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「68」 ネパールというヒマラヤ山脈の南側の国の政治の動きをまとめて載せておきます。2007.12.19

副島隆彦です。 今日は、2007年12月19日です。

 ネパールという国にがあります。私は、今年の2月に訪ねました。カトマンズーの街の様子と、ポカラという地方都市を見ました。ヒマラヤ山脈の南麓(なんろく)の標高5000メートル級の山々を飛行機から見ました。

 それでも首都カトマンズーは、標高1500メートルぐらいところにあって、それほど雪はありませんでした。どんな山岳国家でも、一番暮らしやすそうな土地は、気候は穏やかなのではないか、と思うようになりました。山に住む山岳民族(山地族)と、平地の人間たちの違いということを考えました。この差別は、日本の「山の民」である背振り(せぶり)衆や、サンカ(山ウ冠に過)と平地定住民の差別と同じだと思う。普通の人間は、山の中や、高原では暮らさない。高地独特の生き方を強いられる。

ネパールの向こう側にある中国が、チベット高原伝いに見えてきたような気がした。 副島隆彦記

(新聞記事転載貼り付け始め)

● 2001/06/02(土)
「ネパール国王夫妻ら射殺される=王宮で惨劇、王族十数人が死亡」

【カトマンズ2001年6月2日AFP=時事】
  ネパール軍およびコイララ首相に近い筋は2日、 同国のビレンドラ国王夫妻を含む王族十数人が1日夕、カトマンズ市内の王宮で 何者かに射殺されたと述べた。(2001/06/02-07:23)
http://www.jiji.co.jp/

 国軍筋によると、ディペンドラ皇太子は、自分で選んだ結婚相手について母親の王妃に反対され口論になり、発砲したという。皇太子は酒に酔っていたとの情報もある。皇太子は英国の大学に留学した経験があり、皇位継承者だった。(毎日新聞)

● 2001年4月8日

 【カトマンズ7日ビナヤ・グルアチャリャ】カトマンズから380キロ西方のダイレク地区の村で6日夜、非合法の極左武装組織、ネパール共産党毛沢東主義派のゲリラとみられる武装集団が治安警察の詰め所を爆破し、警官29人、一般市民2人を殺害した。事件は同国大臣の自宅が爆破された数時間後に発生した。

 内務省の7日の発表や現地からの報道によると、この爆発でゲリラ側も16人が死亡。このほかに警官12人がけがを負った。当時、詰め所には警官計72人がおり、爆破で崩れた建物の下敷きになったが、28人が救出された。政府高官は「爆弾などで武装した約300人のゲリラが詰め所を襲った」と話している。

 ネパールでは立憲君主制の打倒などを目指す毛沢東主義派のテロが相次ぎ、1日夜にも警官31人以上が殺害され、少なくとも警官23人が人質になった。6日には同派が呼び掛けたゼネストでカトマンズの交通がまひ、学生や貧困層などを中心に同派への支持が全国に広がっている。

 ネパール会議派のコイララ政権は有効な対応策を講じられない状態で、武装集団の攻勢は続くとみられる。1996年に始まった同派の武装闘争で、一般の住民を含めてこれまでに1600人以上が死亡している。

● 2001/06/02(土)

ネパール王室は親インド派。 100年にも及ぶ宰相ラナ家の独裁政治のもとで 宮廷に軟禁状態におかれていた国王と皇太子が、 1950年にインドに亡命し、翌年インドの後押しで王政復古した経緯がある。 親インド派のネパール王室を中国はよく思っていなかったし、ネパール国内の共産主義勢力(軍の一部を含む)と通じていたのは間違いないだろう。

● 2001/06/02

”Nepal Royal Family Are Shot Dead”

KATMANDU, Nepal (AP) --

 Nepal's crown prince opened fire in the royal palace Friday, killing the king, queen, a prince and five others before shooting himself, a senior military official said.

The official said Crown Prince Dipendra, 30, killed all the members of the royal family. The dead included his parents, King Birendra and Queen Aiswarya, and his brother Prince Nirajan.

The shooting was caused by a dispute over the marriage of
Prince Dipendra, said the official, who spoke on condition of anonymity. No other details were immediately available.

The crown prince, educated at Britain's Eton College, was heir to the throne.

King Birendra, the constitutional monarch, was stripped of
power in 1990 and a parliamentary government was established.

