しかしナディアは3ヶ月後にイスラム国から脱出しています。脱出する前に一回捕まって、ひどく殴られたりしながら罰を受けると言って、あちこち連れ回されて下級の IS の戦闘員達にも強姦された。モスルの郊外のチェックポイントと言うけど、たくさんの検問所が道路端にある。そこの若いIS の戦闘員が、「薬を買ってきてやる」とか何か言って、気のいい奴だったんでしょう、ドアを開けたまま行ってしまったところを、スキを狙って、夜のモスルの中に飛び出して、逃げた。
このアルビルが、首都だと日本人は、そろそろ分かるべきだ。モスルから、ほんの60キロぐらいのところです。これが驚くべきことです。だから、その戦乱の中にあると、どっちがどっちかよくわからないのです。モスルと、このナディアが生まれ育ったコウチョは、やっぱり60 km ぐらいのところです。たった60キロです。本当に歩いてでも、一晩、二晩、歩けば着くような距離です。そういうところでの激しい争い、戦いだ。だから最前線のところで、戦車隊同士でぶつかり合って銃撃戦をやって、どっちかが負けてということが起きても、そこには普通の人はほとんどいない。それが戦場というものです。道路だけは通さなきゃいけないので、道路脇にいっぱいその焼けただれた戦車とか自動車とか置いてある。それが見える。
だから裏側には、自分たち家族の動き全部がある。この本の『 THE LAST GIRL』の前の方に、兄弟たちの写真が全部あります。でも、山の自分の家から逃げる時には、全部写真を焼いたり、持ち物を全部捨てたりして、もう着の身、着のままで逃げた。とても大変なことだったと思う。しかし、元が遊牧民だから、日本人なんかよりずっと彼女らは頑丈だと思う。羊も連れて行って、山の方に逃げた。羊たちを順番に殺して食べながら、山の中でも生き延びた。そこまでは、追いかけてこられない、というようなところまで行った。自分たちの宗教のヤジディ教の聖地も、シンジャール山の山の中にある。ここが大事なところだ。
それを、スイス人だけどイタリアでも検察官をやっていた、カルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte 、1947年-)という勇敢な女性が暴露した。彼女は有力な人で、国際刑事司法裁判所の主任検察官です。ヘリコプターとか、防弾ガラスでできた特別の車とか持っている。強力な人で、2016年にアメリカにまで来て、ヒラリーを捜査するまで言った。「出てこい」とか言って。それぐらい勇敢な女性です。彼女の仕事の業績は、1993年に起きた、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツゴビナで、1万人ぐらい殺して埋めた、戦争犯罪者(ウォークリミナルズ)を摘発して裁判にかける仕事をした。その後、国連の人権委員会の委員になって、真実をこのカルラ・デル・ポンテは言い続けている。でも抑え込まれていて、その声は、なかなか日本には届かない。
シリアの海沿いにあるラタキアと、タルトスというところに、ロシアの軍港と軍事空港がある。そこから、例えばミサイルが27発、飛んできても、イスラエルが発射したと言っても本当はアメリカが発射した21発は迎撃して落とすとか、そういうこともするぐらい高性能の S 300とか S 400という地対空ミサイルを持っている。それはプーチンが、シリア政府だけではなくて、もしかしたらイラン軍にまで渡しているのではないかと、アメリカは怖がっている。
だから第二外国語はロシア語だ、とイスラエルでは言われている。それぐらいの動きがある。複雑な話だから、日本人は、なかなかわからない。私が分かりやすく説明する努力を、私の運命と任務としてやらなければいけない。後でこの The Last Girl にたった1枚載っている地図帳に、私がたくさん書き込みをしています。これも見えるように貼りつけて、基本・基礎知識として、地図と一緒に見てください。自分でも世界地図を開いて確認してもらいたいということです。
(終わり)
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