副島隆彦です。 以下の、ヒロという人は、現在、自分の頭がぐらぐらしてこの先もたいして優れたことは書かないでしょうが、私の言論に対して、以下のような反応を示していますので、あとあとの為に、ここに残しておきます。私の書いたことが、次々に、すべて真実であることがはっきりした時、この者たちはまじめに反省するのか。 私は、その時の人間の態度のとり方にしか興味は無い。私の思想研究における本領は転向論の分野である。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「ヒロさんの日記」サイトから
■「陰謀」を毛嫌いせずに、俺の言うことを聞いてみませんか?
2005/7/26(火) 05:26
「陰謀論」という言葉を聞くと、「陰謀論」→「トンデモ論」という連想ゲームが働いて、拒絶反応の人もいるようですが、公式発表・見解の陰に隠れた事情の数々は「陰謀」である、ということで話を進めます。
朝鮮総連の陰謀、中国工作員の陰謀、朝日新聞の陰謀、地下鉄サリン事件の陰謀・・・・などなど。この「陰謀論」をよく取り上げてくれるサイトは、「株式日記と経済展望」と「副島隆彦学問道場」で、私もよく読んでいます。
先日、2001年の「911テロ」と映画「パールハーバー」(2005/7/9)の記事で、「アポロ計画で人類は月に立っていない」というウワサに触れた際に、mastyさんから「得体の知れない話は相手にしないほうがよろしい」のでは、とご忠告いただきました。まったくゴモットモです。
「アポロ計画の公式発表に何らかの情報操作があった」という話は、私も興味があり、一時期かなり調べたのですが、最近大々的に盛り上げてくれたのは、何といっても副島隆彦先生でしょう。特に『人類の月面着陸はなかったろう論』という著作は、とても挑戦的、挑発的で、理科系の人たちに衝撃的な内容になるかと期待していたのですが・・・・・・。
副島隆彦に対する世間様の評判-1
6 :コピペ :03/05/10 12:53
[2994]消えてしまっていたようなので再掲 投稿者:simon投稿日:2003/05/03(Sat) 16:00:31
どういうわけか、書き込みが消えてしまっていたようなので再掲します。
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こんばんわ、副島先生。以前Yゼミで先生の英文法の講義を受けていた元学生のsimonと申します。先生のご活躍は大学入学後にいろいろなところで目にして、ああ、自分はすごい人の講義を受けていたんだなあと感動しておりました。・・・しかし先生、今回の4月29日のぼやき、コレはいただけません。
そもそも基本的な部分での間違いが多すぎます。
>あの遠く離れた月(24万キロメートルもある)
月は地球から平均して38万キロメートルほどの距離にあります。
>地球の大気圏(地表から3万キロメートル)
先生、大気圏はそんなに厚くありません。スペースシャトルは地表高度200~300kmの所を飛行していますが、これはバッチリ大気圏外です。
>しかし、何百キロメートルとかを正確に飛ばすとなると、ものすごい技
>術が必要となる。
先生!もしかしてドイツのV-2ミサイルの射程距離は300kmあったことをご存知ないのですか?
>それは、地表から3万メートルまでは大気があって、それで空気抵抗が大きいから、
>静止出来ないので
先生。それは間違いです。衛星の軌道を廻る速度は地球中心と距離に比例するのです。そんでもって、地球の自転と同じ速度で公転するにはたまたま地表から36000kmの高度が必要だと言うだけの話です。<中略>
>すべて「静かの海」という平地に着陸した、ということになっている。
違います。
11号:静かの海
12号:嵐の大洋
14号:フラマウロ丘陵
15号:ハドリー峡谷・アペニン山脈
16号:デカルト高地
17号:タウロス・リットル峡谷
>今なら地球から精密な高性能望遠鏡で観察できるはずなのだ。
ムリです。宇宙望遠鏡ハッブルでも、月面の数メートルの物体は小さすぎて見えません。
先生。たとえば、英語に全く無知なものが英和辞典の欠陥を暴くことが不可能であるように、科学に無知なものが科学者のウソを暴けるとは思えないのですが、そこのところをどのようにお考えでしょうか?
副島先生はまず、基本的な科学の本や月ロケット計画についての本をお読みになってからこのぼやきを書くべきだと思います。
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真実を暴くのであれば、せめてご自身に科学的誤りがあってはいけないと思います。そうでなければせっかくの主張の信頼性が失われてしまうと思うのです。そこのところ、重ね重ねどうお思いでしょうか?
Yゼミの元生徒にも諭されていますが、「ご指摘ありがとう」なんてことは、天地がひっくり返っても、絶対に言わないのが副島先生。あまりに牽強付会な自己主張が強いため、「アポロ問題は政治問題である」というメッセージが伝わりきらず、次のように揶揄されることもあります。
副島隆彦に対する世間様の評判-2
だから、私は、自分が書いた「人類の月面着陸は無かったろう論」が引き起こした議論において、「人類の月面着陸を、再現してみろ」といい続けます。「アメリカ政府とNASAは、再度、宇宙飛行士を月面着陸させてそして、そして連れ帰って来なさい」と主張します。
だから、私は、自分が書いた「ヒトラーはホロコーストをしなかったろう論」が引き起こした議論において「ホロコーストを再現してみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「古代エジプト人にはピラミッドを作る技術はなかったろう論」が引き起こした議論に置いて「ピラミッドを再建してみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「東京オリンピックは実施されなかったろう論」が引き起こした議論に置いて「東京オリンピックを再現してみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「SMAPに森君はいなかったろう論」が引き起こした議論に置いて「森君を再びSMAPメンバーにしてみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「恐竜は実在しなかったろう論」が引き起こした議論に置いて「生きている恐竜を再現してみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「銀座に路面電車など走ってなかっただろう論」が引き起こした議論に置いて「銀座を走る路面電車を再現してみろ」と言い続けます。
だから、私は、自分が書いた「カブトムシには幼虫期は存在しなかったろう論」が引き起こした議論に置いて「カブトムシを幼虫に戻してみろ」と言い続けます。
だから、私は 自分が書いた・・・・・
ここまで言われると、副島ファンの私としても辛いです・・・。「アメリカ政治学分析」や「日本属国論」では右に出るものがいない無敵の副島先生ですが、国内問題や東アジア外交では、いかがでしょうか。
まずは2004年秋の「創価BBS」問題。お弟子さんの1人が主導した「創価BBS」がきっかけで、ご自身のサイトが激しいウィルス攻撃を受けたらしく、パソコンが起動しない!と窮々としておられました。で、その後に「創価学会批判は許さない」としてBBSを閉鎖してしまいました。
株式日記と経済展望:「副島隆彦のサイトもウイルス攻撃で創価BBSも閉鎖」(2004/9/29)
私は副島隆彦氏とは何の縁も無いから自由にものが言えるのですが、政治評論家の森田実氏が指摘するように、政治を研究するのなら創価学会を研究しなければ日本の政治は分からない。だから明らかに副島隆彦氏の「創価学会批判は許さない」と言う考えは間違っている。もし本当に掲示板をなくせば彼は創価学会系の言論人なのかという疑いも出てくる。だから執拗に名をなのれと言うのだろう。PHPのN氏も同じようなことを言っていた。
2005年の1月になってから私が気になったのは、南京虐殺の描写で問題になった、集英社『ヤングジャンプ』連載の「国燃ゆる」。副島先生は「2万人規模の虐殺は確かにあった」を支持する立場から、漫画家の本宮ひろ志にエールを送っていました。
副島隆彦「本日のぼやき」626:漫画家の本宮ひろ志氏を擁護し、彼への言論弾圧に対して抗議する(2005/1/13)
「南京虐殺は無かった」とか「まぼろしだ」とか言っているのは勝手だが、事実が事実として証拠となって次々に出てくるのは、どうせ隠せない。 戦争に勝つと思って、意気揚々と出撃する方は威勢がいいものだ。攻撃(進軍)すれば自分の命も危ない、ということで、戦闘に勝つと分かった方は、勢いに乗ってかなり残忍になる。だから、日本兵の一番乗り(尖兵)の中には、日本刀を振りかざして、敗残兵の中国人を捕まえては斬り殺したり、まとめて銃殺刑にして大量に殺して揚子江(の支流)に投げ込んだだろう。そういう写真が残っている。
かなり「勢いに乗って」書く先生ですから、「東アジア情勢」でも「月面着陸」のときと同様の勇み足があるのかもしれません。この問題で『親中国の朝日新聞が「南京大虐殺」を独り歩きさせたヤングジャンプの「反日漫画家」本宮ひろ志を許すな!』(2004/10/7)という記事を立てた「株式日記と経済展望」サイトを次にように批判していました。
◆ソース同上
副島隆彦です。「株式日記」サイトの主宰者であり筆者である人物も、仮名、匿名であるから、いくらしっかりした内容であり言論である、といっても、その信頼性はものすごく、格段に落ちる。自分の全存在をかけて言論を行えない者には、人々の尊敬は生まれない。陰から、森の隠者のように賢そうなことをいくら言っても、それは、闇の陰険者だ。私は、そういうのは一切合切、嫌いだ。
内容への反論ではなしに、人格や匿名性を批判しているので、イマイチ説得力がありません。ここまで来ると保守派の人たちは「ドン引き」かもしれませんね。では、次の例ではいかがですか。
気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板:[4156]私たちの優れた年配会員からのメールを載せて、私たちがもっともっと真実を知って行くために、この学問道場があることをみんなに知って貰いたい。(投稿者:副島隆彦 2005/6/28)
私の日本の女性政治家たちに対しての考えは、土井さんとは異なります。土井たか子も、辻本清美も福島瑞穂(ふくしまみずほ)も優れた日本女性であり、立派な日本の女性政治家だと思っています。
もうダメですか? 前後関係の文脈は、もし興味があればソースを読んでみてください。中国問題の専門家である宮崎正弘氏からもサジを投げられています。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(2004/12/7)
ところで副島さん、学生時代は左翼の活動家。著作は一度も読んだことはありません。二回ほどお目にかかっていますが、狷介な感じを受けました。著作は読む価値があるとは考えにくい。
ここまで言われてしまう副島先生ですが、それでも私は、彼の「アメリカ・ネオコン関連の分析」に限っては、読む価値があると考えています。
気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板:[4172]ロンドンでのテロは、アメリカとモサド(イスラエルの情報機関)がやったのだろう。(投稿者:副島隆彦 2005/7/8)
今朝、起きて新聞を見たら、ロンドン市内でテロが起きていた。これは、アメリカの情報機関の中にもぐりこんでいるモサドの仕業だろう。<中略>
