かかる夢は捨てよと言いたい

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/08/16 23:56

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 菊地研一郎さん投稿の[2]「『保守主義の政治哲学要綱』(昭和35)」ですが、読み返してみると実に素晴らしい一文がありますね。自民党の政治家達が作ったとは信じられないところですが、それは私が至極最近の自民党の有様しか知らないからでしょう。

 党基本問題調査会会長(当時)の清淑一郎さんというかたも存じ上げませんが、とてもバランスのとれた文章だと認識します。

 もちろん保守主義なるものについての理解は、誰それと世界的人物の名前を挙げてはいますが、日本国内水準を大きく超えるものではないでしょう。先生が登場するまで進歩ゼロだったでしょうから、かつての日本人がいきなり世界基準に到達して向こうを相手に論議で張り合うなんていうことは到底有り得ません。

 ですが、左右陣営ともに極度に偏った思考の持ち主達が勢力を持って幅を利かせていた時代を経験していると、平衡感覚を養って生きるということの大切さを実感するのでしょう。その辺りの主張が「一 中庸の精神」に出ています。中庸、中道という生き方、考え方の大事さです。

 この中庸の精神、中道が保守主義なのかと言われると、中庸の精神というのは「主義」に入らないのではないかという気がしますが。中庸主義、中道主義と言われても、極端に偏らないということ以外に中身がありません。保守主義との親和性はあるでしょう。

 もっとも中庸とは違って、中道の方は中道右派、中道左派という、定義や線引きもする気が失せるような適当かつ曖昧な言葉が既にあります。中間派というのは常に日和見主義者、八方美人、修正主義者、ご都合主義者などといった批判や非難を両極端から浴びることになります。バランスがとれている文章ということは理論や論理の一貫性を欠き、ご都合主義的であるという判定を受けるのです。融和が必要だというのは、理想よりも現実に対してなのだと感じます。

 さて、[2]「『保守主義の政治哲学要綱』(昭和35)」の「二 新国民主義」ですが、まぁこれは名前だけではない、本当に中身のある新国民主義運動が起こるべきだと考えますけれども。そこに大変良い文章がありまして、とても印象に残りました。その部分と前後だけを抜粋したいと思います。段落で改行します。中間の一文を読んでいて思わず目が開きました。今の自民党政治家達には、書けないでしょう。といっても他党政治家だってあやしいでしょうが。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

 階級問題、後進地域開発問題も、ヒューマニズムに貫かれ新国民主義の精神を基盤としてのみ達成される。民族共同体に対する愛情と信念が、国内に二つの世界を作ることを阻止し、福祉国家。中産階級国家建設への原動力となり、ひいては、国際的に立ち遅れた後進地域への愛情、経済協力となって発露するのである。

 現在の日本に夢がないといわれる。しかしながら、若し、その夢が、かつての日本のような、世界におそれられる「武力国家」「強力国家」を意味するものならば、われわれは、率直に、かかる夢は捨てよと言いたい。

 われわれ国民の新しい夢は、東西両文明の総合、世界に最も尊敬される文化国家、福祉国家の建設にこそあるのである。道義が保たれ、教育が普及し、科学技術の高度な文化国家、国民相互が融合しその生活が均衡し、自由と民主主義の豊かな福祉国家の建設、これこそわが民族の夢であり、新国民主義の理想でなくて何であろうか。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 終戦記念日は過ぎてしまいましたが、自分の日常生活のつまらなさに飽き飽きして、日本と外国の間に劇的な戦争が勃発して世の中が面白くなることを夢に想い描いている方々に、是非読んでもらいたい一文です。