ、司馬遼太郎はもう卒業しています。
どういう事かというと
世間があまりにも、竜馬だなんだというので、私は嫌になってしまったんですね。
世間で司馬遼太郎の名前を聴けば聴くほど、私は司馬遼太郎から遠ざかっていきました。
いま私は、司馬遼太郎を神話作家だと思っています。
たとえばグレートゲームの視野も彼にはないですし。
リアルを書いていない、だから、学問や歴史の把握にはなりえない。
ただ、だからといって、司馬遼太郎を性悪の改竄作家だというふうにも思えません。
たぶん、純粋だったんじゃないかと思っています。
あれだけの量の創作は、純粋な情熱、創作欲に裏打ちされてないとやれるものじゃない
どのページか定かではありませんが
『世に棲む日日』にて
少年時の高杉を指して『たまに、精神や頭脳の働きが異常に活発な子供がいる』とか
『もう少し後の時代に生まれたならば、高杉は早稲田の文学部にでもいって創作していたことだろう』とかいう記述を読んだとき
私は、司馬遼太郎もまた、英雄というものに憧れ、己を投影してるんだな、いつまでも子供みたいな人だな、と感じた記憶があります。
司馬遼太郎は純粋なんですよ。
ただ、知性が追いつかずに、自分が何をやってるのかわからなかった人間なんじゃないか、と
これは小泉元首相とかも一緒で
おそらく本人は純粋な使命感をもって邁進したんじゃないかと思います。
ただ、知性が追いつかず自分が何をやってるかわからず
結局、副島先生方に指弾される存在にしかなりえなかったんだろうな、と。
厄介ですね。世界は善悪二元論ではない。
我々が闘わなければならない相手は、純粋なるものなのだと。
純粋なるものを利用する金持ち連中を、いずれ公衆の面前に引きずり出せればいいな、と思っております。
橋下徹さんなんかも、使命感に燃えているんでしょう。
純粋で正義感に燃えている人だと思います。
革命が必要なのはその通りです。
ただ、知性が追いついていないんでしょう。
加地龍太様。
私も、『21世紀に生きる君たちへ』を読み
自分にあてた手紙だと感じて、涙がとまらなかった記憶があります。
純粋性を糧に、ここ学問道場で知性を磨けばいいと思います。
私は、そのつもりです。
私が今回書きたかった内容は以上です。
あ、最後に革命ついでに
小沢一郎さんについて思っている事も付け足します。
次世代育てたり、国家間の取引にしろ、発言内容にしても、非常に正当性があって素晴らしいと思います。
が、フロントマンとしてはどうかと思っています。
ポスターにしてもなんにしろ、あんな笑顔はやめた方がいいと思います。
悪漢と思われているのなら、むしろ堂々と人間世界の汚さを主張して、いっそ悪漢として振舞えば一種の人気も出るんじゃないかと思っています。
小沢さんを見ていると、女の扱い下手そうだな、と感じます。
男は女を口説く中で修行するもんだ。
ということで
私は明日、好きな女の子に電話します。
松村享 拝