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ふじむら掲示板





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[80]叱られているようにも見えますね
投稿者:2410
投稿日:2012-10-11 15:31:24

会員番号2410 すやま と申します。掲示板に書き込むのは初めてです。よろしくお願いします。

単なる私の所感なので、こちらに書きます。

自民重鎮、石破幹事長に指南 気の緩み戒める声も
http://www.asahi.com/politics/update/1010/TKY201210100617.html

この記事に添付されている画像なのですが、


見ようによってはコレ、中曽根氏から石破氏が怒られているようにも見えますね。

記事には激励めいた助言みたいな内容がかかれていますが、"本当は"どんな話があったのでしょうかね?

「本来はお前が総裁になるはずだったのに、何やってんの?」とかだったら、そりゃ頭を下げるしかないですが。(根拠なし。私の想像です)

総裁選で、中曽根氏は誰を支援していたんでしょうかね。



[74]唯物史観の原像[第四版]
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2012-03-02 05:25:28

1.

妻に勧められて、NHKスペシャル『ここまで来た!うつ病治療』の再放送を観た。(初回放送は、NHK総合、2月12日 午後9時)

その主な内容は、アメリカでは人体実験まがいの脳外科的うつ病治療法が既に臨床されているという話だった。
さすがアメリカはenterpriseの国である。The Philadelphia Experimentの国である。『効果がありそうな物は、とりあえず試してみろ。問題が出てきたら、その都度是正して行けば良い。そもそも、リスクを取らなければ何も始まらないではないか」と言うのがThe American way of lifeなのだろうか。

私は呆れて妻にいわく、「アンタはテレビで『これが効きます。これがinです。これがアカマル急上昇中ナンデス!』と聞けば、何にでもすぐ食い付くんだからなあ。『発掘!あるある大事典』のデータ捏造の時もそうだったし、野菜スープ健康法の時もそうだったじゃないか。」

妻が私に返していわく、「それじゃあアンタ、いったい何なら信用するの?」
私は少し考えて、下記の通り大演説会を開催した。

2.

私は自分自身の眼で見たもの、または自分の体で確かめたもの以外は信用しない。

頭の中で考え出したアイディアなりスキームなりも、とりあえず使ってはみるが100%信用はしない。経験の裏付けがない理論などというものは信を置くに値しないからだ。

そもそも、自分の頭の中から思い込みや見落とし、見過ごしを完全に排除できるほどの知性・理性の持ち主がそうそう居るとは思えない。
マルクスやレーニンだって完全無欠の神サマだった訳じゃない。その証拠に、社会主義のスキームは最後には経年劣化して機能不全に陥ったじゃないか(注)。

(注)レーニンはともかく、マルクスの経済理論はスミス、リカードらの古典経済学を継承・発展させたところに経済学説史上の意義があるのだから、今でもマルクスを反古扱いすべきではないという意見もあるようだが、これは卑怯未練な隠れ左翼(または左翼崩れ)の言い逃れだと私は考える。

ましてや十人並みの知性・理性の持ち主たちが、東日本大震災で、いざ「想定外」の事態に遭遇したらオロオロするばかりで対応が後手後手に回ってしまったのも、私にはヤムを得ないことのように思われる。知性・理性(または頭の回転の早さ)なんて、所詮はその程度のものだ。

3.

生きて行くには知性・理性だけでは足りない。生きる喜びを味わいたければ、知性・理性より感情(感受性または思いやり)の方が大事だし、何事か成し遂げたいなら意志の強弱(または折れないハートの有無)こそが問われる。

また、イザという時でも慌てず行動できるようになるには、知・情・意に加えて特殊な訓練とある程度の場数が必要だと思う。たとえばこんな具合に。

(引用、始め)

[原 文]ただ今がその時、その時がただ今なり。二つに合点しているゆえ、その時に間に合わず。(中略)かようにセリ詰めて見れば、日来の油断、今日の不覚悟、みな知るるかとなり。(『葉隠』、聞書第二、四七)

[奈良本辰也による現代語訳]いまというときがいざというときである。いざというときはいまである。そのいまと、いざというときとを二つに分けて考えているから、いざというときの間に合わない。(中略)このように、つきつめてみると、日ごろに油断があることも、平素から心の準備がととのっていないことも、すべて明らかになると言えよう。(『日本の名著17葉隠』p137-138、中央公論社、1969)

[原 文]勘定者はすくたるるものなり。子細は、勘定は損得の考するものなれば、常に損得の心絶えざるなり。死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。また学問者は才知弁口にて、本体の臆病、欲心などを仕かくすものなり。人の見誤る所なり。(『葉隠』、聞書第一、一一二)