AP-NY-06-01-01 1858EDT

● 「ネパール国王殺害、皇室や協力団体に衝撃 」

2001年6月2日13:56 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/04/20010602ic09.htm

 ネパールの首都カトマンズで一日夜、ビレンドラ国王夫妻ら王族十数人が、宮廷での晩さん中に射殺された。親日家の国王(55)と面会したことがある日本国内の関係者は、「気さくで優しいお方だったのに」と肩を落とした。

 銃を乱射した後に自殺を図ったと伝えられるディペンドラ皇太子(29)は今年四月、日本を訪れたばかりだった。同国王室と日本の皇室は友好関係にあり、宮内庁や海外協力団体の関係者も強い衝撃を受けている。

 一九七五年に女性として世界で初めてチョモランマ(エベレスト)登頂を果たした田部井淳子さん(61)は、王宮でビレンドラ国王から最高勲章を贈られ、「女性だけでよくやりましたね、大変だったでしょう」とねぎらいの言葉をかけられたことを覚えている。

 田部井さんはその後も国王とは何度か会っており、「気軽にサッカー観戦に出かけたり、町に出て国民に直接話しかけたりする気さくな方だった。どの家にも国王の写真があるほど慕われていた。本当に驚きました。突然のことで、とても残念です」と話していた。

 中高生の文化交流を行っている日本・ネパール人づくり協力会(鳥取県米子市)事務局長の広江研さん(60)は、「十年ほど前、王室に招かれた時、『ネパール語が話せずにすみません』とあいさつしたところ、ビレンドラ国王は笑顔で『私こそ、東大に留学したのに日本語が話せず申し訳ない』と気さくにご返事された。とても温厚な方だったのに」と残念そうに話した。

 また、橋本竜太郎元首相は九八年、長年ネパールの観光開発や保健衛生に寄与したとして、王室から勲章を授与された。元首相は、「国王夫妻や皇太子とも、お会いしたことがあるが、とても素晴らしいお人柄でネパール国民からの支持も厚かった。わが国の皇太子さまがネパールを訪問された際、王妃が手料理でもてなされたという話も聞いていただけに、今回の事件はまったく想像もできません」と、驚いた様子で語った。

 ビレンドラ国王は皇太子時代の一九六七年、東大に留学して以降、たびたび来日していた親日家だった。 一方、ディペンドラ皇太子も四月二十五日から五月二日にかけ、日本の皇室との親善などのため来日していた。四月二十六日には皇太子さまのご案内で東京・両国の江戸東京博物館を訪れ、江戸の町の模型などを見学。この後、東宮御所にも招かれ、皇太子さまと夕食をともにしていた。

 日本の協力で進めている緑化活動の植林のため同国を訪れ、ディペンドラ皇太子と面会した海外協力NGO「オイスカ」(東京都杉並区)の長宏行さん(41)は、「『頑張って』と声をかけていただいた。ネパール王室は社会活動にも熱心で、国民にも慕われている。やさしそうな方だったのに」と驚きを隠せない様子。

 ネパールには、皇太子さまが八七年に親善訪問されている。また、九七年二月には秋篠宮ご夫妻も訪れ、国王夫妻を表敬された。 宮内庁幹部は「こんな事態になるとは」と困惑気味に話した。

 東京都世田谷区等々力のネパール大使館には、正午過ぎ、ムホン・セレスタ参事官が車で出勤し、「公式にはまだ何も話を聞いていない。ネパール国民にとって大変悲しいニュースだ」と話し、険しい表情で館内に入った。


● 2006/06/02(金)

「毛派がカトマンズで大規模集会」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060602-04477412
-jijp-int.view-001

 カトマンズの野外劇場で集会を行う反政府武装組織ネパール共産党毛沢東主義派の支持者ら。約30万人が参加。参加者は新憲法制定のための制憲議会選挙の早期実施などを訴え、気勢を上げた(2日、ネパール)(EPA=時事)21時41分更新

 

● 「混迷する王国」

2006年9月2日 22:10~23:00 NHK衛星第一
「ネパール・浸透する共産主義」

 ネパールでは4月に反国王のデモが続き、死傷者も発生して大混乱となった。 ギャネンドラ国王の専制政治への抗議行動は1カ月続けられ、ついに国王は権力を国民に返すことを宣言した。
デモ参加者をバックアップし、国軍、警察の動きをけん制していたのは、 ネパールの反政府武装勢力のマオイスト。