アメリカ政府の各省の幹部にまでなっているネオコン・ユダヤ人どもと、イスラエルのモサドでCIAの中にもぐりんでいる者たちが、さらに暴走して、こういうテロのイベントをやる。
CIAの上層部は、ネオコン派との喧嘩で、機能麻痺を起こしていて、とてもこういう馬鹿なことには加担しない。CIAの上層部のWASP(ワスプ)の白人たちは、CIAにもぐりこんでいるモサドたちのと闘いで疲れきっている。アメリカのテレビ・ドラマの「エイリアス」がこういう真実を暴いて、このテーマで評判になっていた。
存在しもしない「アルカイーダ」というイスラム過激派のネットワークを名乗らせて、モサドが低劣で稚拙なやっている。 そのうち全部露見するだろう。
日本でもやがて、2年以内にこういうやらせの、イベント・テロが起きるだろう。狙われるのは、アメリカが喉(のど)から手が出るほどほしがっている日本の新幹線だ。アメリカ人は、もう通勤で車を運転することに死ぬほど疲れきっている。だから、日本の新幹線技術を通勤新線用に欲しくてならない。だから新幹線テロを起こすだろう。京都のそばあたりだろう。あるいは、今もゴタゴタと内紛が絶えない日本航空で起こされるだろう。
起こす日本のテロリスト集団を抜擢しなければいけないが、新左翼過激派の革マル派が最適ではないか。オウム真理教と同じような体質をしているし、まだ5千人ぐらいは活動家が残っているだろう。日本の警察がこれを推薦するだろう。・・・・これは私の予言(予測)です。こうやって日本もまた不可避に東アジア圏での戦争体制に、計画的に引き釣り込まれてゆく。
聞き捨てならない話です。
今日は引用が長くなってしまいました。お赦しください。
■参考サイト:
Griffin's Edge:6/30の書き込みに反応があったので、副島隆彦について考える(2005/7/9)
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コメント更新: 2005/8/15(月) 23:59 : コメント数:7
副島先生に対する認識は同じですね 2005/7/26(火) 12:46 なめ猫♪
こんにちは。
副島先生は以前、正論にもお書きでしたがいつのまにか連載終了でした。
とある雑誌社がユダヤ問題研究で名高い大田龍氏との対談を企画したところ、流れてしまいました。
私も世界を動かす影の勢力、ネオコンなどに対する分析は鋭いと思います。論者の人、すべてに賛同できる人は殆どいませんから是々非々で見て行きたいと思います。それにしてもこの手の関係でこういうこと書くのは、ヒロさん日記と草奔崛起さんとうちくらいのようですね。
陰謀論に嵌るヒト←ワロス 2005/7/26(火) 15:11 jsdhghsvgv
2005年度日本トンデモ本大賞は、副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店)に決定しましたよ。実に目出度(お目出度)いことです。
>聞き捨てならない話です。
↑ココは笑うところですか?w
「世界を動かす影の勢力、ネオコンなどに対する分析」といえば、朝生でおなじみの(他の出演者からいつも失笑をかう)田中宇センセイもお忘れ無く。
http://tanakanews.com/
性善説 2005/7/27(水) 01:03 ガイア
新幹線がテロの標的になるという話は、2001年9月11日以降、安全保障の専門家から何度も出ている話であり、それ自体目新しいことではないが、そのテロの結果、イギリスと同じようにアメリカの対テロ戦争に引きずり込まれるということを副島氏は見抜いている。
当時わからなかったことであっても、後になってから(いや本当は当時からわかっている人はわかっていた)表にでてくることがある。ロッキード事件の田中角栄((『田中角栄と毛沢東―日中外交暗闘の30年』(青木直人著、講談社)や「国策捜査」(『国家の罠』(新潮社))で逮捕された佐藤優氏(前外務省主任分析官・起訴休職外務官)もそういったことの一人だ。
リトルビッグホーンの戦い、米西戦争(「リメンバー・メーン」)、大東亜戦争(真珠湾攻撃)(「リメンバー・パールハーバー」)、ベトナム戦争(トンキン湾事件)、湾岸戦争(クエート大使の娘に偽証させる。油塗れの水鳥の映像(イラクではなく、アメリカの誤爆と後に国防総省認める))。
ボスニア紛争でのセルビア悪玉説(『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』(高木徹著、講談社))、東ティモール問題でのインドネシア悪玉説(『情報鎖国・日本―新聞の犯罪』(高山正之著、廣済堂))。
ニコロ・マキアヴェリの『君主論』は各国インテリジェンス専門家の必読書で、情報専門家の社交談義では『君主論』の読み方がテーマになることも多い(佐藤優氏)。国際社会では、今も昔も、権謀術数は当たり前なのに、日本人は性善説(国家・組織・個人)。人を疑うことを知らない。
世界標準の情報活動が今すぐにでも必要である。佐藤優氏は日本インテリジェンスの伝統(例:陸軍中野学校など)を呼び覚まそうとしている。フィリピン・ルパング島から帰還した小野田寛郎(ひろお)氏も陸軍中野学校の出身。国家(国内外)・組織・個人に騙されない強靭な個人をできるだけ多く作る必要がある。
トンデモ本大賞 2005/7/27(水) 07:53 通行人
>2005年度日本トンデモ本大賞は、副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店)に決定
これですな。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/tondemotaisho
2005taroron.htm
副島隆彦=小説家 2005/7/27(水) 17:19 masty
副島隆彦氏の本といえば、「裁判の秘密」、「法律学の正体」などは鋭い指摘で読ませるものがあった。ところが「預金封鎖」あたりからついていけなくなり、「月面着陸は無かったろう」論に至ってこの人は小説家に転向したのだと思うことにしている。本気で書いているというよりもUFO本のように引っかかる輩がいるから売れる。売れるから書くというスタンスではないかしら。その意味ではなかなかの腕で感心する。ノイズだらけでもたまには真実が入るのかも知れない。お暇のある方はどうぞ。
うーん、これはすごい。 2005/7/28(木) 23:08 ぷよぷよ
ヒロさんはいつも情報に厚みがあって参考になります。
副島氏の経済本はどうなんでしょう? 2005/8/15(月) 23:59 kenn
副島隆彦氏の本をいろいろ読んだ者です。このスレッドの主旨から脱線してしまいすいません。
副島氏の本を最初、真に受けて読んでたんですが、結構いい加減なことが多いということがわかりました。一応政治面が専門ということですが、ウオーターゲート事件のディープスロートが誰かというのははずしてましたね。僕が一番心配しているのは、彼の:やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくるという説です。(預金封鎖等も含めて)
副島氏のその辺の説や経済本の評価についてはどうなのでしょう?
ネット上でも政治的な面等の批判は多いですが経済面での氏の評価はあまりみあたりません。これが、あたるかどうかが氏にとって本当の真価が問われるときだと思います。
いろいろご意見お願いします。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦記
(転載貼り付け始め)
「重税国家 日本の奈落」
副島隆彦 祥伝社 2005年9月刊
この本では、「誰も竹中平蔵大臣には逆らえない。なぜなら、彼のバックにはアメリカのロックフェラーがついているから」という実態が明らかにされています。既に日本長期信用銀行(現・新生銀行)に8兆円もの税金をつぎ込んだあげく、わずか10億円で外資に売り渡した“実績”を持つ竹中大臣です。そこにはアメリカの強力な「支持」と「指示」があったことは明白です。
それと同じようなことが、今度は日本人の最後の貯金といわれる郵貯・簡保の350兆円でも行なわれようとしています。ところが、その竹中平蔵氏を「郵政民営化担当大臣」に任命するなど大変重用している小泉首相は、9月の総選挙では国民の圧倒的な支持を得て、自民党圧勝劇の立役者となりました。いわば「国を売る」人物たちを、国民が大喝采しているのです。私ならずとも、「この国は滅びるしかない」という気持ちにさせられるのではないでしょうか。
アメリカから言われるままにわが国の政治が動かされている悲しい実態が、大変よくわかる本です。それでも、わが国は今後さらに悲惨な状況を迎える可能性が大きくなっていますので、この“現実”を直視することが大切だと思います。 (なわ・ふみひと)
日本の戦後保守勢力は壊されてゆく
小泉純一郎がなぜ4年前の2001年4月24日に、自民党総裁選で地滑り的な勝利を収めて自民党総裁になり、そのまま首相になったのか。実はあのとき、日本遺族会という「職域」と呼ばれる自民党の集団党員票の50万票が、計画的に動かされたのである。あの頃から仕組まれた策略があったのである。
「小泉純一郎は自分たちの言うことをよく聞き、言うとおりに動くようだ」ということで、アメリカによって大抜擢されたのである。
残念なことだが、戦後の日本の歴代首相は、みんなアメリカが選んだのである。アメリカの前もっての推薦や承認がなければ、首相にはなれないようになっている。悲しいことであるがこれが大きな真実である。
そして首相になったあと、アメリカの言いなりになるにも限度があるということで、「いくら何でもそこまではできない」と言いはじめる首相は、アメリカによって首を斬られる。そしてまた別の人間がアメリカの忠実な家来として新たに選ばれてゆく。これが戦後60年間の日米関係の本当の姿である。
あのとき、アメリカの日本操り班の責任者たちにしてみれば、「コイズミならば郵政民営化を強行して、われわれに日本の郵便貯金を貢いでくれるだろう」ということで白羽の矢が立てられたのだ。
日本国内には600兆円の資金しか残っていない
小泉を支えている青木幹雄と森喜朗は、自分たちがアメリカに潰されたくないから、日本の郵貯・簡保350兆円をアメリカに差し出すことに合意した。しかし、綿貫民輔と亀井静香が筋を貫いて反対に徹した。
日本の金融資産をめぐる国民の悲劇はこの後も続く。私たちが真剣に警戒して、国民が団結しなければ、国内の資金を奪われ、もっと疲れ切り衰退してゆく。
国内には、もうあと600兆円(郵貯・簡保の350兆円と、各種の年金で200兆円。この他に正味の民間銀行の資金が50兆円)、これだけしか資金がない。この他には430兆円がアメリカ国債やドル通貨の購入という形で流れ出してしまっている。これはおそらくもう戻ってこない。アメリカは簡単には返さない。
アメリカの国債やドル通貨の暴落が、いくらなんでも数年後には起こるだろうが、このときこの430兆円は半分の額になる。それでもアメリカは返してくれないだろう。属国・日本が貢いだ金だから、自分たちのものだと思っている。そして、残る郵貯・簡保の350兆円の国内資金が狙われているのである。この大きな流れを止めることは誰にもできない。
アメリカによる「3つの対日金融攻撃」
アメリカは、日本からアメリカに強制的に流出されている430兆円を簡単には返さない。もし日本の指導者が「日本政府が保有する米国債のほんの一部を売って日本の財政赤字の穴埋めにしたい」と、一言でも言ったら、この政治家はただちに失脚させられる。新聞、週刊誌から奇妙なスキャンダル攻撃をかけられるだろう。これまでに何十人もの愛国派の政治家が、こうして失脚させられてきたのだ。
アメリカは、日本に対して3つの面から金融攻撃をかけている。
①つは、“ゼロ金利”政策の強要である。それで超低金利どころか日本の公定歩合を実質“ゼロ”にして、それで日銀の金融政策を不可能にした。中央銀行から金利の決定権限を奪い取ることで、日本という国の金融政策の舵取りをできなくさせた。
