[332]副島隆彦です。今日のぼやき の方に 私の「報告文 9」を書いて載せました。

副島隆彦 投稿日:2011/03/27 07:04

副島隆彦です。 たった今、

今日のぼやきの広報ページに、 「1204」番として、「  明日からまた弟子たちと福島に行きます。原発の放射能の測定を続けます。四ツ倉海岸に活動拠点を作ります(報告文 9)。 2011.3.27 副島隆彦」を載せました。 ご覧ください。

私は弟子たちと福島に行きます。拠点とする家が、なんとか私たちの福島復興活動」の本部として、うまく使えればいいのですが。行ってみなければ分かりません。

私が、次に、載せたいのは、津波の死者の遺体安置所の中の様子とか、1999年の茨城県東海村での、JOC(ジェイ・オウ・シー、住友化学の子会社)の、臨界(りんんかい)事故で、激しく被曝(ひばく)して死去した 作業員ふたりの 焼けただれた体の写真とか、チェルノブイリ原発事故(1988年)で、高濃度の放射能をまき散らす事故原発をふさぎにゆく作業員たち(全員死亡した)たちの写真とかを、載せます。

津波で死んだ人の遺体を、自衛隊が収容する写真も載せなければならない。 報道(プレス) は、自主規制とか、してはけないないのだ。どんなむごたらしい写真でも、報道 として、国民に伝えるべき 事件、事故の真実として、映して、写して、見せなければいけないのだ。

 死者を冒涜するとか、被害者の人権に配慮すべきだとか、そういうことを言っているから、日本は、激しい、言論統制、思想統制の国に、されてしまうのです。 日本のジャーナリズムが、国民の番犬(ウオッチドッグ)として、権力を監視するために、国民の目である、という重要な役割を放棄して、「権力の番犬」に、なってしまっている。

 政府、東電、原子力安全・保安院( 原子力を規制し監視する委員会 の方がいつの間にか消えている)の官僚たちの、 大本営発表を、垂れ流すだけの、おろかな、国家による情報・知識統制の下部機関、下請け機関に成り下がっている。 この、今の事態は、日本国民にとって、危険だ。

 私たちは、被災者、退避者たちが、避難所から避難所へ、そして、親戚の家に引き取られていって、政府と東電を厳しく避難し、糾弾する声を上げられなくされて、疲れ切り、集団疎開させられ、悲憤慷慨の 嘆きの声をあげることも、それを報道することもしなくなったら、それは、日本が、国家統制体制の、翼賛政治(よくさん)政治体制に向かっていることの、危険な道だと、気づかなければならない。

特に、福島県民は、原発事故の退避(避難)で、封じ込められて、何も発言できないまま、抑え込まれ、そして、やがて無視されてしまう。福島第一原発から、10キロ圏の、双葉町(ふたばまち)は、埼玉県の加須(かぞ)市に移され、大熊町(おおくままち)は、会津若松市に移された。

楢葉町(ならはまち)と、浪江町(まみえまち)、広野町(ひろのまち)も、すぐに行政機能ともども、口封じで、仮設住宅の建設とともに、どんどん、散り散りバラバラにされて、隠し込まれてしまう。そのために、「原発の現場だけでなく周辺まで、今も危険です」 という 政府による巧妙に仕組まれた情報統制が行われている。

 福島県の浜通りには、原発事故の被災地として、誰も近寄らせないようにして、事故の傷跡を、誰にも見せないようにする気だ。私、副島隆彦は、それは間違った考えだと思います。 ですから、再び現地に向かいます。  副島隆彦拝