[奈良本辰也による現代語訳]勘定高い者は卑怯である。そのわけは、勘定は損得を考えることであるから、いつも損得の心が絶えないものだ。死は損、生は得であるから、当然死ぬことを好まない。だから卑怯な行いをするのである。また学問のある者は、才知や弁舌で生まれつきの臆病や欲心をうまく隠している。人々がよく見誤るところだ。(前掲書、p98)

(引用、終わり)

こんな物騒なことをいつも考えている奴がもしも隣にいたら鬱陶しくてタマらないだろう。
それに『葉隠』のことを理性否定の書と一般化するのも危険である(昭和戦前の軍国主義時代にはそういった解釈の方が主流だったようだが)。この本もまた、その時代が産んだ子だったのだ。

『葉隠』の口述者、山本常朝(1659~1719)の一生は江戸時代の前半期をほぼカバーしている。もはや合戦のない時代だから、武士と言っても寄食階級に過ぎなかった。戦国時代には手向かう百姓は皆殺しにするのが当然だったが、もうそんな時代でもなくなっていたのである。もちろん年貢を喜んで納める百姓など居よう筈もないから、武士は一旦ナメられたらオシマイという立場にあった(今でもおカミとはそうしたものだが)。

すなわち『葉隠』の説く武士道は「相手にナメられるな。いつも気を抜くな。誰からも恐れられるオトコであれ」という、今日で言えば暴力団か、さもなければヤカラ系・オラオラ系愚連隊並みにベタで泥臭い生活倫理だったのだ。
武士道は、明治に入って新渡戸稲造が外国人向けに美化して説明したような、洗練された道徳でも文化でもなかった。念のためにお断りしておく。

ただし、『葉隠』ほど極端ではないにしても、自衛官、消防官、警察官、そして海上保安官はこの種の訓練をある程度は受けていると思われる。佐藤秀峰のマンガ『海猿』(全12巻、1999~2001)およびその映画版(Part1;2004、Part2;2006、Part3;2008)を観て、あるいはそうなのかも知れないと思った。

電気技師だった私の父は、あの時、福島第一原発に居合わせた東電職員たちのことを「お話にならないほど勉強不足・訓練不足で、修羅場を潜った経験もロクスッポないガキども」と罵倒していたが、それは少々言い過ぎではなかろうか。
父は戦後日本の総合電気メーカーのPioneer Days に立ち会った世代なのである。このため、かなり荒っぽいこともやってきたようだ。仕事の選り好みをする余裕もなかったと聞く。
片や不肖の息子はまったくの温室育ちで、模擬試験の偏差値と相談して機械的に進路を決めればそれで事足りた世代に属している。そういった甘チャン世代の一人として見れば、あの東電職員たちはアレでも良くやった方だと私には思えるのだが。

4.

閑話休題。マルクス・レーニンや『葉隠』、福島第一原発の件は別にしても、人類の知性・理性には一定の限界、または、そこから先は人類の認識力では手が届かない壁みたいなものがあると私は思う。スタニスワフ・レムのSF小説(または哲学小説)『ソラリスの陽のもとに』を三度読み返して、私はそう思うに至った。

少々脱線するが、レムおよび『ソラリス』について以下に述べる。

スタニスワフ・レムはポーランドの小説家である(1921~2006)。ポーランド「解放」直後には新社会建設の理想と使命感に燃えた医学生だったが、ルイセンコ騒動で嫌気が差してしまい、以後は社会主義と距離を置くようになったそうである。
『ソラリス』(1961)の粗筋は以下の通りである。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

宇宙の果てにソラリスという、なんだか良く分からないフシギ惑星があった。ソラリスは陸地が全くない海だけの星なのだが、この海がまるで生き物のような謎めいた挙動をする。人類の長年に渉る研究も遂にソラリスの謎を解明できないまま煮詰まってしまい、研究者用の宇宙ステーションもさびれる一方であった。つまり人類の知性・理性は、ソラリスの謎に半ば根負けしていたのである。

ところが、この宇宙ステーションで思わぬ怪現象が発生した。乗組員たちの記憶にある忘れ得ぬ人々が、ニュートリノ製の複製品となって続々と化けて出たのである。
主人公・ケルビンの所には、痴話ゲンカがこじれて自殺したカミサンが化けて出た。ところがこの複製品、どういう訳か過去の記憶のうちヤバイ部分だけスッポリと抜け落ちていた。それはそれで好都合と言えなくもないが、テキもそのうち「どうもヘンだ」と気づき始める。「ハテ、どうしたもンか」と、ケルビン君はとうとう頭を抱えて込んでしまいましたとさ。