日銀の金融政策の権限として、あと残されているのは「通貨供給量の決定」だけである。しかし、この通貨量の決定についても、アメリカが日本財務省を脅して、日銀券(お札)を無茶苦茶な量まで発行させている。そして、財務省が発行する国債を日銀に引き受けさせて大量に買わせ、その資金で米国債を買わせている。アメリカに脅迫されて、日本の財務官僚たちがここまでおかしなことをやっている。
現金(お札)と国債を刷り散らして、それが世の中に溢れているので、やがてこの日本国債の暴落が起きる。お札の力(信用力)が暴落して、ハイパー・インフレが起きて貨幣価値が半減する。そのような時代がやがてやってくる。その直接の引き金は、アメリカでの米国債(10年ものの米財務省証券)が大暴落するときである。だから、日米同時だろう。
②つ目が、為替(対ドル円相場)をつねに110円台のゾーンに固定した。
円の実際の力は、今も1ドル=160円ぐらいしかない。それを110円ぐらいに円高にしておくことで、日本の輸出大企業の利益を低く抑え込んできた。
③つ目が、日本政府に巨額の財政赤字を背負い込ませて、放漫財政になるようにし向けた。
小泉政権はひたすらアメリカ(ブッシュ政権)の言いなりになって、今もアメリカの財政赤字を補填するために米国債を買わされ続けている。国内は資金不足に苦しんでいるがゆえに不景気から脱出できないでいるにもかかわらず、さらにアメリカに毎年30兆円も貢がされる形で米国債を無理やり買わされている。
アメリカに対しては一言も言えない小泉政権、財務省の考え方は、「徹底した課税強化」である。弱い国民をいじめることしかできない。国民から厳しく“年貢”を取り立てることに、もはや躊躇しなくなっている。そして国民から搾り取った資金を、またしてもアメリカに貢ぐのである。
人為的な戦争が引き起こされる
預金封鎖などという異常な事態が、こんな平和で安定した社会で起きるはずがない、と思う人が今も多いだろう。ここが肝心のところである。
日本国民を否が応でも金融統制体制(預金封鎖)に引きずり込むために、政府は戦争の危機を利用するだろう。北朝鮮情勢が一気に悪化して、ミサイルが日本めがけて発射されるとか、台湾海峡で軍事衝突が起きるとかの戦乱状況が巧妙に仕掛けられるだろう。
日米両国の政府は示し合わせ、結託して、両国の巨額の財政赤字(膨大な額の国債発行残高)を、一挙に吹き飛ばすために人工的に軍事的な脅威を作り出すのである。それによって、国民生活を緊急事態の統制下に置くだろう。金融経済面では、経済統制体制に突入してゆくだろう。
これらの作戦実施要領(マスター・プラン)は、日本政府の内閣官房で、「国家危機管理研究」の名で秘かに進められている。金融・経済の危機(国債の暴落と信用秩序の停止)を、政治・戦争の危機にすり替えて一挙に吹き飛ばそうという魂胆である。
その兆候の重要な一つが、現在進行している金融庁による主要な地方銀行の強制的な合併、経営統合である。地方銀行はどこも預金だけはたくさん集めているが、新規の貸出先がないものだから資金だけが内部に溜まって鬱血状態になっている。それで仕方なく国債をたくさん買うことで低リスクの不健康な経営を続けている。
地方銀行が大量に買い込んでいる国債が暴落することが予想される。そうなると、地方銀行の中の体力のないものが次々と破綻して、取り付け騒ぎが起きるだろう。その混乱を初期の段階で瞬間的に食い止めるために、今年の4月に「ペイオフ解禁」を全面実施し、「破綻した地方銀行の預金者には、1人当たり1000万円(と金利分)しか払い戻さない」という態勢を整えたのである。
「実物経済」の時代がやってくる
だから、やがて預金封鎖(預金の引き出し制限)を断行するのである。この強硬な金融統制も、戦争が迫りくる中で実施すれば国民の間から激しい反発や反抗が起きないだろうと、政府は目算を立てている。緊急時の国民統制の法律群で、一気に国民の反対を抑え込むつもりである。
このようにして日本国は奈落の底に落ちつつある。やがて日本の国債は暴落し、長期金利が跳ね上がる。それに連動してすべての金利が上がりはじめる。行き着く先にあるのは、今から60年前の敗戦の翌年に日本国民を襲ったハイパーインフレである。
そのとき、ペーパー・マネー(預貯金、株、債券)が大きく減価して、タンジブル・アセット(土地、貴金属、食糧、有用財物など)の価値(価格)が高騰するだろう。実物経済の時代がやってくるのである。
竹中「大臣」就任直後、株価は激しく乱高下した
1995年に始まった金融戦争で、日本はアメリカに大きく敗戦して金融属国化した。アメリカが直接日本を管理し、支配することになったのだ。日本は今やアメリカに直轄支配されている。そのアメリカが日本に送り込んだ手駒の代表が竹中平蔵大臣である。
和歌山県の履き物屋の息子である竹中平蔵が、現在の小泉内閣に「学者」という触れこみで入閣したのは、2001年の「経済財政担当大臣」としての就任が最初である。翌年の10月には、この経財相を兼務する形で「金融担当大臣」にも就任した。2004年には「郵政民営化担当大臣」と「経財相」を兼務する形で現在に至っている。まさに小泉内閣の経済政策の要である。
国会議員としての経験もまったく積んでいない「横入り組」のおかしな人間が、いったい誰の差し金で日本国家の金融・財政を動かす枢要の地位に就けたのか。このことを私たちは本気で考えなければならない。
竹中大臣が、2002年10月に経済財政担当大臣と金融担当大臣に就任したら、主要金融機関の株価が突如下がりはじめた。このときは、みずほや三井住友などの巨大銀行でさえも経営破綻するのではないかという危機感が日本列島を駆けめぐった。これがいわゆる「竹中ショック」と呼ばれる株式暴落だった。竹中平蔵が裏から指揮する策略に遭って、2003年5月には、りそな銀行が「国有化」された。
何のために銀行を国有化するのが流行するのか。それは銀行をいったん国有化しておいて、それからハゲタカ外資に「払い下げ」するためである。
ところが、このあと、「仕組まれたように」日経平均株価が急上昇して、主要銀行の自己資本比率が改善した。半年前の大銀行の軒並みの破綻危機の噂が嘘のように静まりかえった。
そしてこのあと、ひと息つく間もなく、今度は郵便局の民営化、郵便貯金の民営化の話が小泉政権の至上命題、事実上の「対米公約」の実現として急浮上したのである。ここに日米密約がある。
国会で追及された「アメリカの手先」ぶり
だからこの5年間の日本の金融制度改変における動きの最先頭には、必ず竹中平蔵という裏のある「学者大臣」が顔を出す。竹中大臣の経歴と動向の背後を洗っていくと、そこには絶えずアメリカ金融財界の意向が見え隠れする。
竹中大臣が、小泉政権の内閣改造によって金融担当大臣に任命されたのは2002年の9月30日である。そのほんの少し前の9月13日に、小泉首相はニューヨークでブッシュ大統領と会談を行なっている。ここで小泉政権は日本の大銀行の不良債権処理の加速をアメリカに約束している。この「対米公約」のすぐあと、小泉の帰国後すぐに内閣改造が行なわれたことに、私たちは注目しなければならない。
実は、この内閣改造の背景には、「銀行に対する公的資金の投入の是非」をめぐる、小泉政権内の閣僚たちの激しい意見対立があったのである。竹中氏が金融大臣の職に就任する前は、柳沢伯夫・衆院議員が金融大臣を務めていた。柳沢氏は大蔵省主税局出身の官僚あがりである。
その柳沢金融大臣が抵抗の末に更迭され、その後釜に竹中氏が就任した背景には、アメリカからの強い圧力があった。はっきりとそう主張する国会議員がいる。まさに竹中ショックが金融界を震撼させていた最中の2002年11月7日に、参議院の財政金融委員会で行なわれた議員質問を国会会議録から引用する。質問者は共産党の参議院議員・大門実紀史氏である。
■大門議員
私は、柳沢大臣が更迭されたということも、どういうことなのか、アメリカの特にハバードさんが向こうでしゃべっていることも含めて調べてみました。すると、日本では9月13日にハバードさんと柳沢大臣の会談があって、ハバードさんが、「更に厳しい銀行検査をやるべきだ」と、「将来的には公的資金も念頭に置いて銀行の改革をするべきだ」と、このへんのことを柳沢大臣に言われたら、柳沢大臣は「日本はそんな状態にはないんだ。今は必要ない」と突っぱねられた。ここで意見対立があったという報道がワシントン・ポストでされています。この後、柳沢大臣が更迭されて、竹中大臣が就任された。
竹中大臣については、元々アメリカの評価は高いわけですけれども、この経過の中でかなり高くなってきていますね。10月30日、竹中大臣が就任されるとすぐ、ワシントン・ポストのインタビューでハバードさんが「彼は優秀だ。これで不良債権処理が進む。歓迎」というふうなことを答えております。その後も、(ハバードさんは)竹中方針支持、いくら自民党の皆さんや銀行から反発が出ても、異例の支持表明をする。「竹中案でやらないと日本は大変なことになる」という警告までやる。ちょっと異常なかかわり方だと思います。
そこで、ずばり聞いてみたいなと思っているんですけど、竹中大臣が金融大臣を兼務されることについて、アメリカの強い期待があったんではないかと思いますが、そういうことを聞かれておりませんか。
(参議院財政金融委員会 平成14年11月7日)
このように竹中平蔵はグレン・ハバードの手下なのである。このグレン・ハバードという人物は、ブッシュ政権第1期目に大統領経済諮問委員会の委員長を務めていた人で、現在はコロンビア大学ビジネススクールの学長である。現在の委員長はベンジャミン・バーナンキが務めている。
そして、このハバードとバーナンキが、来年退任するグリーンスパンの後のFRB(日本の日銀に相当する)議長の座を争っているのである。この2人は、この時期に何としても大きな業績を上げなければならないのだ。だから日本が狙われているのである。日本の郵政民営化法案が「第1回戦(参議院)」で否決されたことで血相を変えているのがハバードだ。アメリカに資金を持ち出すのが、これで遅れてしまう。
このハバードが司令官になって、「日本の不良債権の処理速度は遅すぎる。もっと加速せよ」と露骨に日本政府に圧力を加えて、日本の金融業界を混乱に陥れたのだ。ハバードの親分はポール・ヴォルカー元FRB議長であり、その上は“世界皇帝”デイヴィッド・ロックフェラー(90歳)である。
柳沢金融大臣、いきなり更迭の真相
竹中大臣自身が認めているごとく、このハバードともう一人、ブッシュ政権1期目で大統領補佐官(経済担当)だったローレンス・リンゼー氏が、竹中氏の親分筋に当たる。竹中大臣は、ハバードが2003年にいったん大統領経済諮問委員会の委員長を辞任したときにも、「彼とも個人的なつながりが深かった」と述べている。
日本の大銀行の不良債権処理を加速することを中心に据えた竹中プランの実行には、グレン・ハバードからの指令という性質が強い。ハバードは何度も日本の新聞・雑誌に登場して、竹中の強引なやり方にエールを送っていた。このことが日本政府や各省の対米交渉担当の官僚たち、そして銀行のトップたちに、かなりの圧力として働いたことがうかがえる。
前出の大門議員によると、竹中大臣は、金融担当大臣に就任する以前から、ハバードら米政界の経済高官と会って、密に連絡をとりあっていた。というか、「タケナカ、次はこうしろ。その次はこうだ」と指図を受けていた。
大門氏の質問に対し、竹中大臣ははっきりと「経済問題に関する(アメリカ政府との)情報交換は、当然のことながらしております」と答弁している。タケナカとハバードはハーバード大学で秘密の会合の参加者として出会っており、2人の関係はそのときに遡るとされている。世界各国の金融と石油を牛耳っているのは、言わずと知れたことだが、総帥のロックフェラーである。
