「「官報のトリックを見破れば民度は目覚める」 by インナーマザー」
2010/09/17(金) 00:00
「「官報のトリックを見破れば民度は目覚める」 by インナーマザー」
小沢さんは身体を張って国民に知らしめている。官僚と市民との差異という新しい視点。
「インナーマザー」様のコメントを掲載させていただきます。3回読まれることをオススメいたします。
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官報のトリックを見破れば民度は目覚める
小沢さんは代表選の会場で「同志の皆さんと共に日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います」と演説しました。
「同志」とは一人ひとりの国民です。つまり国民運動の呼びかけです。代表選の勝ち負けではなく、平成維新の祝砲を上げたのです。
負けた小沢さんからたいまつを受け取った者は敗者の怨霊です。
まだ見ぬ命に引き継がねばなりません。
輪廻転生では命の誕生は死者の復活です。現世はひとつのステージに過ぎず、命は循環しています。
再生の流れが歴史です。私欲で再生を妨げることは出来ません。
ご先祖様が我々にアシストしてくれたことをやっていくだけです。
肉体が分解と再構築を繰り返すように、魂も死と再生を繰り返します。命の流れ、時間の流れが歴史ですから、貧しくて生まれて来られないとか、共同体がバラバラにされている社会だから「まだ生まれてくるな」という態度は、現世を生きる責任としてバチ当たりだ、という感覚です。
小沢さんはこのふつうの感覚を持っているふつうの人だということです。
それほど我々がふつうではない状態のうずまきの中にいるということです。
受精卵が細胞分裂で増えていく何週目かまでは自分の役割を知らないES細胞です。ある時突然、俺は脳になるとか血管になるとか言いだしっぺが現われ、相補的に、排他的に、周りの細胞も自分の役割を見い出していく。自分の役割を見い出せずに自己増殖していくとガン細胞になるそうです。
共同体を破壊すれば関係性の中から役割が立ち上がって来ません。人間をアトム化する新自由主義は、人間をどんな商品にでもしてしまうES細胞とオーバーラップします。
関係性が断絶しているところから閉塞感が生まれ、絶望と冷笑が起きるのです。国民の想像力の欠如、あきらめ、目先の利益にとりつかれ、勝ち馬に乗り、近未来の地獄絵図が見えなくなる病理もアトム化の症状です。
小沢さんが訴える「責任と金を地方に渡す」という地域主権の考えは、全体から地域の役割を立ち上げ、地域に住む個人の居場所を立ち上げる救済の思想です。
小沢さんは、虚無の細胞のように国民を商品化してしまった新自由主義の暴走を止めるために闘っているのです。
閉塞感とは民主主義が機能していない状態です。換言すれば、官僚支配とメディアの情報操作によって、見せられている虚構のビジョン(物語)に閉塞されている状態です。
小沢さんの「皆さんと共に日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたい」という思いは、官報から見せられているビジョンから目を覚まし「自分の魂に還れ」と言っているのです。
麻痺させられているふつうの感覚を取り戻せと立ち上がったのです。
選挙に負けた小沢さんと泣き寝入りして来た国民の思いは「負の連帯」を結びました。選挙前より深く静かな海底で「怨霊の炎」が燃えています。私怨ではなく公憤です。
小沢さんも関係性の中から立ち上がった政治家です。「お前がやってくれたら俺もやってやるよ」という依存先行の姿勢には共感しません。しかし「私はこれをやる。君にはこれをやって欲しい」という姿勢に人は説得力を感じます。立ち上がった小沢さんは周りの国民に別の役割を引き起こしました。
自分に還れということは自然に還れということです。肉体が自然の営みとして行う「役割の立ち上げ」を、小沢さんは社会の中で実演しているのです。
社会生活は人間の属性が絡み合っているので出自の違いが見えにくくなっていますが、「役人」とは公務員試験を受けて官僚組織に入った瞬間に社会の側からドロップアウトして国家の側に帰属するのです。
