ジョン・メイナード・ケインズ( John Maynard Keynes、1883-1946年、62歳で死)という人類最大のすぐれた経済学者は、そういう報復賠償なんかするんじゃない、もっと酷いことになるんだと言って、ベルサイユ会議のイギリス側の財務省を代表していた人物だけど、抗議して辞めた。そして、『平和の経済的帰結 』 ”The Economic Consequences of the Peace ” 「ジ・エコノミック・コンセクエンス・オブ・ピース」(1919年刊)という本を書いた。
「”戦争の配当”、ではなくて、(人類に)”平和の配当”を与えなければいけない」と書いて、一世を風靡した。ケインズはこの時から有名知識人になった。 ケインスは、本当に天才学者でした。偉かった。だけど、世の中はそうはいかなくて、そのときの政治家たちが馬鹿だから、結局ドイツ国内に憎しみが沸き上がって、ヒトラーみたいなのが台頭したということになっているんですね。 ジョン・メイナード・ケインズ ドイツは軍需産業を中心にして急激な復興を果たすわけです。巨大な復興を遂げて、軍需産業を徹底的にやった。それが1920年代はずっと続いたんですね。1922年のラパッロ条約(Treaty of Rapallo)というのがあって、これに秘密条項があって、ソビエト連邦がドイツを支援するという条約が裏で結ばれていた。
この後、松岡は激しく苦しんで、絶対に外相をやめないと騒いだ。「私が交渉をする」と。だが、結局、近衛内閣が総辞職する形で、松岡は首を切られた。あとは、もう茫然自失だ。松岡は、昭和天皇にこのあとヒドく嫌われた、ということに日本史の本ではなっている。 この後は、日本は、もう「坂道を転がるように」という言葉で言われるのだが、12月の真珠湾攻撃を、これも騙されて敢行して、この後、がらがらと日本は崩れ落ちていった。この年(1941年)の6月と9月に御前会議(ごぜんかいぎ)を開いている。天皇が臨席してところで、戦争の開始と遂行のための、日本国の最高の意思決定の会議が開かれた。 だからこの事実が、連合(諸)国(the UN ザ・ユー・エヌ)から見たら、「昭和天皇ヒロヒトには、戦争開始責任がある」となる。
松岡洋右と昭和天皇、そしてスターリン、ヒトラーをはめたのは、ドイツの外相をしていたドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop、1893-1946年、53歳で死)という男です。それから、スターリンのすぐ横にいた、外務人民委員(外相)、外務長官のヴャチェスラフ・モロトフ(Vyacheslav Molotov、1890-1986年、96歳で死)、この2人もイギリスのスパイです。
こうやって嵌(はめ)られているんです。20世紀の人類の歴史は恐ろしいことです。要するにまんまと戦争をさせられたということです。でも、最高指導者たちは、そんなのことはみっともないから言わない。 (左から)リッベントロップ、スターリン、モロトフ 一番の悪はやっぱりウィンストン・チャーチル(Winston Churchill、1874-1965年、90歳で死)です。チャーチルは10代のころから、イートン校の高校生の頃から、育てられて、そのまま軍の情報部員でもあり、大学時代もイギリスのMI6、国家情報部で働いていた男で、ヒトラーを遠隔操作で、操っていたのもチャーチルだ。 チャーチル この本には書いていないけど、ヒトラーとイギリス王室の関係もありました。今のイギリス王室はウィンザー朝です。1917年まではザクセン=コーブルク=ゴータ家(House of Saxe-Coburg and Gotha)というんだけど、ドイツ人の王子様アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ(Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha、1819-1861年 、42歳で死)がヴィクトリア女王(Victoria、1819-1901年[在位:1837-1901年]、81歳で死、ハノーヴァー朝最後の王様)と結婚した。
ヴィクトリア女王の息子のエドワード7世(Edward VII、1841-在位1901-1910年。ボンボンでアホ。68歳で死)が国王になった。ザクセン=コーブルク=ゴータ朝が始まったとする。エドワード7世の息子のジョージ5世(George V、1865-1936年[在位:1910-1936年]、70歳で死 )の時、第一次世界大戦が起きて、ドイツの名前じゃまずいというので名前を変えてウィンザー朝(House of Windsor)になった。 ヴィクトリア女王からの家系図 このジョージ5世の長男坊で、エドワード8世(Edward VIII、在位:1936年)として即位して、すぐにスキャンダルで退位したウィンザー公(Duke of Windsor、1894-1972年、77歳)はヒトラーは とものすごく仲がよかった。これは事実で、チャーチルもそこに絡んでいるわけね。育てられている。エドワード8世(ウィンザー公)はドイツに近いということで、首になった。