外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)

菊地研一郎(会員番号2555) 投稿日:2010/10/01 08:36

菊地研一郎(会員番号2555)です。

私はこの「気になる記事の転載掲示板」に、
[2]『保守主義の政治哲学要綱』(昭和35) を
投稿しました。投稿日は2010年6月9日です。

そこには、小沢一郎の持つ政治思想のルーツを
辿ってみよう、という意図がありました。

本日、その第二弾として、

 外交政策企画委員会
 「我が国の外交政策大綱」
 (昭和44年月25日)

を貼りつけます。

孫崎亨の著作(後述する)からの
孫引きになりますが、
もともとは東京新聞の
2010年1月に載ったものです。

内容について、私が注視したのは、

〈米国依存を減少させ、自国の防衛力を高める、
かつ国連との協調を図ることを原則としている〉

という点です。

小沢一郎『日本改造計画』は毀誉褒貶ある著作ですが、
国連重視の姿勢を言う箇所は特に世評が今ひとつです。

この国連重視という案の意図は何であり、
どこから出発していたのか、
以下の文章を読んで、私はやっと腑に落ちた
という感覚を得ました。

では、孫崎亨の著作である『日本人のための
戦略的思考入門――日米同盟を超えて』から、
「我が国の外交政策大綱」を説明している
部分を引用します。

〈かつて対米自立派が外務省中枢にいた
 「外務省」と言えば「対米一辺倒」、これが今日の姿である。多くの人は「対米一辺倒」を唱えない“まともな”外務省員はいないとすら思っている。
 手元に一つの文書がある。長く外務省で極秘文書とされたものを二〇一〇年一月二十七日付東京新聞が報道した。

「政策企画報告(第一号)

   我が国の外交政策大綱
                       昭和44年9月25日
                       外交政策企画委員会

(以下内容の一部を要約)
  ・わが国国上の安全については、核抑止力及び西太平洋における大規模の機動的海空攻撃及び補給力のみを米国に依存し、他は原則としてわが自衛力をもってことにあたるを目途とする
  ・在日米軍基地は逐次縮小・整理するが、原則として自衛隊がこれを引き継ぐ
  ・国連軍(国際警察軍)、国連監視団に対する協力をする。状況が許せば平和維持活動のため自衛隊派遣を実施するよう漸進的に準備を進める。
  ・軍縮においては日本が米国の走狗であるとの印象を与えることの絶対ないよう配慮する」

 これが外務省の書類と知って、多くの人は驚く。今日の若手外務省員だって驚くだろう。「在日米軍基地は逐次縮小・整理する」、「米国の走狗にならない」という考えを、外務省が持っていたのか。
 しかも、この文書は、一人の人間が書いたのではない。外務省の要職にある人物が集まり、協議して作り上げた。この外交政策企画委員会とは何だったのか。この委員会の任務は、重要外交案件の審議・政策企画を行なうことにあった。次官ないし外務審議官(事務方ナンバー2の地位)を委員長とし、局長、参事官などごく少数の幹部で構成した。当時の外務省中枢が参画した。この動きの中心に斎藤鎮男(官房長、駐インドネシア大使、駐国連大使、故人)がいる。
 文書は対外的に発表していない。参画した人の胸の内にしまわれた結論と言ってよい。関与した人がほとんど故人になった今、外務省関係者でこの文書の存在を知っている人は、ほとんどいない。
 この「我が国の外交政策大綱」の文書は、米国依存を減少させ、自国の防衛力を高める、かつ国連との協調を図ることを原則としている。この理念は、今日の外務省とまったく違う。〉
(孫崎亨『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』、祥伝社、2010、pp.206-208)