そのカラクリを小沢さんは体を張って教えてくれました。検察と対峙しながら「官僚機構は社会の外部から収奪する別の共同体だ」と。
官僚機構の情報幕僚であるマスコミから虚構の「政治とカネ」という難癖をつけられ、中傷されながらもじっと耐える。国民に「私が叩かれ役のサンドバックになるから本質に気づいてくれ」とシグナルを送っているのです。
つまり、小沢さんからボールは投げられたのです。ですから受け取った一人ひとりが自分の役割を立ち上げていけばよいと思っています。
人はみな片翼飛行の鳥ですから、関係性から立ち上がる役割は一人ひとり違います。必要のない人間などいません。授かった命は人智を超えた彼方の意志です。
ならば、今、ここで、なすべきことは自ずから立ち上がってくる。
集合的無意識は連歌のような詩を奏でます。一人ひとりは全体の構成を理解出来なくとも、結果としておかしくなった社会の修正作業に参加しているのです。この流れを感じ取れば知行合一になると思います。
私が村木厚子さんという官僚の「監督責任」を冤罪と切り離して指摘するのは、社会と国家のカテゴリーの違いを押さえておきたかったからです。
官僚国家は自らの「外部性」を隠すことで、さまざまな催眠術を社会にかけて来ます。
村木氏という官僚は、女性であり、母であり、冤罪被害者であり、検察と闘った英雄であり、マスコミ報道の嘘を暴いてくれました。しかし彼女は官僚機構である国家の側に帰属する人間なのです。
感謝と事実は別なのです。
官僚は労働者という属性を持っているように見えますが、本質的に社会から収奪する「外部」の機関にいます。
社会と国家は区別されるが分離出来ない「二つ巴の双魚図」になっています。社会と国家の区別が見えなくなる時に手品のトリックが成功します。その手品に順応して行くと催眠術の完成です。そして官僚の物語に飲み込まれて一生涯を過ごします。
出自が区別出来なくなると罠に嵌るのですから、区別すればよいのです。
官報が使う手品の原理は2つです。
見せて隠す。都合のよいことは見せて、不都合なことは隠す。イリュージョンの左手です。
隠して見せる。虚構である事実を隠して、実像のように妄想させる。イリュージョンの右手です。
正義が一元的であるかのように物語を構築するのが官僚機構ですから、佐藤優さんのように「絶対に正しいことはある。ただし絶対に正しいことは複数ある」と多元的に見て行けば手品のカラクリが怖くなくなると思います。人為的に作られたイリュージョンを怖がったら敵に心を支配されるのです。小沢さんがメディアのバッシングを恐れないのは、天に背くことを畏れているからです。天の畏れは地上の恐れを凌駕する。小沢さんは真理を掴んでいます。
官僚国家と市民社会を区別したうえで、必要悪として国家とお付き合いすればよいと思います。
国民に奉仕する官僚ならば出自が違っても同朋として大切にする。逆に国民の痛みが分からぬ外道は国民が包囲する。
官僚は包囲を崩すために官報を使い情報操作で分断する。資本力でも労働力を流動化してバラバラにする。国民は中間団体のコミュニティーを作って対抗する。それを官僚は壊して行く。
このせめぎ合いが140年続いて来たのだと思います。そして官僚とメディアのジョイントベンチャーによって毎日1000人が自殺未遂をする社会にしてしまった。200万人の老弱男女が引きこもり、老人の遺体がミイラになって見つかる先進国とは何なのでしょう。
そこで小沢さんが国民と共に立ち上がったのです。
この認識から今後のディフェンスもオフェンスも決まると思います。
「おおやけ」の時空間は国家の所有物と個人・企業の所有物で覆われていますが、実はすべて天からの借り物です。おおやけの上に所有概念が乗っかっているだけなのです。
所有権はあってもいいのですが、誰のものでもない「おおやけ」と二重構造になっていることを想起することが小沢思想です。それが天の感覚です。
昔の入会権の思想と重なります。
いずれにせよ、官僚と市民の差異を見つめて行くことが平成維新の基本思想だと思います。
(転載貼り付け終了)