柳沢大臣はハバードに怒鳴られて、即刻更迭された。そしてすぐさま竹中平蔵が経済財政担当大臣のまま兼務した。この異様な内閣人事となった直接のきっかけは、小泉政権の主要閣僚たちの間の「大手銀行に対する公的資金の注入の是非」における意見の強硬な対立にある。
2002年9月13日に行なわれた「柳沢・ハバード会談」において、ハバードが「もっと厳しい銀行検査をやるべきであり、公的資金の注入も念頭に入れたうえでの銀行改革を行なえ」と、恫喝をかけた。それに対して、柳沢大臣が「日本はそんな状態にはない。今はまだ必要ない」ということで突っぱねた。
ところが竹中大臣は、「経営内容が著しく悪い銀行には早めに公的資金を注入するべきだ」と前々から主張していた。これが、アメリカ側が日本の大銀行の乗っ取りを狙った「ゾンビ企業の、市場からの即刻退場」論である。日本人であれば、同じ日本人が何千人も働いている企業が苦況にあって、今にも倒産するというときに、これに対して「ゾンビ企業」などと悪罵を投げつけることはとてもできない。「ゾンビ企業」などと平気で言えるのは、アメリカの手先になりきった人間たちだけである。
竹中平蔵は、「弱い銀行を国有化したり、閉鎖させたりするなどの荒療治を行なったうえで公的資金を投入すべし」という立場だ。それに対して、「そこまでやる必要はない」 とする柳沢(金融担当)大臣と、強硬路線を取る竹中(経済財政担当)大臣の路線対立が先鋭化していた。
小泉首相は、不良債権処理の加速を「対米公約」としてプッシュ大統領に個人的に約束してしまった以上、強硬路線を取らざるを得ないところに追い込まれてしまっていた。だから、アメリカの「意向」に何度となく反発した柳沢大臣の首を切って、アメリカのお気に入りである竹中氏を金融大臣に据えることでアメリカの意向に応えたのである。
日本政府が圧力をかけられた決定的場面
世界皇帝デイヴィッド・ロックフェラーの不興を買った人間は、ただでは済まない。たかが属国日本の大臣の首など、彼の一言で切り落とせるのである。それをD・ロックフェラーは実際にやってみせた。日本の政・官・財の指導者たちは、このとき一様に恐れおののいた。
D・ロックフェラーが柳沢金融大臣と会った同じ日の2002年2月27日、D・ロックフェラーは小泉首相を首相官邸に表敬訪問している。時間はわずか30分強というところだ。その後、緊急の臨時閣議が1時間近くも開かれている。その晩には、小泉首相は読売新聞社会長の渡邊恒雄氏らの「山里会」(ホテルオークラの日本料理店「山里」が会合場所であることから名付けられた)に参加し、彼らに相談した。
というか、その日何が起きたのかを実力者たちに伝えた。ティモシー・コリンズらが、自分たちの主張を通すために親分のロックフェラーを同行させ、柳沢大臣に圧力をかけたことはこれで明白である。
柳沢および金融庁と小泉・竹中内閣府(ちなみに「経済財政担当大臣」というのは内閣府に所属している特命大臣である)の対立だけでは済まない。その裏側には世界の最高実力者であるデイビッド・ロックフェラー自身の強硬な対日要求があったのである。
金融庁による「金融ファシズム」が日本を襲っている
今の日本国の金融政策を動かしている得体の知れない「金融庁」という役所がある。日本銀行が持っていた「民間銀行を監督・検査する権限」を奪い取ってできたのが金融庁だ。財務省国際金融局の、アメリカ財務省や商務省べったりの手先集団が組織替えで枝分かれしてできた組織だ。
だから、初めから裏のある役所である。アメリカのニューヨークの金融財界が、日本の銀行を乗っ取るために作らせた、銀行いじめのための恐ろしい国家機関なのである。
今、この金融庁を上から実際に握りしめているのは竹中平蔵大臣である。2001年に竹中平蔵が大臣に登用されたときに、省庁機構の改造があり、省の数は10になった。ところが、その後、竹中のような「内閣府特命担当大臣(経済財政政策)郵政民営化担当」などという名のつく大臣をいくつも作っている。谷垣財務大臣がちゃんといるのに、経済財政担当大臣とか金融担当大臣とかを置いている。私たち国民は、新聞を読んだだけでは何が何だか訳がわからない。日本はここまでおかしくされているのだ。
金融庁という恐ろしい役所は、アメリカが圧力をかけて日本に無理やり作らせたものである。日本の金融機関、すなわち大銀行と地方銀行群に、金融検査という恐ろしい手法で直接襲いかかり丸裸にしてしまう。
そこまでやる権限がはたして金融庁なる役所にあるのだろうか。企業は自分の責任で自由に経営できるはずだ。経営に失敗すれば自己責任で倒産すればいい。だから、官僚(役人)が強制的な検査権や調査権を振り回すのはおかしい。「金融システムを守るため」というのも怪しい言い訳で、本当は日本の金融資産をアメリカに投げ渡すためだ。
ネオコンが支配する統制国家・アメリカ
ネオコン派が支配するアメリカは、策略によってアメリカ国民を戦争に引きずり込んでゆく。アメリカ国民に対しては、「テロリストが攻撃してくるので、アメリカは常時警戒態勢下に置かれてもやむを得ない」として、アメリカ国民が常時監視される統制社会あるいは全体主義国にされつつある。今のアメリカは、実際に旅行で行ってみるとわかるが、息苦しいまでの統制国家である。
今のアメリカ人は、飛行機を乗り降りするときに、空港の検査で靴を脱がされ、バンドをはずされて、バッグの中の下着まで引きずり出される。あの身体検査の屈辱にアメリカ人は皆、じっと耐えている。かわいそうな帝国臣民である。
アメリカ人たちは、凶暴化する自分の政府からの厳しい監視下に置かれているのである。「イラク戦争反対」と言うことさえできないような国になっている。今のアメリカに自由はない。
アメリカには、秩序維持の名目で、「愛国者法」ができた。これは国家の安全を守るという名の下に、アメリカ国民の言論を統制し、令状なしの捜査を容認し、証拠がそろわなくても被疑者を犯罪者として起訴できるという法律である。こういう法律でアメリカ国民を徹底的に監視する警察国家への道をひた走っている。
アメリカ知識人の中には、デモクラシーの基本原理を信じているリベラル派の人々がたくさんいる。しかし、彼らがこのことを表だって書いても、テレビ、大新聞のメディアが黙殺する。アメリカのマスコミも日本と同じく統制されているのだ。
2008年、極東有事から金融統制へ
小泉の対中国外交の失敗は、日本国にとってやがて災いとなって降りかかってくる。それは2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博の頃に噴き出すだろう。アメリカは、極東地域に戦乱(戦闘状態)を生み出す計画である。アジア人どうしをいがみ合わせる。北朝鮮と再度の緊張関係の勃発と、台湾海峡をめぐって中国が台湾に向かって軍事攻撃を仕掛けるように動かすだろう。
アメリカ軍はイラクから撤退の準備をしている。これを「出口戦略」と呼んでいる。そしてその次に、隣のイランの核開発施設に先制攻撃を仕掛けて反抗国イランを抑え込むだろう。これが終わった頃に、今度は東アジア(極東)が舞台となる。
世界の火薬庫は2つの地域しかない。それは中東と極東の2つである。中東での戦乱が終わったら、次は極東に火をつけるのである。これが世界覇権国アメリカの世界統治の手法である。アメリカは戦争をやらなければ国内の経済がもたないのだ。戦争をやることで経済を刺激するしかないのである。
そのときに、どういう状況が生まれるか。たとえば北朝鮮のほうから奇妙なミサイルのようなものが飛んできて、日本人が死亡するという事態が計画的に引き起こされるだろう。あるいは、日本の新幹線が爆弾テロあるいは脱線事故を起こされて大事故になるというシナリオが考えられる。これも大きな意味では政治謀略の一環として行なわれるだろう。
そのときに日本国内に大きな緊張が走り、日本国民が青ざめる。ついでに、一気に金融統制が断行され、預金封鎖も実行されるのである。金融統制令、すなわち旧札の使用停止と銀行からの引き出し制限(預金封鎖)がこのとき行なわれるのである。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
「この「第2ぼやき」記事を印刷する」
大本教は、明治、大正、昭和に栄えた新興宗教の教団のひとつであり、特異な歴史を持っている。ここでは、1921(大正10年)の教団への弾圧と、1935年(昭和10年)の大弾圧を記しておくにとどめる。 宗教教団のありかたを、私は、最近深く考えるようになった。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「出口王仁三郎 三千世界大改造の真相」
中矢伸一・著 KKベストセラーズ刊
1993年8月刊
日本が世界の雛型(ひながた、相似形)であるということは、最近では多くの人が知るところとなっています。その地形が世界の縮図のようになっているだけでなく、日本で起こることがやがて規模を大きくして世界のどこかで起こると見られています。
そのことを早くから明らかにしていたのが、神霊世界の大巨人と言われる出口王仁三郎でした。そして、当時は「世界の雛型である日本で起こることは、まず大本で起こる」と言われていたのです。神霊界からの導きでそのことを熟知していた出口王仁三郎は、世の立て替え・立て直しの模型(かた)づくりの意図を持って、官憲による2回に及ぶ大本の弾圧を誘発したと見られています。
その1回目の弾圧が模型となって、日本は第二次世界大戦に破れ、原爆の投下という形で悲惨な終戦を迎えます。しかし、大本の2回目の弾圧が1回目とは比較にならないほど徹底的な破壊を伴う激しいものだったことからして、それが日本に移写された場合は、1回目をはるかに上回る悲惨な形になると見られているのです。
そのことが、出口王仁三郎が「自分の死後にトドメの予言が降ろされる」と予告した日月神示によって、いま明らかにされています。
それは、聖書にある「終末」や「アセンション(次元上昇)」とも相通じる中身となっており、今日の世界情勢や地球の状態から判断してますます現実味を帯びつつあります。世界の雛型の国に住む私たち日本人にとって、決して無関心ではおれない問題です。そういう観点から、少し長くなりますが、以下の抜粋にじっくり目を通していただきたいと思います。 (なわ・ふみひと)
●これから起こる日本の2度目の立て替え
王仁三郎によれば、大本は「型」をするところであるが、この「型」にも2種類あるという。ひとつは、神霊界に起こったことが、その写しとして地上現界の大本の中に現象化することである。これは「模写(かた)」と表記される場合もある。今ひとつは、これから地上界に起こる立て替え・立て直しを、大本の内部において「型」として演出すること。これは「雛型(かた)」と表わされる。
こうした意味において、『大本神諭』には次のような神示が多く出されている。
(引用はじめ)
世界にある事変は、明治三十二年から大本の中に模写(かた)がして見せてあるぞよ。
大本の雛型(かた)は、神界の仕組みであるから世界中へ映るぞよ。
この綾部の大本は、世界に出来てくる事を前に実地の型をして見せてあるから、十分に気をつけておくがよいぞよ。
このような大もうな御用、真実の御用になりたら人民の中では出来んから、模型(かた)を命じて御用さすぞよ。
(引用終わり)
これらはすべて神界で起こった立て替え・立て直しの仕組みが、現界では大本に反映し、大本で型として出されたことが世界に写っていくことを述べたものである。
さらに、この移写の仕方には、三段の型と呼ばれるものがある。簡潔に言えば、神界で起こったことは、続いて幽界に反映し、そして地上現界に写る。立て替え・立て直しの経綸の場合、その“受け皿”的役割を担った大本に写ってくる。
また、大本に起こった立て替え・立て直しの型は、まず日本に写る。その後に世界に移写していくというものだ。つまり、いずれの場合も三段階を経るということである。
