[615]福島から報告します5
原発事故発生当時読んでいた新聞で、保存していた記事を眺めてみたら、3月26日~28日は余り記事の更新がなかったです。ひょっとしたら、このころに、ピアソンは「原発は大丈夫だ」って情報が入ってきたのでしょうか。
以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月26日の日誌です。
今日は雨の影響もあり、気温の日較差を体感する一日でした。
体温調節のために、家から持ってきた薄がけの布団を利用しています。
午前7時半にYさんと男性一人が来ました。小さなテレビを持ってきてくれました。
午前8時半に古道小学校前に集合されるというので、2人はすぐに車に乗りました。お茶も出せませんでした。
正午に会員のNさんが、いわき市から来ました。いわき市で会社を経営しているそうです。そして地震の影響は大きいそうです。
松原照子のサイト、幸福への近道(http://shohweb.com/)について言及し、「6月25日の『デビル』とはガイトナーのことではないか」と言っていました。
午後3時に会員のIさんたち4人が来ました。
Iさん達は気を使ってはいたのですが、それでも作業用靴についた土がカーペットに入ってきてしまいました。
帰った後の土の掃除に手間取りました。それでもここに来て貰えて有難かったです。
今日はずっと警視庁のパトカーが行きかっていました。
午後7時にKさんの知り合いというYさんご夫妻が来ました。浪江町への一時帰宅の人で、会員ではないと言っていました。
「よくわからないけど、とりあえず場所を確認しに来てみたんですが・・・」と言っていました。
学問道場の説明をしてみましたが、わかってもらえたかどうか微妙なところです。
頂いたラスクは先生がとても気に入っていました。
福島復興本部を訪れた人たちと、共通して話題になったのは、「福島の大きな地図と原発からの距離」、「防護服」、「武田邦彦とのケンカ対談」、「検問所」でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月27日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを捨てに行きました。検問所がゴミ捨て場前まで来ていました。
「ゴミ捨てですか?」と声をかけられました。
午後は、船引までの23キロを自転車で行ってみました。大変ですが、雨でもなんとか往復可能です。
但し、片道2時間かかること、高低差が大きいこと、288号線には信号が殆ど無いので休憩が取れないこと、等を考えると、余り良い移動手段ではありません。
途中に郵便局が2つありました。都路もそうなのですが、住民が避難していても、郵便局はやっています。
郵便局は、こんなとき「だからこそ」やっているのかもしれないと思いました。
帰りは福島交通の路線バスと同じ経路(http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/map/03ono_02.html)で、旧街道を帰ってみました。
高低差は小さいのですが、人気の少ない怖い道でした。普通に288号線を直進した方がよかったです。
午後9時に、水道が止まっているのに気付きました。
明日、急いで問い合わせます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月28日の日誌です。
今日は、夜が18度、昼が32度でした。体温調節が難しいです。
水道はとりあえず復旧しました。明日、都路行政局へ行って説明を受けます。
掃除機を少しだけかけました。
布団を干そうと思ったのですが、突然雨が降ることが多く、断念しました。
外のトイレにブラシをかけました。トイレの便器自体はまだです。
午後4時半に、副島先生とTさんが着ました。
Tさんが無線LANの設定を訂正してくれました。ダイヤルアップ無しで自動的にネットに繋がるようになりました。
その他、先生の原稿へのペン入れを、画像データにして出版社に送信してもらいました。
有難うございました。
船引に、買出しと食事に行きました。
スーパーで食料を積み込んだ後、扇風機と洗濯機を購入しました。
洗濯機の到着は少し遅れます。
食事はかっぱ寿司で食べました。3人で3255円でした。
Iさんと行った時のように、満員で待ち時間がかかるほどではありませんでした。
それでも普通に家族連れで賑わっていました。
(転載終わり)