*現在の日本政府の経済政策の最高の理論家は伊藤隆敏(いとうたかとし)という人物であり、以前は財務省の副財務官、その前はIMFの調査局の上級審議役を務めていた。理論経済学者であり、大悪人で論文泥棒の竹中平蔵よりもずっと影響力がある。
*伊藤隆敏は、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の資金を株式などのリスク資産に投入する投入する最高責任者である。
*同時に伊藤隆敏は、「物価上昇率2%」のインフレ目標の異次元金融緩和というインフレターゲット政策を日本で最初に訴えた理論経済学者だ。
*世界ではインフレ目標政策は、1990年のニュージーランドで始まる。「サイコロジーの経済学(人間の心理を操る経済学)」と最初の頃から言われていた。
*伊藤隆敏は、アメリカに留学し、ロバート・ルーカスとケネス・アローという二人のノーベル経済学者に育てられて、日本に送り返されてきた尖兵である。
ロバート・ルーカス(経済学者)
公的・準公的資金の運用・リスク管理を見直す政府の有識者会議で座長を務めた 伊藤隆敏
インフレターゲットを提唱した伊藤隆敏の過去の著作群
*インフレ目標政策の成果が出ていないことでは日銀の黒田東彦総裁、岩田規久男副総裁、中曽宏副総裁に対する責任追及の声が高まっている。特に岩田規久男は2年前の4月の就任時に「もしこの政策が実行(達成)できなかったら辞任する」とはっきりいってしまったので、困り果てているはずだ。
*そもそも日銀法第1条には、インフレファイターの仕事は規定されていても、デフレファイターと戦う仕事は規定されていない。
*重要な事は「インフレターゲット論は、方程式を逆転させる論理でできている」ということだ。「成長があるから、そのとき、株が上がり始めて景気が良くなる」とい因果関係を逆転させて、「経済に成長が起きていないのに、無理矢理に経済成長を作り出そうとし、そのために株式を釣り上げるとか、土地の値段を上げさせる」というふうに考えている。実体経済が良くないのに、無理やり株・土地だけを上げれば、経済成長が起きると考えたので失敗している。
*このインタゲ理論の元になったのが、合的期待形成派であり、「人間心理を操る経済学」であり「悪魔の経済学」である。
*合理的期待形成理論(合理的予測派)の頭目は今も行きているロバート・ルーカスというシカゴ大学の学者だ。アメリカ経済学は相当おかしくなっているが、これは「マネタリスト」経済学と、この合理的予測派たちのよるインフレ目標政策という金融政策のせいである。
*伊藤隆敏は2011年の日経新聞で、「合理的期待」について、「政府の行動(変化)を瞬時に察知し、将来のインフレ率や失業率についての期待(予想)を変え、現在の行動も変えるというもの」として説明している。
*ケインズ経済学も90年代半ばにはこの合理的期待を取り入れた「新しいケインズ経済学」に衣替えした、とも伊藤隆敏は論文で書いている。
*副島隆彦が読み破ったところでは、合理的予測派の考えは、「合理的予測をすべての市場参加者にさせることで、市場を完全にコントロールする思想」にほかならず、「市場を牢屋に入れた」という他はない。
*伊藤隆敏の立場は、経済学の歴史を遡ると、物理学者ライプニッツの理論、「すべての出来事は最善(オプティマム)である。全ては調和している。すべての問題は必ず解決する、物事は順調にいく」という思想に遡ることができる。これは『余剰の時代』(KKベストセラーズ)でも取り上げた、ヴォルテールの『カンディード その別名はオプティミズム』(1759年刊)で批判された思想であり、これのオプティミズムを批判した経済学者こそがジョン・メイナード・ケインズである。
*だから、現在の経済・金融政策を巡る争いは、偉大なるケインズと、それ以外の経済学者たちの争いであるのだ。
*現在の経済学者は、元々はケインズ学者だった人達も含めて、「復活した古典派経済学者」たちとの争いに敗れて叩き潰されて、強制改宗の憂き目にあった。古典派は、リカードゥの「モノ、商品、製品を市場に供給さえすれば、それは必ず売れる」という考え方、すなわち「セイの法則」を信じている一派であり、ケインズ学派は「需要があるからこそ、世の中は回る」「供給ではなく、需要面、購買意欲、人々の消費、企業家の設備投資意欲こそだ大事だ」というマルサスの理論を重要視する。
*経済学の歴史は、古典派とケインジアンの戦いの歴史である。1970年のサミュエルソンの「新古典派総合」(ネオクラシカル・シンセシス)というのは、「古典派とケインジアンはめでたく統合された」のではなかった、ケインジアンとクラシカルの戦いの末、ケインズが殺されて、結果、多くの経済学者が裏切り者(アポステイト)として、クラシカルの思想を受け入れていった。ハーヴァード大学は今もケインジアンの牙城と言われているが嘘である。ケインズを殺して古典派が復活したのだ。
*小室直樹先生は「ルーカスの信奉者たちは、まるで狂信者を思わせた」と本の中で書いている。古典派の合理性を行き着くところまで押し進めると、「人々はすべての利用可能な情報を利用することによって正しい予測ができる」と言う考えは狂信者である。この合理的期待形成仮説を定式化した論文が発表されるや、信奉者の中に燎原の火の勢いで広まっていた。この事こそ資本主義は一種の宗教であることを如実に証明するものである、と小室直樹先生は書いている。
*しかし、この合理的予測派の考えるようには、アジア人である私達は、合理的な経済行動などとらない。常に自分に最大の利益が出るように行動する、ということを私達はなかなか出来ない。しかし、合理的予測派は、極限に突き詰めた経済人(ホモ・エコノミクス)を前提にしている。予測(期待)をするためには普通だったら膨大なコスト(費用、労力)と時間をかける必要があるのに、この理論では「コストも時間もゼロである」と仮定されている。彼らは神懸かりの狂信的な資本主義の理論家たちである。
*竹中平蔵と合理的予測派の伊藤隆敏は、「もうすぐインフレが来る。すなわち好景気が来るので、目減りする現金を持っているよりは、モノ(財物)に換えた方がいい」と煽って、人々が買い物をするという状況がかならず来るだろうと考えている。しかし、現実の国民は不安だから、みんなお金を握りしめて放さない。
*不況から脱出するには、ケインズの「有効需要(創造)の原理」の公式、「Y(国民所得)=C(消費)+I(投資)」にある、2つのCとIの需要を高めなければならないのに、サプライサイド重視の竹中平蔵たちは供給側を徹底的に合理化すれば、需要はその後でついてくるという考えをして間違っている。
*ニューヨーク・タイムズのコラムニストで経済学者のポール・クルーグマンは、古典派叩きをやってケインズ学者のふりをしているが、一方でインフレターゲット理論を絶賛している。だからクルーグマンも悪いやつである。
*リーマン・ショック後に伊藤隆敏の師匠で、ノーベル経済学賞を受賞した合理的予測学派のルーカスは、批判の矢面に立たされたが、その時に「私は異常な事態を前提にした理論モデルは作っていない。適正に経済運営が行われることを予想したモデルだ」と言い訳し、インターネット上で批判してきた若い経済学徒たちを脅しつけて黙らせた。しかし、ルーカスに対する批判の釜は煮えたぎっている。