[471]南相馬市に行ってきました

沼舘 幹夫 投稿日:2011/04/20 13:57

 会員の皆さん、はじめまして。バンコクに20年以上、住んでいます。4月中旬のタイ正月を利用してひとり福島の南相馬市まで行ってきました。
 副島隆彦先生の本は1冊しか読んでいないので(今回、関空でもう2冊買い求めました)、この掲示板に投稿する資格はないのですが、南相馬市の様子を先生にメールで報告したところ、こちらに書いて情報を共有せよ、と言われましたのでそうします。

以下、副島先生に宛てた私からのメールの内容(一部)です。

(前略)

 さて4月15日06:18、前日から借りていたレンタカーで、まず相馬市を目指しました。気温は6度です。カーナビは便利です。見知らぬ土地でも不安はありません。心地よい緊張感です。
 国道115号線、日本のカレンダーに用いられるような山里を目に楽しみながら相馬市に入ったのが7時5分です。気温12度。市内をぐるぐる回りますが、まだ時間が早いせいか町に人影はありません。

 その後、国道6号線を南下、あれれという間に南相馬市に入りました。南相馬真野小学校や周辺で津波の被害を目の当たりにしましたが、だいぶ復旧作業が進んでいるらしく、自衛隊や重機が活躍していました。

 南相馬市役所の社会福祉課でバンコクにいる日本人数人から預かったお金を寄付し、係りの方から様子を伺いました。
「市役所玄関入ってすぐに貼っている掲示板によると
放射線量はだいぶ少なくなっていますね」との問いに
「でもね、見えないからね」という義援金受付係りらしい(?)回答を得ました。

 次に避難所になっている原町第一小学校を訪れました。気温はぐんぐん上がっています。体育館の中はポカポカしていました。
「エアコンが入っているのですか」との問いに
「そんなのありません。寒いときにはこの大きなファンヒーターで暖気を送る」とのこと。ここで南相馬市と双葉町の中間に位置する「おだか」というところから避難している二人の女子中高生に話しかけました。元気そうでした。
お年寄りと比較したせいでしょうか。お年寄りは無口です。
カメラを向けることもはばかられます。

 二人のおかあさんに双葉町まで行けるかと聞くと、6号線は封鎖されているけれど、取材といえば通してくれるかもしれない。だめなら海沿いの道を行けばいいと教えてもらいました。
「海沿いは別世界です。私も昨日、ちょっと家に戻りました」と言います。気丈な女性です。

 6号線は案の定、「いわきおおた」のあたりで警視庁の警察によって封鎖されており、住民であれば名簿と照合して通してくれますが、取材は認めてくれません。国際免許証を見せると「外国人か? 立ち入り禁止と言え」という声がパトカーの中から聞こえました。悪いけど「日本人です」と答えました。部下が「地元の人らが外部の人間を入れたがらないのです。物盗りとしてあなたを疑っているわけじゃないのですよ。これも復興の支援と思って取材をあきらめてください」と言います。こう切り返されては二の句が告げられません。10キロ圏内の遺体捜索が昨日から始まっていることも関係しているかもしれません。

 そこで、小浜(おばま)という村へ引き返して、そこから海岸線沿いに南下を試みました。道はガタガタでところどころ陥没しています。海沿いの家はほとんど押し倒されていましたが、重機が入って整備され始めています。ところが、小浜から南下しようとすると、河口に架けられていた橋が崩壊しており、向こうへは行けません。前方の道は陥没していました。しかたなく戻って、検問のある手前のセブンイレブンに行きました。そこでおだかまでゆく道を何通りか地元の人に聞きましたが、ぜんぶ封鎖されて住民以外は入れないと思うよとのこと。
 今度は内陸側から南下を試みましたが要所、要所で検問があり、
住民以外は南下させてくれません(しかしカーナビは役に立ちました)。「正式な取材許可があれば入れてくれるのですか?」と聞きましたら、口ごもった後、もちろんですとのこと。前夜、泊まった3500円の宿にはNHKのクルーもいましたので、そうなのでしょう。ちなみに福島市内中心部のビジネスホテルはほぼ満室でした。メディアや原発関係者がたくさん入ってきているそうです。

 南下をあきらめ、飯舘村経由で福島市へ行くことにしました。ここは放射線量の高い値が出たと今朝のニュースで報じていました。ですが、コンビニは開いているし、地元の生鮮スーパーも開いていました。スーパーには福島産のあさり(たぶん。表示がなかったので)と野菜、果物もありました。
「何、作ったらいいかわからないのよね」
スーパーに買い物に来ている主婦と思われる女性同士の声が聞こえました。普通の会話です。

 福島市内まで暑いので窓を開け放して運転していました。すれ違う車を運転する人はほとんどがマスクをしていましたが、マスクをだらりとたらして運転している人はこっけいでした。

 福島市内着13時14分。駅前の電光掲示板には28.5度! 朝との気温差22度です。夏のような暑さでした。桜並み木を通ってレンタカーを返しに。そこで地元のうまいもの屋を紹介してもらいましたが
「あまりすすめられるものはないのですが……あ、餃子がある。でも夕方からしかやってないなぁ。地元の人に人気といえば……」
と切り出しながら教えてくれた西口駅前の喜多やとかいう蕎麦屋。たいへんおいしかったです。そういえば旅館で食べた晩メシも朝メシもたいへんおいしかった。浅漬けキュウリがバリバリしていました。

 郡山駅の100円すし屋カウンターで知らないもの同士が会話していました。
「地元でも原発20キロ圏内から来たと言われると冷たい目でみられるんだから」
「地元同士じゃありえないでしょう。東京の人ならそうするだろうけど」
「あたしたちは東京のために電気をおくったのに」
「(私)今日、飯舘に行ってました。現地の様子を見に」
「あそこ、今、放射線量けっこうあるよ。盆地だからな、あそこは。ごくろうさま」

今回の現地入りで感じたこと、
1)やはり行ってよかった。見えないものが見えた気がする
2)だれが空論を述べているか、実論を述べているか、わかる
3)出会った現地の人はきわめて落ち着いていた。お年寄りにがんばってというのは酷だ
4)福島産の食材に対する風評被害はばかばかしい。福島と聞いただけでアレルギーを起こすなどもってのほか
5)福島の人は日本を代表して犠牲になったのだから、長く守ってやらなければならない
6)何より福島の人は雄雄しく立ち上がってほしい。おれはこれからも協力する

最後に
先生の本や学問道場のサイトを見て、金を儲けたひとは
先生に活動費としていくばくかでも差し出すべきです。
「いいえ副島さんに目をつけたのも私の選択眼があったからこそです」
なんていわないでね、お金はあの世へ持っていけないんだから。

世話になった人にはお返ししろ、
犠牲になった福島に、恩を仇で返すようなことはするな
福島から転校してきた子どもに対して「被爆する」といわせる子の親め、ばかじゃないのか。

失礼しました。
福島のことを考えるといろいろと怒りが沸きあがります。

沼舘 幹夫 拝