日本共産党から追い出されて、1956年ごろから、ヨーロッパの反スターリン主義の、暴動が、東欧諸国で起きて、その世界を吹く風は日本にもやって来て、それに大きな影響を受けた若者たちが、「ソビエトの体制は許せない。あんなものは社会主義、労働者の国のすることではない」と、日本にも新(しん)左翼( New left 、ニューレフト。反(はん)日本共産党系。のちに過激派や極左と警察に呼ばれた) の左翼たちが生まれた。その生き方と、その、悲劇的なところは、どうしようもなく幼稚で、若い善人たちの理想主義だった。そして大きな敗北と幻滅が、彼らを次々と襲った。
このことを、私たち日本人は、あれから、60年遅れでもいいから、今からでも、腹の底から分かることで、歯を食いしばって、「もう、瞞されないぞ 」とうめき声を、私たちは、あげるべきなのだ。 そのために、日本国の、民族防衛の遺伝子が、私、副島隆彦を生んだのだ。私は、日本国を守るための、アンタイ・ヴァイラス・アンチ・ボデイ(anti virus anti body 抗ウイルス抗体)なのだ。