大本は、明治25年旧正月から昭和18年元旦の50年の間に、この「三段の型」を実演したのであった。明治25年から昭和18年までの50年間のうち、大本は2回にわたる「立て替え」を経験している。「第一次大本事件」と「第二次大本事件」である。
大本にあったことが日本に移写するとすれば、日本においても「立て替え」が2回起こらなくてはならない。
第1回目の立て替えである「第一次弾圧」は、日本においては大東亜戦争における敗戦という形で写ってきている。しかし、大本の場合もそうであったように、一度目のこの立て替えにおいて、すべてが壊されたわけではない。
一度は無条件降伏に追い込まれ、体制改革を受け入れた日本であったが、その立ち直りは極めて迅速であった。日本人ビジネスマンは企業戦士などと呼ばれて世界中を駆けめぐり、世界第2位の経済大国になるまでに成長した。
これは、大本が第一次弾圧の痛手を乗り越え、宣伝使の活躍によって世界の五大陸にまで支部を設立し、いわゆる「大本の黄金時代」を築いた時の“型”が、そのまま移写されたものではないか。とすれば、第二次弾圧の移写である日本の2度目の立て替えは、これから起こることになる。
第二次弾圧というのは、規模においても、残虐さにおいても、第一次弾圧をはるかに上回るものであった。とすると、日本にこれから起こるであろう「第二次立て替え」は、大東亜戦争末期に現出した立て替えとは比べものにならないものになる。
ともかくも、王仁三郎の言うように、大本は「型」を行なうところであった。そしてその「型」には、“善”の部分もあり、“悪”の部分もあった。
50年間に及ぶ大本の雛型神業は、けっして平坦なものではなかった。むしろ、いろいろな人間が集まり、つねに様々な思惑が渦を巻いていた。大本の内部でも多くの派閥が発生し、互いに反目し合うこともあった。
大本内部でのゴタゴタは、初期のころから枚挙に暇のないほどある。特に、開祖存命中は、王仁三郎に対する風当たりは、大本内部においてかなり強かったようだ。しかし、大本とは雛型をするところである。そこには、善的な型も悪的な型も含まれる。
『大友神諭』には、次のように記されている。
(引用はじめ)
大本にありた事件は、大きなことも小さなことも、善いことも悪しきことも、皆世界に現れてくる。
大本は‥‥いつになりても善い“かがみ”と、悪い“かがみ”とが出来る大望な所である。
万古末代、善と悪との鏡を出して、善悪の見せしめを致す世界の大本となる尊いところである。
大本は善悪二つの世界の型を出すところ、他人に傷はつけられぬから、ナヲの血筋に悪の御役をさせるぞよ。
「ナヲの血筋に悪の御役をさせる」とある通り、大本内部を攪乱させる人物は、ナオの血統から出ている。長女の大槻米夫妻、それに三女の福島久夫妻がこれに当たるとされる。(中略)
(引用終わり)
王仁三郎は、昭和20年8月、広島に原爆が投下された直後、泉田瑞顕氏にこう語ったという。
(引用はじめ)
日の雨が降るというのは、この程度(広島原爆)のことではない。今は序の口で、本舞台はこれからじゃ。
(引用終わり)
それに王仁三郎は、息を引き取る数日前、「わしの役はこれで終わりじゃ」とも言っている。王仁三郎は、50年に及んだ雛型経綸を遂行する役目を終えて昇天した。そして、今や大本で演じられた善悪の雛型が日本に拡大し、移写する段階に来ている。王仁三郎の放った予言は、これから成就するのである。
(引用はじめ)
三千世界の大峠はこれから来る
(引用おわり)
大本に見られるような、それまで抑圧されていた神々――それはいわば日本の国祖神ともいうべきものであるが――の復権の兆候は、すでに江戸末期より起こり始めている。黒住教、天理教、金光教といった各霊的磁場の発生がそれである。
そしてこの動きは、明治25年旧正月に、出口ナオの肉体を機関として降ろされた“初発の神勅”につながってくる。
ナオに憑かった“艮の金神”は、その神勅の中でこう断言する。
(引用はじめ)
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。これが違うたら、神はこの世に居らんぞよ。
(引用終わり)
しかし、ナオの存命中に、そのような大変革は起こらなかった。王仁三郎の存命中にも、とうとう起こらなかった。
では、この“艮の金神”なる神の言葉は、まったくの戯言だったのだろうか。王仁三郎が放った数々の予言は、完全な妄想の産物だったのだろうか。
その答えは、今さら言うべくもないが、そうではない。この言葉や予言が実現するのは、これからである。
日本は現在、経済的には豊かになり、市場に物資はあふれ、国民は飢えることもなく平和に暮らしている。だが、今の世の中が、金・物主体、我れ善し、強い者勝ち主義の上に成り立ち、神をなきものにしている「体主霊従」の世であることには変わりはない。日本の国民は相変わらずエスタブリッシュメントたちに支配され、搾取されている。日本だけではない、世界中が同じ状況にある。とすれば、その世を立て替え・立て直し、「霊主体従」の神の世にするという予言は、これから成就すると見た方がよい。
『大本神諭』『伊都能売神諭』、そして『日月神示』へ
王仁三郎によれば、大本における「地の準備作業」の期間というのは、明治25年旧正月から昭和18年元旦までの、満50年間である。
その準備神業の期間が終わったとされる翌年の、昭和19年6月10日、大本とは関わりのないところで、不思議なことが起こる。
神道研究家の岡本天明は、神霊に導かれるかのように、この日、千葉県成田市台方にある麻賀多神社の境内末社、天之日津久神社に参拝していた。本来画家である彼は、このころ矢立と画仙紙を持ち歩く習慣があり、この日も例外ではなかったという。
参拝を済ませ、社務所で休んでいると、突然、彼の右腕の血管が怒張し、見えざる力に司配されて制御がきかなくなった。たまらず、持っていた矢立を画仙紙に当てたところ、勝手に自分の右手が動き、スラスラと文字を書き始めた。これが『日月神示』の発祥である。
以後、およそ16年間にわたり、この神示は断続的に書記されていく。
『日月神示』は、内容をつぶさに比較検討すれば明らかだが、出口ナオの『大本神諭』、王仁三郎の『伊都能売神諭』の流れを汲むものである。
本来、この神示は大本内部で出されるはずであったと言われる。しかし、戦前における厳しい言論の統制下にあり、しかもいずれ徹底的な弾圧を受ける大本では、本質的な部分を伝えることが難しかったので、大本とは別のところで降ろされたのである。
したがって、『日月神示』は、黒住教の発生から、天理、金光、大本へと至る霊脈の流れを完全に受け継いでいる。しかも、「三千世界の立て替え・立て直し」という根本大改造を主宰する神の意志の、本質的部分が含まれているのがこの神示なのである。
しかし、この神示が降り始めた当初の天明は、事の重大性に気づいていない。
原文は、漢字、かな、記号が入り混じり、とても読めたシロモノではなかった。
また、天明自身、もともと霊媒的な体質を持ち、過去にも様々な霊的な研鑽を積んできており、霊が憑かるということもそれまでに何度もあった。この当時は苦労に苦労を重ね、貧のどん底にまで落ちていたため、『日月神示』が出た時も、「自分のごとき者に憑かる霊だから、どうせ大したものではあるまい」と、放っておいたという。
(中略)
岡本天明は、明治30年12月4日、岡山県に生まれた。若い頃から画家としての天分に目覚め、上京して苦学しながら、画業の研鑽に励んでいる。
大正8年頃、天明は知り合いの子供によって、大本の本部に連れて行かれる。そこで色彩に関する講義を聞いて感銘を受け、大本に入信することとなった。(中略)
大正10年の第一次大本事件により、天明も職を失うが、(出口)日出麿の誘いにより、創刊したばかりの『人類愛善新聞』の編集長に就任する。しかし、昭和10年に起こった第二次弾圧により、『人類愛善新聞』も手入れを受け、天明も再び失業し、路頭に迷うことになった。これを機に、天明は大本とも無関係になったというわけである。それまでは、大本とも深く関わっており、王仁三郎から直接、論稿の代筆を依頼されることもあった。(中略)
その後、天明は鳩森八幡神社の代理神主を務めることになった。天明が成田の天之日津久神社に参拝に行ったのはこの頃のことである。
後に天明は、矢野シンという協力者によって、自分に降りている神示が、経綸上極めて重要視されていた「日の出の神」からのものであると知らされるのである。(中略)
そして数カ月後、天明は大本本部に赴き、この神示を調べて欲しいと差し出している。しかし、悲しいかな門前払い同様の扱いを受けてしまう。再度訪ねてみても、まったく相手にされず、その時は男泣きに泣いていたという。
取り次ぎの者が、大本の外部に降りた神示などというものに理解を示すわけがない。王仁三郎がこれを見たとしたら、また違っていたであろうが‥‥。
ここで、王仁三郎の遺した詠歌を明らかにしたい。今まで秘められていたこの詠歌に記された予言は、『日月神示』に示された内容と驚くほど酷似しているのである。
王仁三郎の遺した『続・瑞能神歌』
王仁三郎は、昇天前、『続・瑞能神歌』という題の予言を口述し、筆録させていた。
泉田瑞顕氏は、筆録したこの神歌を大事に保管し、今までほとんど公開することもなかったが、この度、本書において発表することにした。
王仁三郎が、この神歌をいつ口述したのかは、泉田氏も昇天された今、確認できない。ともかく、過激な予言内容により発禁処分を受けた『瑞能神歌』に続編があることさえ、あまり知られておらず、それだけでも価値があると思われる
『瑞能神歌』に詠われた内容は、ほとんどが大東亜戦争による日本の敗戦――すなわち、日本の一度目の立て替えを予言したものであった。『続・瑞能神歌』は、これから起こる二度目の立て替えと、世界の立て替えを予言したものとみて間違いない。
以下、ほぼ全文を掲載させていただくことにする(公開が許されていない箇所については、伏せ字とするか、削除させていただいた)。
シベリア狐は死にたれど 醜(しこ)の曲霊は種々に
妖雲呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オホーツク海や千島船 カラフト島をゆさぶりて
雪割草の間より 暗雲低く仇鳥(あだどり)の
舞い下り上る怖ろしさ
北海道から三陸へ なだれの如く押しよする
ここを先どと連合の 戦の場や神の国
華のお江戸は原爆や 水爆の音草もなき
一茫千里大利根の 月の光もあわれぞかし
残るは三千五百万 ○○○○○○の旗の下
どっと攻め入る○○○○の ○○○○沿いや人のなく
非義非道の場所せまく ○○○○○○○○○○
あわれ崩るや○○○ 血汐に赤き統一も
○○○○の殺戮も ここに終りて神の子は
再び原始にかへるぞかし
大江の幽山に立籠めし 醜の邪霊の重なりて
今は九尾の本姿 世界隅々またがりて
組んずほぐれつのたうつる 姿は哀れ曲津神(まがつかみ)
○○○○○○○○○○
物質界の曲津神 狂人の如く振舞いて
世は様々の相克ぞ
世の大本も散り失せて 月の輪台の影あわれ
お蔭信心なしいたる 信徒も今ははなれ去り
真実の三千五百万 残る教の幕開きは
此の時からと高熊の 山の五十鈴や清水台
国常立の大神の 岩戸開きはこのときぞ
固き厳に手をかけて 振うて落す地獄道
ノアとナオとの火水霊 現れ出でてゆさぶれば
一天にわかに掻き曇り 矢を射る如く流星の
地球に向いて落ち来たる 大地一度に震動し
吼えば地軸の回転も 止るばかりの大音響
物質浄土は忽ちに 地獄餓鬼修羅場と化す
山は崩れて原野裂け 人はあわれに呑み込まる
身の毛もよだつ凄まじさ 今明かに書き置くぞ
三段いよいよ開く時 三千余年の昔より
国の御祖の選まれし
――(中略)――
神代乍らの祭政一致 開き始めて日の本の
――(中略)――
ここに従ふ三五(あなない)の 人の心ぞ尊とけれ
宇宙を拝し宣りませば 世界は輝きおのころの
東天に向い伏し拝む 地上天国この秋ぞ
