太宰治の「富嶽百景」と井伏鱒二の「放屁」。

かたせ2号 投稿日:2024/07/02 06:13

太宰治の「富嶽百景」と井伏鱒二の「放屁」について。

かたせ2号です。
特に結論めいたものはないが、太宰治の「富嶽百景」、この小説を、ワタシは好きなので、紹介する。
(いったい、ワタシは誰に向かって書いているのか。。。)

太宰治「富嶽百景」から。
太宰治の師である井伏鱒二は、富士山をきれいに眺望できるはずだった三つ峠で、屁をこく。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html
(引用開始)
とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台といふ、断崖の縁に立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立つてゐる。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営してゐるじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんたうに生憎の霧で、もう少し経つたら霧もはれると思ひますが、富士は、ほんのすぐそこに、くつきり見えます、と言ひ、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つてその写真を両手で高く掲示して、ちやうどこの辺に、このとほりに、こんなに大きく、こんなにはつきり、このとほりに見えます、と懸命に註釈するのである。
私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。
いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた。
(引用終わり)

かたせ2号です。
この小説のこの場面に関するQ&Aを引用する。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14257955124

(質問)
太宰治の小説「富嶽百景」についての質問なのですが、井伏氏と三つ峠に登り頂上のパノラマ台に着いた後のシーンで、井伏氏が「ゆっくりタバコを吸いながら放屁なされた」という記述がありますが、なぜわざわざ井伏氏が放屁したという事を書いたのでしょうか?
皆様の解釈をお願いします。
(回答開始)
せっかく富士山をきれいに眺望できる三ツ峠へ登ったが、残念ながら霧にまかれて何も見えない。その無聊をかこつ象徴として放屁したという事実を記述した。井伏の素朴な人柄に少なからず癒された。
主人公はスランプだった。
実生活では、大の男が暗い便所で泣きたくなるほどつらいことがあったし、仕事の上では文学的な行き詰まりを感じていた。そういう状況を打開しようと、師と慕う井伏鱒二が逗留している天下茶屋へ行く。そこで富士山を媒体として、純朴な少女、三つ峠の老婆、ふもとの文学愛好の若者たち、さらには婚約者となる母娘、そういう人たちの素朴で打算のない誠実な生きざまに接することによって、人間への愛情、信頼感が回復してくる。彼らは富士山を自分の家族のように愛し、誇りを持っている。最後に主人公は感謝と尊敬の念を込めて富士山へのオマージュとして富士山の写真を撮って山を降りる。「富士山、さやうなら、お世話になりました。
(回答終わり)

かたせ2号です。
ちなみに、ワタシはこの井伏鱒二の「放屁」が「フィクション」であることを知っている。

https://bungakusanpo.oops.jp/0309dazai/ibuse..htm

(引用開始)
『富嶽百景』は、富士のさまざまな実景・心象風景を背景に、懸命に生きようとする主人公を描いた作品で、「富士には月見草がよく似合う」のフレーズで有名だ。井伏と一緒に三ツ峠に登るエピソードも出てくる。あいにくの霧で富士が見えないのを気の毒がった茶店の老夫婦が、この辺に、こんなふうに見えます、と富士の写真を掲げ、いい富士を見た、と主人公が思う場面など、忘れがたい。井伏が三ツ峠の霧の中で、いかにもつまらなそうな顔をしながら「放屁なされた」という場面もあるが、あれは事実無根だ、と井伏が何度も書いていておかしい。むきになって書けば書くほど、井伏の筆は例によって微苦笑をもたらしもするから、よけいおかしくなる。
(引用終わり)

かたせ2号です。
井伏鱒二は自分自身のユーモアある文章の中で「微苦笑」がもたらされるのを、きちんと計算した文章を書いているのだろう。「あれは事実無根だ、と井伏が何度も書いて」いる背景として、この「微苦笑」が想定される。

そうして、そうして、小説「富嶽百景」最終場面でのユーモアある太宰治の文章は、師匠譲りか。

(引用開始)
「どうにも狙ひがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
「はい、うつりました。」
「ありがたう。」
 ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。」
(引用終わり)

かたせ2号です。
何にせよ、この太宰の「富嶽百景」はワタシにとって、思い出深い作品。
富嶽百景、お世話になりました。

最後に太宰治の、別の文章を引用しておく。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/54176_46736.html

(引用開始)
『富嶽百景』序
太宰治
所收――「富嶽百景」「女生徒」「滿願」「駈込み訴へ」「女の決鬪」「走れメロス」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」
明治四十二年の初夏に、本州の北端で生れた氣の弱い男の子が、それでも、人の手本にならなければならぬと氣取つて、さうして躓いて、躓いて、けれども、生きて在る限りは、一すぢの誇を持つてゐようと馬鹿な苦勞をしてゐるその事を、いちいち書きしたためて殘して置かうといふのが、私の仕事の全部のテエマであります。戰地から歸つて來た人と先夜もおそくまで語り合ひましたが、人間は、どこにゐても、また何をするにしても、ただひとつ、「正しさ」といふ事ひとつだけを心掛けて居ればいいのだと二人が、ほとんど同時におんなじ事を言つて、いい氣持がいたしました。私の文學が、でたらめとか、誇張とか、ばかな解釋をなさらず、私が窮極の正確を念じていつも苦しく生きてゐるといふ事をご存じの讀者は幾人あつたらうか。けれども作者が、自分の文學に就いて一言半句でも押しつけがましい事をいふべきではない。ただ讀者の素直な心情を待つばかりであります。
(引用終わり)

以上