[378]3月28・29日の報告文

栃木・石井 利明 投稿日:2011/04/05 10:25

こんにちは。
石井 利明です。
3月19・20日の調査に続き、28・29日に、再び、副島先生と福島現地調査に行ってきました。
少し遅れてしまいましたが、その時の報告文です。

私が、先生一行と合流したのは、28日の午前9時過ぎ。場所は、前回と同じ、那須塩原駅でした。
その前に、駅前のコンビニで熱海の仕事場から先生の車を運転してきた須志原さんと落ち合うことが出来。二台に分乗し、一路、東北自動車道で福島の郡山を目指しました。
前回は、高速道路が使用できなく時間が掛かったのですが、今回は、1時間弱で郡山に到着しました。

そこで、3月19日の調査で、お世話になった、西条タクシーのKさんと落ち合い、先生たちはタクシーに乗り換えです。
先生とKさんとは、短い付き合いながら、ちょっとした戦友という雰囲気がありました。
おそらく、タクシードライバーという人たちは、世界のどこでも、地元の情報のあらゆる情報を知り尽くしている人たちなのでしょう。そして、車の中の私的な密室の空間の中で知り得た情報を、私たちのような、よそ者に教えてくれるのです。

今回の調査の目的は、出来るだけ福島第一原発に近づきデータを採取すること、支援者の方から、使ってくださいと提供の申し出のあった、いわき四倉の住宅を確認すること、避難区域に残るイヌやネコの救援の3つでした。

前回の調査で先生は、「防護服の人たちと一緒に写真に写れなかったのが残念だ!」と言っていましたから、今回の調査は、郡山から一直線に原発を目指すルートを採りました。
まずは、浪江町、双葉町の前回の調査地点で、再度、放射線量を測定したところ、JR浪江駅前では、約7マイクロシーベルト毎時(μSv/h)。双葉町では、約20マイクロシーベルト毎時(μSv/h)という値を示しました。

・JR浪江駅前。

19日に測定した値に比べると、1/2~1/3位に減少していました。
私たちは、この数値に勇気づけられ、原発の正門に向けて進みました。
道を進み、道が開けたと思ったら目の前に巨大な原発が現れました。
私は、この大きさを見て、「近くに来ちゃったなぁ」と実感しました。

・福島第一原発5号機が見える場所で。

全員、車から降りて調査を開始すると、80マイクロシーベルト毎時(μSv/h)位です。
私は、カーナビに位置情報を登録しました。
北緯:37°25′2″
東経:141°1′20″

ここまで来ると、第一原発正門は、眼と鼻の先です。
車のステアリングを握る手にも力が入るのが分かりましたが、特別なことも起きずに正門のゲートにたどり着くと。
二人の守衛さんが、何だ何だ、という感じで飛び出してきました。

こちらも、ガサガサと全員で正門に向かいます。
こんな時、人数が多い、ということは心強いもの。数は力です。
また、各々、測定機器やデジカメ、ビデオなどを手に近づいたのも良かったと思います。
何だか、少し安心できるのです。

・福島第一原発正門前。

この辺りの、臨場感(りんじょうかん)は、先生のぼやきのとおりです。
私が少々可笑しかったのは、この守衛さんと会社(本部とでもいうのでしょうか)の会話でした。

「言っても聞かないんです!」
「帰らないんです!」
ということを連呼(れんこ)していました。

私たちは、原発にかかわる仕事の邪魔をしに来たのではありません。
先生が、ぼやきで書かれているように、「日本国民のための報道の自由、言論の自由に依る」現地調査に来たのです。
だから、簡単に帰るわけにはいかないのです。

次に、調査した第二原発の方は、もっと、おっとりしていました。
まず、服装が違います。事務服にマスクという、到って簡易ないでたちです。
近寄ると、ここの守衛さんたちも、「ダメだ!ダメだ!」、「帰れ!帰れ!」の一点張りです。
そこで、先生が「理由を言え!」と怒鳴ると。
なんと、彼らは、「上司がダメだと言っているからです」と答えました。
横で聞いていた私も、思わず、ガクッときました。

・福島第二原発正門前。

「東電の言うことは、福島県民や日本の人たちに、これぽっちも信じなれていないんだゾ。だから、私のような、第三者が現場に来て、測定して、事実を発表する、ということに意味があるんだ!邪魔するな!」と先生が言うと。
それ以上、ダメだ、とは彼らも言わなくなりました。
守衛さんたちも、分かってくれたのでしょう。

第一、第二原発に最接近できたことで、最初に目標であったデータ採取はあらかた達成できました。
今回も、拍子抜けするほど、すんなりと物事が運びました。
もしかしたら、ぼやき1207で先生が書いているように、
「副島隆彦という いつもは政府と官僚たちの悪口ばかり書いている人間を、うまく利用して、「絶対に政府と東電の肩を持たない、第3者の立場の人間が、そのように、自宅に帰りなさい。大丈夫です」と、言うことを期待しているのだろう。」
という気もします。

しかし、今回の調査も、前回の調査も、ウソをついている箇所は、一点もありません。
すべて、事実なのです。
そして、事実こそが尊いのです。
ウソだ、と言う人は。やはり、自分で現場に行って計測するべきだ、と思います。

残る目標のひとつ、イヌやネコの救援も、移動の道すがらに彼らが出てくるので、難しいことはひとつもありませんでした。
飼われているイヌやネコには、大雑把(おおざっぱ)に言って、二種類あるように感じました。

一つは、人恋しくて、すり寄ってくるもの。しかし、このタイプは、多くありません。二割くらいでしょうか。
もう一つは、ある程度まで寄ってくるものの、ある一定の距離からは、決して近づいてこないもの。イヌの大部分は、このタイプでした。彼らは尻尾(しっぽ)を股の間にしっかり入れていました。

・イヌに餌やり。

恐怖を感じているサインです。恐怖がひどくなると、イヌも精神病になるようです。
私は、身体の半分くらいの毛が抜けているイヌを見ました。
はじめは、他のイヌにやられたのかと思いましたが、毛が抜けるような傷跡(きづあと)が、全くありません。
人間が緊張すると、脱毛症になるように、イヌも毛が抜けるのでしょう。
半分人間のペットたちは、人間が居ないと生きられないのです。
その点、タマ(富岡駅前で先生に拾われたネコ)は幸運でした。

いわき四倉の住宅確認の作業は、初日の午後3時過ぎになってしまいました。
原発最接近の後、私は、個人的に、この拠点確保の問題が心配でした。
どうかすると、先生から、
「2、3日住んでみろ」と言い出しそうな気配(けはい)がありました。

私は、先生の言う、福島の出来るだけ、原発に近いところに住む、という意義と決心は理解しているつもりですが、災害地で生活する(たったの2,3日で生活というのはおこがましいですが)ことに対する不安がありました。

しかし、現場に到着すると、その家は、残ってはいるものの建っているのが精一杯で。とても、住めるような状況ではありませんでした。
私は、何だかホッとしました。

今回の調査で現場の事実に接してみて、私は放射能に対して、“恐れず侮(あなど)らず”という態度というか覚悟(かくご)が必要だと考えました。