一読しておわかりの通り、これは明らかに日本の大峠と世界の大峠を予言したものである。
日本の立て替えについては、シベリア方面から外国の軍隊が、突然に攻め入ってくることが記されている。この外国軍は、「北」からやってくる。そして北海道、三陸を通り、なだれの如く押し寄せて、日本列島を占領する。
さらに、首都東京には核攻撃もあることがハッキリと示されている。
このような大動乱により、日本の人口は3500万人になるという。そして非道な殺戮が、ある一定期間続き、残された因縁の身魂は再び原始の生活に還るとある。
続いて世界の立て替えが始まるが、この神歌によれば、空から流星が降ってくるのだという。
これをきっかけに、地軸を揺るがす大激変が起こり、地球全土は修羅場と化す。そして、ありとあらゆる大掃除が行なわれた後、岩戸は開かれ、祭政一致の世となり、地上天国が顕現する、というのである。
王仁三郎の遺した『続・瑞能神歌』に示された予言は、このように厳しく、悲惨なものとなっている。
だが、『日月神示』に示された未来予言も、まさにこの『続・瑞能神歌』と共通する部分が多い。それらの予言の一部を見てみよう。
同じことを二度繰り返す仕組み
大本では、立て替えは2度あった。大正10年の第一次大本事件と、昭和10年の第二次大本事件の2回である。
これが雛型として日本に移写して来るとすれば、日本の立て替えも2度あることになる。1度目は、大東亜戦争における敗戦という形で実現した。そして、2度目の立て替えは、これから起こる。
日月神示には、日本の立て替えが2度あることが、戦争終結以前の昭和19年の頃より、明確に示されていた。
それによれば、日本は戦争に負けても再び勢力を盛り返す。しかし、これは悪が再び栄えた形での復興であり、結局また同じことを繰り返すことになる。そして大本の雛型がそうであったように、破壊の程度は2度目の方がはるかに深刻なものになるという。
同じこと二度繰り返す仕組みざぞ。このことよく腹に入れておいてくだされよ。
出てきてからまた同じようなこと繰り返すぞ。今度は魂抜けているからグニャグニャぞ。グニャグニャ細工しか出来んぞ。それに迷うでないぞ。
いま一度、悪栄えることあるぞ。心して取り違いないように致されよ。
神の国、一度負けたようになって、しまいには勝ち、また負けたようになって勝つのざぞ。
まだまだ俘虜(とりこ)になる者沢山あるなれど、今度の俘虜まだまだぞ。いずれ元にかえって来るから、元にかえってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に捕らえられる者出てくるのざぞ。次はひどいのざぞ。これも因縁ざぞ。
今度捕らえられる人民沢山にあるが、今度こそはひどいのざぞ。牢獄で自殺する者も出来てくるぞ。女、子供の辛いことになるぞ。九分通りは一度出てくるぞ。それまでに一度盛り返すぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ。まだ一段下あるぞ。一度はそこまで下がるのぞ。今ひと苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ。地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めんところざから、悪魔と神ばかりの世になるのぞ。
王仁三郎も、『続・瑞能神歌』の中で、大峠の段階として“三段の幕”が用意されていることを予言している。
日本は、戦後の荒廃から立ち直り、見事に経済復興を成し遂げ、再び国力を盛り返した。しかしその一方で、日本人は、かつて美徳とされた多くのものを失った。精神的には、日本の歴史上、ここまで堕落した時代はないと言える。
金・物主体の我れ善し主義は、老若男女の区別なく、子供に至るまで浸透し、国家の長たる政治家たちはその親玉のような存在である。
今や日本の人民は、神示にある通り完全に“骨抜き”にされてしまった。現在の日本人は、国土を守ろう、国家を守ろう、家族や同胞を守ろうという意識さえない。神の道とは何か、真の日本精神とは何かなどということは、寸毫だに考えない。
今、外国軍から強大な武力をもって攻め込まれれば、何の苦もなく日本は陥ちる。そして土地や財産はすべて略奪されるだろう。それが、夢物語ではなく、まもなく現実となって起こることが、神示によって警告されているのだ。
世界が1つになって日本に攻めてくる
『日月神示』には、日本の2度目の立て替えは、世界が1つになって日本潰しにかかることによって起こること、そしてその企みは、国民の知らぬ間に水面下で進み、アッという間に現出することがハッキリと示されている。
大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合い神国の、光輝く時来しと、みな喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思える時ぞ神国の、まこと危うき時なるぞ。夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子らを連れ去られ、後には年寄り不具者のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、ことごと暗い臭い屋に、暮らさなならん時来るぞ。宮は潰され御文皆、火にかけられて灰となる。この世の終わり近付きぬ。この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してあることわかる時、いよいよ間近になりたぞよ。
またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気付けているのざ、さあという時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。
一日のひのまにも天地引っ繰り返ると申してあろがな。ビックリ箱近づいたぞ。
世界一度にキの国(日本)にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の世近付いたのぞ。
メリカ(アメリカ)もキリス(イギリス)は更なり、ドイツもイタリーもオロシア(ロシア)も、外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。
世界中総がかりで攻めてくるのざから、一度はあるにあられんことになるのぞ。大将ざからとて油断は出来ん。富士の山動くまではどんなこともこらえねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。
神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近付いたぞ。八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。
世界が一体になって攻めてくることは、このように『日月神示』の中にくどいほど出されてあるが、そうなった時、最初に火蓋を切るのは「北」であるようだ。
『続・瑞能神歌』で王仁三郎は「北から攻め入る非道さよ」と予言した。
『日月神示』にも、まるで同じことが示されているのだ。
北から来るぞ。神は気(け)もない時から知らせておくから、よくこの神示、心にしめておれよ。
北に気付けと、北がいよいよのギリギリざと申してくどう気付けてありたこと近うなりたぞ。
嵐の中の捨て小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも判るまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶も櫂さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして、肥料になりと思えども、肥料にさえもならぬもの、沢山出来ておろうがな、北から攻めて来る時が、この世の終わり始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終わりと思えかし、この世の終わりは神国の、始めと思え臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ。
地球規模の大激変と“みろくの世”の実現
日本は世界の雛型であるが故に、地上世界の立て替えは、まず日本から起こり、それから世界へと拡大移写していくのが順序である。
王仁三郎は、「日本は世界の床の間であるから、まず床の間から掃除を始めるのである」と語ったという。
その世界の大掃除が始まる時期について、『霊界物語』にはこう書かれてある。
天に王星顕はれ、地上の学者、智者の驚嘆する時こそ、天国政治の地上に移され、仁愛神政の世に近づいた時なので、これがいわゆる三千世界の立替、立直しの開始である。
世界の立て替えに関する予言についても、『大本神諭』や『伊都能売神諭』よりも、その続編であり、完結編とされる『日月神示』の方がより詳しい。
次は、『日月神示』に示された世界の大峠に関する予言のごく一部である。
外国から攻めて来て、日本の国丸つぶれというところで、元の神の神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ。
元の世に返すというのは、たとえでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ。生の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違いばかりしているぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ。
立て壊し、立て直し、一度に成るぞ。立て直しの世直し早うなるかも知れんぞ。遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ。立て直しとは、元の世に、神の世に返すことざぞ。元の世と申しても泥の海ではないのざぞ。中々に大層なことであるのざぞ。
地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。人民四ツん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ。ひっくり返るのぞ。
三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地が始まっているのであるぞ。何もかも三分の一ぢゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ。三分むづかしいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ。堪忍の堪忍、我慢の我慢であるぞ。
今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ。今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして、魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として甦らす仕組、心得なされよ。神様でさえ、このこと判らん方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。
半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ。灰になる肉体であってはならん。原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸開きとはこのことであるぞ。少し位は人民つらいであろうなれど、勇んでやりて下されよ。