 マオイストは10年ほど前に創設され、現在3万人の兵力を持ち、ネパール全土の7割以上を支配している。これまでベールに包まれていたマオイストの支配地域の中心に初めて番組取材班が入った。なぜマオイストは多くの支持を得ることができたのかを検証する。

● 副島隆彦記。私がネパールに行ったのは、この翌年(2007年)の2月だ。

 「ネパール、主要7政党と武装組織が和平協定に調印 」

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20061108
AT2M0800108112006.html

【ニューデリー=山田剛】 日経新聞2007年11月8日

 暫定政府樹立を巡る交渉を続けていたネパールの主要7政党と同国の武装組織 ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)は8日未明、双方の兵員や武器を国連監視下に置き、王制の維持については来年半ばに選挙を実施する制憲議会の決議に委ねることなどで合意。和平協定に調印した。

 ギャネンドラ国王による4月の主権移譲から約7カ月を経て、ネパールの新体制づくりがようやく本格始動する。カトマンズからの報道によると、政府と毛派はそれぞれ同数の武器を駐屯地内の倉庫に保管し、国連の要員がテレビカメラなどを使ってこれを監視することで合意した。また監視体制が整い次第、現在の議会を解散して暫定議会を設置し、毛派も参加する暫定政府を12月までに発足させる日程も確認した。

政府と毛派は6月に暫定政府の樹立で基本合意したが、毛派が王制廃止を強く要求したため交渉が長引いていた。(10:04)

● 2007/08/24(金)

「ネパール政府、カトマンズの王宮など7宮殿を国有化 」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070824-00000512-yom-int

 【ニューデリー=永田和男】 ネパール政府は23日、首都カトマンズの王宮をはじめ、国内各地にある 王室所有の宮殿7か所を国有化したと発表した。 ギャネンドラ国王と家族は、11月に予定される制憲議会選挙を経て、王室存続の是非が決まるまで、 王宮に住むことは許される。

 ギャネンドラ国王は、1月に公布された暫定憲法で国家元首の地位を失っている。暫定政府を構成する 8政党のうち、共和制移行を唱える旧反対勢力のネパール共産党毛沢東主義派以外は王室を儀礼的な存在として 残したい意向とされる。

●「 ネパールの連続爆弾テロ、2組織が犯行声明 」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070903id21.htm

2007年9月3日20時0分 読売新聞

 【ニューデリー=永田和男】ネパールの首都カトマンズで2日、死者2人を出した連続爆弾テロで、南部の低地テライ地方の分離を掲げる「テライ軍団」と「ネパール人民軍」と名乗る2組織が3日、犯行声明を出した。

 AFP通信によると、テライ軍団の声明は、分離要求が通らなければ「次は議会議事堂を襲撃する」と 述べ、11月の制憲議会選挙を前に活動を激化する構えだ。

 ネパールでは、昨年来の和平プロセス進展で旧反体制勢力のネパール共産党毛沢東主義派が議会や 政府入りを果たす一方、全人口の3分の1を占めるテライ地方では、住民の多くがなお市民権すら 与えられていないとして不満を強め、1月には大規模抵抗運動が起きていた。

● 2007/09/18(火)

「ネパール毛沢東主義派、暫定政府を離脱…和平プロセス後退 」

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070918id21.htm

読売新聞 2007年9月18日

 【ニューデリー=永田和男】ネパールの旧反体制勢力・ネパール共産党毛沢東主義派は18日、コイララ首相率いる 暫定政府から閣僚4人を引き上げ、8党連立政権を離脱した。 同派の暫定議会議員83人も引き上げると見られる。

 毛派の政権離脱は、11月の制憲議会選挙を待たずに王制を廃止して共和制に移行するよう首相に要求したが、 却下されたのが理由。18日にはカトマンズ市内で政府に対する大規模抗議集会を開いて対決姿勢を誇示した。

 制憲議会選で劣勢が予想される毛派は予定通りの選挙実施を望まないとされ、今後は各地で妨害工作に出る事態も 懸念される。毛派を体制に取り込んだまま制憲議会選を迎える和平プロセスのシナリオは大きく後退した格好だ。

 毛派は、1996年以来続いた内戦の後、昨年11月に旧政府と結んだ和平協定で、暫定政府と議会への参加と ともに兵力3万人を国連監視下のキャンプに置く武装解除に応じた。だが、その後も、毛派によると見られる 暴力事件が頻発したほか、新たに1万5000人の兵力を補充したとの情報もあり、国民の間で不信が高まっていた。