大掃除はげしくなると、世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ。掃除終わってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹きかえしてミロクの世の人民と致すのぢゃ。
神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震、雷ばかりでないぞ。臣民アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四ツん這いになりて着る物もなく、獣となりて這いまわる人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ。獣は獣の性来いよいよ出すのぞ。火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ。それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ。どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな。高い所から水流れるように、時に従いて居れよ。いざという時には神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣のケンカ位では何も出来んぞ。くどう気付けておくぞ。何よりも改心第一ぞ。
このような地球的規模の大激変を通じて、地上界に存在するありとあらゆるものが大掃除を受ける。そして物質のすべてが質的な転換を起こし、次元的に高い波長の「半霊半物質」に昇華して再生し、ここに“ミロクの世”、すなわち地上天国が顕現することになる。
それまでに十分な身魂磨きができておらず、この物質次元の急激な転換についてこれない人々は、結局淘汰されることになる。
『日月神示』から推測されるのは、そのような厳しい立て替え・立て直しのプログラムである。
ある日突然始まる日本の2度目の立て替え
われわれは今、平和で豊かな社会の中にどっぷりと漬かっている。
ただ日常の雑事にのみ追われ、国家のことだとか、世界のことだとか、人類のことを考え、その行く末を案じている人というのは、それほど多くはない。
しかし、最近になって、ごく普通の人の中にも、日本人の傲慢で刹那的な生き方に疑問を抱き、経済的繁栄の代償として、何か大切なものを失ってしまったことに気がつく人が増え始めている。
このままでは済まないのではないだろうか――というような、危機的な何かを感じ取る人もいるようだ。
実際には、われわれ人類は大峠の坂を登りつつある。そして、ある日突然、日本の2度目の立て替えが始まる。
この大峠を乗り切るには、身魂が磨けていなければダメだという。では、その身魂を磨くとは具体的にどういうことなのか。
また、神示によれば、大難は小難に変えることができるという。では、どうすれば大難を小難に変え、悲惨極まる地獄絵図を見なくて済むのか。
これらに対する解答は、すべて出口王仁三郎の唱えた主張や『伊都能売神諭』あるいは『日月神示』などのなかに盛り込まれていると言ってよい。
無政府状態と生活基盤の崩壊
『伊都能売神諭』は、来たるべき社会的大混乱を見通し、こう予告している。
天が地となり、地が天となるぞよ。天災地妖が続いて起こるぞよ。目も鼻も口も開かぬようなことが出来るぞよ。餓鬼が段々と増えるぞよ。思わぬ国替を致す人民も沢山あるぞよ。段々人気(ひとけ)が悪くなるばかりであるぞよ。医者と坊主と葬式屋の豊年は続くぞよ。米は段々騰貴(あが)るばかりで、何程金銀出しても手に入らぬ事になるぞよ。用意が肝心であるぞよ。(大正7年12月25日)
少しでも食物の用意を致さねば、後で地団駄踏んでも追いつかぬ事になるぞよ。四ツ足の餌の奪(と)り合いが始まりて来るぞよ。未と申とが腹を減らして惨たらしい酉合いが始まるぞよ。今までの世界の人民の苦しむ大戦争を喜んで、結構な事になりて金銀を積んで高ぶって居りた人民は気の毒ながら、真っ逆様に地獄のどん底に落ちて苦しむぞよ。(大正7年12月22日)
また、『日月神示』には、さらに厳しいことが記されている。
神は気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ。着る物も泣く事あるぞ。いくら買い溜めしても神のゆるさんもの一つも身にはつかんぞ。(昭和19年6月30日)
政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。(昭和20年6月12日)
一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな。米ばかりでないぞ。何もかも、臣民もなくまるところまで行かねばならんのぞ。臣民ばかりでないぞ。神々様さえ今度はなくなる方あるぞ。(昭和20年8月27日)
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始まっているのであるぞ。まだまだ激しくなってどうしたらよいか判らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る所も着る物も住む家も食う物もなくなる世が迫って来ているのざぞ。(昭和19年12月12日)
こうした神示は、いずれも終戦前に出されたものだが、日本の一度目の立て替えにあたる大東亜戦争による敗戦のことのみを指しているとも思えない。
日本の二度目の立て替えでは、国家社会は無政府状態に陥り、国民は上から下まで、日常の生活基盤を失うことになるだろう。貨幣は何の価値もなさなくなり、衣・食・住は完全に欠乏する。
特に食べ物に関しては、“一握りの米に泣く”ような、非常に厳しい状況となるようだ。飽食の時代に生きた日本人、中でも高度成長期以後に生まれた若い世代には、到底耐えきれない試練である。
われわれは今、日の恵み、月の恵み、地の恵みに対する感謝を忘れ、天地から授かった食べ物を、“当たり前のもの”と思い、毎日飲み食い三昧に明け暮れている。
そんな中、大食糧難が突如として起こる。その時に現出する社会的混乱は、まさに修羅場と呼ぶにふさわしいだろう。
ところが、神示には、これもすべて“行”だとある。
今度の行は世界の臣民皆、二度とない行であるから厳しいのぞ。この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ。この行出来ねば灰にするより外ないのぞ。(昭和19年8月14日)
今は神の力は何も出ては居らぬのざぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな。早く身魂みがいて下されよ。外国は○、神の国はゝと申してあるが、ゝは神ざ、○は臣民ぞ。○ばかりでも何も出来ぬ。ゝばかりでもこの世の事は成就せんのぞ。それで神かかれる様に早う大洗濯してくれと申しているのぞ。神急けるぞ。この御用大切ぞ。神憑かれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は○を綺麗にする行ぞ。掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。(同上)
われわれが、大峠を目の前に何をすべきかということは、ここに挙げた神示の中にすべて盛られていると言ってよい。
つまり、これからは一人ひとりが本当の意味で神憑かれるような身魂にならなくてはいけないということだ。神(ゝ)が人の肉体(○)に憑かり、神人合一となることによって、初めてその人は救われ、世もまた立ち直るのである。
「今度の行は○を綺麗にする行ぞ」とある。肉体を掃除することこそが、行であり、身魂磨きであるというわけである。
○にゝが宿った者のみが救われる
さて、それでは“身魂磨き”の具体的な方法とは何か。どのようなことを実践すれば“肉体を掃除”することができるのか。
これについては様々な説が取り沙汰されている。すべてに対して感謝と反省の気持ちを持つことだとか、朝夕の礼拝を欠かさぬようにすることだとか、いろいろなことを言う人がいる。そうしたことも無論大切なことと思われる。
だが、神示や神諭によれば、最も重要かつ最優先すべき“身魂磨き”の方法とは、正しい食生活を実践することである。
日々どんなものを食べ、血肉としているかによって、肉体を掃除することもでき、また逆に汚すことにもなり得る。正しい食べ物を正しく食べることの励行こそが、最も肝心の身魂磨きである。『日月神示』には、そうしたことが明確に示されている。
食い物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ。初めの行ざぞ。(昭和20年12月7日)
正しき食べ物正しく食べよ。更に喜びふえて弥栄えるのぢゃ。自分の喜びを進め進めて天国へ入ることできるのぢゃ。悪い食べ物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。(昭和27年1月30日)
衣類も家も土地も、みな神から頂いたものでないぞ。あづけられているのであるぞ。人民に与えられているものは食べ物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食べ物節してこそ、ささげてこそ、運開けるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。‥‥ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。(昭和27年6月9日)
泉田瑞顕氏は、その著書である『世の終りと神示の生活革命』(言霊社)の中で、大本の筆先に基づいた“身魂磨き”の方法として、まず「体霊」の浄化から始めるべきだと説いている。
体霊とは、肉体を養い、守護する霊のことで、衣食住に対する欲望や、男女間の性欲などはみな体霊の働きであり、この体霊を浄化して正常化していくことが、身魂磨きの第一歩だと断言している。
出口聖師(王仁三郎)は、この体霊のことを副守護神と申され、人間が肉体をもってこの世に生まれ出た時から付与されている正霊だと説明されている。ところが副守護神には後天的に憑依した邪霊がいる。
この邪霊が人間本来の副守護神(体霊)の正しい働きをゆがめて、人間を体主霊従の動物的生活に陥れる元凶である。現代社会に生活している人間はほとんどこのような後天的憑依霊、すなわち邪霊に災いされて、天賦の霊性を発揮出来なくなっていると神様は申されている。
そこで身魂磨きの第一歩は、この後天的憑依霊、俗に言う“つきもの”を改心さして、各自の肉体から追放することである。そのためにまず第一に必要なことは、食生活を改め、食生活を規制することだと申されている。
日本人には日本人に適合した正しい食べ物があり、正しい食べ方がある。この原則を無視して、無茶苦茶なものを無茶苦茶に食っているから次第に血液が濁り汚れて動物化し、日本人に付与された天賦の霊性を発揮出来なくなっているのである。(中略)
要するに、世の終りに対処する日本人の身魂磨きの方法は、神示に従って日本人に適した衣食住の生活をやることである。特に食生活を改めるということが最も重要である。
人間に許された食べ物とは五穀野菜類のみ
四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ。(昭和36年5月6日)
牛のもの食べると牛のようになるぞ。猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の食べ物は、定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら、虎は虎となるぞ。獣と神とが分かれると申してあろがな。縁ある臣民に知らせておけよ。日本中に知らせておけよ。世界の臣民に知らせてやれよ。(昭和19年8月31日)