 制憲議会選で現有勢力維持が困難と見られる毛派は、「王室擁護派による選挙妨害工作の懸念」を理由に即時の共和制移行を求める戦術に出たが、暫定憲法は王室存廃は制憲議会選で選出の新議会が決めると明記しており、首相も要求を受け入れる訳にはいかなかった。

(2007年9月18日18時20分 読売新聞)


● 2007/09/27(木)
「ネパール「共和制」に移行へ 最大与党が方針転換」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-00000020-mai-int

 【ニューデリー栗田慎一】ネパールの最大与党・ネパール会議派は26日、立憲君主制支持の党是を改正し、王室廃止による共和制導入支持の方針を決定した。同派の方針転換によって、全主要政党が共和制導入で足並みをそろえることになり、11月の憲法制定議会選挙後の共和制移行は確実となった。

 会議派が共和制を明確に打ち出してこなかった背景には、政権を長く掌握してきた同派と王室との深い関係がある。派内には王室の存続を強く求める実力者が今もいるが、「これ以上態度をあいまいにしていたら国民に見限られ、選挙で負ける」との危機感が党是の変更につながった。

 一方、選挙前の共和制移行を求めて政権離脱した「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)が選挙妨害を公言するなど、民主化プロセスを進めてきた勢力の分裂が深刻化している。

 会議派を率いるコイララ首相は毛派の政権離脱について「選挙での敗北を恐れているためだ」と批判。これに 対し毛派幹部は26日、AFP通信に対し「国王に忠実な将軍らが政権転覆を画策しているとの情報がある」と 述べるなど、非難の応酬は熱を帯びている。

 毛派は武装闘争に戻らないと繰り返しているが、日本など国際社会の支援を受けて選挙準備を進めている ネパール選挙管理委員会では、「武力衝突は偶発的に起きるものだ」と選挙を日程通り実施できるかを危ぶむ 声も出ているという。

 ネパールでは昨年4月の民主化要求デモで、国民が国王の圧政に反発し、王室廃止を要求。ギャネンドラ国王が政権を国民(議会)に返還し、反政府勢力だった毛派も武装闘争を放棄して暫定政権に参加した。当初は選挙前の共和制移行を求めた毛派も、制憲議会選挙の日程を会議派など主要政党とともに決めたが、今月18日に再び「選挙前の共和制移行」を求めて政権を離脱した。


● 「ネパール「共和制」に移行へ 最大与党が方針転換 」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-000
00020-mai-int

 【ニューデリー栗田慎一】 ネパールの最大与党・ネパール会議派は26日、立憲君主制支持の党是を改正し、 王室廃止による共和制導入支持の方針を決定した。同派の方針転換によって、全主要政党が共和制導入で足並みを そろえることになり、11月の憲法制定議会選挙後の共和制移行は確実となった。

 会議派が共和制を明確に打ち出してこなかった背景には、政権を長く掌握してきた同派と王室との深い関係が ある。派内には王室の存続を強く求める実力者が今もいるが、「これ以上態度をあいまいにしていたら国民に見限られ、選挙で負ける」との危機感が党是の変更につながった。

 一方、選挙前の共和制移行を求めて政権離脱した「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)が選挙妨害を 公言するなど、民主化プロセスを進めてきた勢力の分裂が深刻化している。

 会議派を率いるコイララ首相は毛派の政権離脱について「選挙での敗北を恐れているためだ」と批判。これに対し毛派幹部は26日、AFP通信に対し「国王に忠実な将軍らが政権転覆を画策しているとの情報がある」と 述べるなど、非難の応酬は熱を帯びている。

 毛派は武装闘争に戻らないと繰り返しているが、日本など国際社会の支援を受けて選挙準備を進めているネパール選挙管理委員会では、「武力衝突は偶発的に起きるものだ」と選挙を日程通り実施できるかを危ぶむ声も出ているという。

 ネパールでは昨年4月の民主化要求デモで、国民が国王の圧政に反発し、王室廃止を要求。ギャネンドラ国王が政権を国民(議会)に返還し、反政府勢力だった毛派も武装闘争を放棄して暫定政権に参加した。当初は選挙前の共和制移行を求めた毛派も、制憲議会選挙の日程を会議派など主要政党とともに決めたが、今月18日に再び「選挙前の共和制移行」を求めて政権を離脱した。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝


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