日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ。日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ。(昭和21年11月17日)
つまり、ここで示されているのは穀物菜食の実践である。
“四ツ足”というのは、四本の足を持つ動物、すなわち牛や豚といった獣類を主に指す。“四ツ足”は人間の性に近い生き物であるから、これを食べることは“共食い”となる。よって、肉類を食べてはならんというのである。
肉類とは、正確に言えば、すべての動物食がこれに該当すると見てよい。“五穀野菜の類”の中に、動物性食は含まれていない。
肉を喰らえば、血液が汚れると同時に、霊性が下がる。結果、低級な波長と交流し、自らを地獄的な世界に堕としめることになる。
王仁三郎も正しい食の実践を説いている
穀物菜食が人間に適した食であることを説いた神示や神典類は、『日月神示』だけに限らず、他にもまだまだたくさんある。
王仁三郎の直受した『伊都能売神諭』にも、“四ツ足”を食べることや、身につけることを禁ずる記述が出てくる。
今の日本の人民は、皆外国人の真似を致して、牛馬の肉を食い、猪、鹿、犬猫、何でも構わず、四ツ足と見たら共食い致すようになり、たまたま謹みて四足獣(よつあし)を食わぬ人民があれば、時勢遅れの馬鹿と申して嘲笑(わら)うようになりて了うて、この神州清潔(きよらか)の国土(くに)も、神聖至浄(きよらか)の臣民も皆汚れて了うて、今日の国家の状態、神の住居を致すべき場所が、地の上には錐(きり)一本立つ場も無き所まで曇りて了うて居るぞよ。それで元の神政に致すについては、一旦世界の大掃除、大洗濯が始まるから、日本の人民なら一日も早く大洗濯のあるまでに身魂を清めておかぬと、ツゝポに落とされて苦しまねばならぬぞよ。(大正8年1月5日)
世が段々下るに就て、皇極天皇(642~645年まで在位)の時代より日本の人民がそろそろ牛馬の肉を食うようになり、天賦天皇(673~686年まで在位)の時代には益々盛んになり、血穢れを扱うたり、牛馬を殺したり致す餌取(えと)りというものが出来て、‥‥今の日本の人民は上から下まで牛馬の肉を食い、毛や皮を頭の先から足の爪先まで着けるようになりて、日本中が皆○○のやり方になりて了うて居るから、日本の国は隅から隅まで汚れ切って、牛や羊の血を呑み、児(こ)には牛や羊の乳を吸わして、是れが文明の世じゃと得意がり、血も肉も霊魂までもさっぱり四ツ足に化(な)り切りて居るから‥‥神国の姿は遠くの昔から亡びて居るから、今度は艮の金神、この世のエンマが出て参り、世の大洗濯を致して、元の清らかな神国の神政に立て直して、松の代五六七(みろく)の代と致して天地総方の神々様や人民に御目にかけるぞよ。(同上)
この神諭の中で“艮の金神”は、肉はおろか、牛乳をはじめとする乳製品さえ否定している。また、身につける物として、獣の皮を多く使用していることを厳しく批判している。
今の世の中、コートやジャケット、靴、鞄、財布、バッグ、ベルト等々、ことごとく皮を使っている。だいたいブランドものといったらすべて革製品である。
動物を殺し、その死骸の皮を剥いで作ったものを身につけることは、明らかに神意に背くだけでなく、その人の霊性をも堕とす。軽視しがちな点ではあるが、これも身魂磨きにおいては重要なところである。
浅野和三郎は、大正7年3月1日の『神霊界』に、「身魂が磨けて霊性が上がって来れば、肉類など自然と食べる気がしなくなる」という意味のことを書いている。
日本人も随分明治以降堕落し、外国系統の守護神に憑依せられ、肉食などを好むようになりましたが、一旦身魂を磨くが最後、牛肉などは到底口にすることが出来なくなるのは、大本研究者の常に実験する所であります。国常立尊は此の濁り切りたる守護神と人民との大掃除をなさるのであるから、実に大事業なのであります。
また、王仁三郎自身も、大正9年2月号の『神霊界』で、次のような論稿を載せている。
肉食のみを滋養物として、皇国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来たり、ついには生物一般に対する愛情を失い、利己主義となり、且つ獣欲ますます旺盛となる。不倫・不道徳の人非人(にんぴにん)となってしまうのである。虎や狼や獅子などの獰猛なるは、常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりといえども極めて温順なるは、生物を食わず、草食または穀食の影響である。故に、肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死のうが倒れようが凍えておろうが、そんなことには毫末も介意しない、只々自分のみの都合を計り、食、色の欲のほか、天理も人道も忠孝の大義も弁知しないようになってしまうのである。
こういう人間が日に月に殖えれば殖えるほど、世界は一方に不平・不満を抱くものができて、ついには種々喧(やかま)しき問題が一度に湧いてくるのである。今日の為政者たるものは宜しく下情(かじょう)に通ずるを以て急務とし、百般の施設はこれを骨子として具体化して進まねばならぬのである。
‥‥まず何よりも大本神諭に示させ給えるが如く、第一に肉食を廃し、身魂を浄めて神に接するの道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります。
当時の大本は、粗衣粗食を旨としていた。王仁三郎以下、幹部役員も皆、一汁一菜という簡素な食事を実践していたようだ。
しかし教団としての規模が大きくなるにしたがい、こうした方針が徹底できなくなり、結局何でも食べるようになっている。天恩郷にある宿舎のゴミ箱には、魚の頭やら鶏の骨やら、エビの殻、刺身の具(つま)、腐った白米などが捨てられていたという。
だが、王仁三郎は、こうした幹部たちの食事の乱れを、たしなめることもなかったようだ。
肉食をすれば霊性が堕ち、邪霊からの悪しき波動を受けやすくなるのを、彼は十分心得ていたはずである。そこには、邪霊に操られた官憲の手により、大本を叩き潰してもらうという雛型を演出するための密意があったと見るべきなのだろうか。
いずれにせよ、現代の日本のグルメ文化が、まさにそうした食の乱れた頃の大本の姿とよく似ていることだけは確かである。
まず急務とされる食生活の改善
“身魂磨き”という言葉は、あまりに抽象的であり、そのため様々な解釈が可能である。
だが、一つ言えることは、どんな行法をしようが、どんなに素晴らしい信仰を持とうが、根本の食生活が改善されなければまったく意味がない、ということだ。
むしろ行とは生活そのものであり、中でも正しい食生活の実践ができていれば、特別な身魂磨きの行などは必要ないのである。そのことが、『日月神示』に次のように示されている。
神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生まれる食べ物頂きて、神国の御仕事している臣民には、行は要らぬのざぞ。このことよく心得よ。(昭和19年10月19日)
とは言え、日常の食事から動物性食を排除し、神示にあるような穀物菜食を実践することはなかなか困難である。その実行と継続には相当の意志の強さと、熱意が必要となってくる。
また、通常人の場合は、食べる物のことまでとやかく言って欲しくないものだ。彼らは言う。好きな物を食ったり飲んだりして生きた方が、人生楽しいではないか――と。
それはその通りである。しかし、神の道というものは、言葉を換えれば宇宙の絶対法則であり、秩序であるから、神とこの道に従わねばならない。
肉食は明らかにこの道に反するのだ。道から外れた生き方を選択する人は、その見返りとしての不幸現象が起きる。
いかなる善人であろうと、悪人であろうと、大宇宙(大神)の眼からは関係がない。絶対平等である。
霊性が上がれば、必ず穀物菜食に自然と改まるものだ。それは穀物菜食を好む身魂のこまやかな波長が、高級な神霊の世界と交換交流するためである。だから、霊的(宗教的)指導者で、その人物がどの程度の霊性の身魂かを見分けるのは、至極簡単である。その人が平素何を食い、何を飲んでいるかを知ればいい。
少しでも肉食をしていたら、その人は指導者の器ではない。酒、煙草も不可である。
王仁三郎の言う「日本魂」に還れ!
国常立尊は、王仁三郎の筆を通じ、次のように説いている。
天地開闢の初めの世からの約束の時節が参りたから、愚図愚図致して居れんから、今の静まりて在る間に一日も早く身魂を磨いて居らんと、東の空から西の谷底へ天の火が降る事が出来致したら、俄(にわか)に栃麺棒を振ってアフンと致さなならぬようになるぞよ。それで一日も早く日本魂を磨けと申すのであるぞよ。
このように前置きし、真の日本魂とはどういうものかを朗々と説いている。
日本魂と申す物は、天地の先祖の神の精神と合わした心であるぞよ。至善至愛の大精神にして、何事にも心を配り行き届き、兇事に遭うとも大山の如く、ビクとも致さず、物質欲断ちて精神は最も安静な心であるぞよ。天を相手とし、凡人と争わず、天地万有山野海川を我の所有となし、春夏秋冬も昼も夜も暗も雨も風も雷も霜も雪も皆我が言霊の自由に為し得る魂であるぞよ。
如何なる災禍に遭うも艱苦を嘗めるも意に介せず、幸運に向かうも油断せず、生死一如にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神(かんながら)の大道に任せ、好みもなく恨みも為さず、義を重んじて心裏常に安静なる魂が日本魂であるぞよ。
常に心中長閑(のどか)にして、川水の流るるごとく、末に至るほど深くなりつつ自然に四海に達し、我意を起こさず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随って天下公共の為に活動し、万難を弛まず屈せず、無事にして善を行なうを日本魂と申すぞよ。
(中略)
誠の日本魂のある人民は、其の意志(こころ)平素(つね)に内にのみ向い、自己(おのれ)の独り知る所を慎み、自己の力量才覚を人に知られん事を求めず、天地神明の道に従い交わり、神の代表となりて善言美辞を用い、光風霽月(せいげつ)の如き人格を具えて自然に光輝を放つ身魂であるぞよ。
心神常に空虚にして一点の私心無ければ、常永(とこしえ)に胸中に神国あり、何事も優れ勝りたる行動を好み、善者を喜びて友となし、劣り汚れたるを憐れみ且つ恵む、富貴を欲せず羨まず、貧賤を厭わず侮らず、只々天下の為に至善を尽くすのみに焦心す、是の至心至情は日本魂の発動であるぞよ。
天下修斎の大神業に参加するとも、決して慌てず騒がず、身魂常に洋々として大海の如く、天の空しうして鳥の飛ぶに任すが如く、海の広くして魚の踊るに従うが如き不動の神を常に養う、是れが神政成就の神業に奉仕する身魂の行動でなければならぬのであるぞよ。
凡人の見て善事と為す事にても神の法に照らして悪しき事は是れを為さず、凡人の見て悪と為す事にても神の誠の道に照らして善き事は勇みて之を遂行すべし。天意に従い大業を為さんとするものは、一疋(ぴき)の虫と雖も妄りに之を傷害せず、至仁至愛にして万有を保護し、世の乱に乗じて望を興さぬ至粋至純の精神を保つ、是れが誠の日本魂であるぞよ。
今度の二度目の天之岩戸開きの御用に立つ身魂は、是れ丈けの身魂の覚悟が無ければ到底終わりまで勤めると云う事は出来んから、毎度筆先で日本魂を磨いて下されと申して知らしてあるぞよ。(大正8年2月21日)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
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