ウジウジと悩むダンナを不憫に思ったカミサンは、とうとう姿を消す。人類はソラリスの謎に負けたのだ。ケルビン君もシッポを巻いて宇宙ステーションから立ち退くことにした。彼が最後に吐いた負け惜しみが以下である。

「しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか?何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。」(沼野充義訳書、p345)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

ケルビン君は何を待っていたと言うのか?そしてレムは?
私も本書を繰り返し読んだ頃には何かを待っていたが、それが何だったのかさえ、もう忘れてしまった。

なお、私が三度読み返した『ソラリス』は飯田規和訳によるハヤカワ文庫版(1977年)である。これはロシア語訳からの重訳らしく、検閲に起因したと思われる脱落箇所もあるそうだ。沼野充義による完訳版(国書刊行会、2004年)も手元にあるが、未だ通読する機会を得ない。

レムおよび『ソラリス』については以上である。

繰り返しになるが、人類の知性・理性には一定の限界、または、そこから先は人類の認識力では手が届かない壁みたいなものがあると私は思う。
だから私は、見て来たようなことを口にするヤカラ、人前で、さもモットモらしげなことをホザくヤカラを絶対信用しない。

なにを隠そうこのオレはデンマークの王子ハムレット、じゃなかった、学生時代に共産主義にイッパイ喰わされたマヌケだぞ。
悔い改めてマトモ(と見えた)会社に就職したら、今度は人事部のイヌどもやら、おエライさんやら、日本経済新聞やらにまんまとしてやられたぞ。お仕えしていた首領さま(みたいな奴だった)が「悪いようにはしないから」とおっしゃったのでウカウカ信用したら、結局悪いようにされてしまったぞ。

おかげで今では、真摯な宗教家や誠実そうな専門職(医者、弁護士、公認会計士、学校教師、カウンセラー等)の言うことすら100%信用する気になれない。そうすることに強い抵抗感がある。ジンマシンが出そうになる。

5.

ただし、「生兵法は怪我のモト」と言う。当てズッポウな素人判断に頼るくらいなら、プロに任せた方がリスクは低いことも分かっている。

だから私は、プロに仕事を依頼する時は、ただ一つの賭け目に有り金を全部ベットする積もりで身を任せる。バクチのプロでもない者が、リスク分散などと小賢しい事を考えたら却って全てを失うのがオチだ。セッパ詰まれば清水の舞台からでも飛び降りるしかない。答えはルーレットだけが知っている。

実は私は小児期には虚弱体質で、季節の変わり目には病気ばかりしていた。友には喘息持ちで、ムシ饅頭みたいな色の顔をした奴もいた。腎臓をやられた奴も同じような顔色になる。小児白血病で死んだ奴の噂もよく耳にした。

あるレベル以上の難病に罹患したら、助かるかどうかは運次第だ。たまたま腕の良い医者に当たるかどうかも運次第だ。それに、名医といえども誤診は必ずある。ブラック・ジャックにだってある。医者の誤診でこちらが一巻のオワリになるかどうかも運次第だ。

もはやお医者さまに頼るしかこちらの選択肢がない以上、そうやって割り切るしかないだろう。お医者さまには「どうかベストを尽くして下さい」以上のことを期待すべきではないだろう。

死ぬのは私なのだ。死んでしまった後でお医者さまを告訴したところで、既に死んでいる私には面白くも何ともない。死んだら花実は咲かない。どんな人間でも、持って生まれた運の量(または星、sign)は変えようがないのである。

ヘーゲルは「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である」とぬかしたが、現実は時に不合理なこともあり、不合理な現実に直面しなければならないこともある。
もちろん、「オマエはもう死ぬんだ」と告知された当人にはとても納得の行く話ではなかろうが、人の生き死になどというものは、詰まる所はただの偶発事、アクシデントに過ぎないのである。頭の中でグチャグチャ考えても、不合理な現実の前には屁のツッパリにもならないのである。

昔、私が未だヒヨッコだった頃、総務のオッサンが会社の対応に憤っていたのを思い出す。突然死した従業員への配慮が足りないと言って怒っていたのである。
オッサンいわく、「人の生き死ににチャンと対応できない会社というのは、オレはダメな会社だと思う。」

6.

かてて加えて私の人間嫌い・人間不信を決定付けたのが我が両親である。
二人とも口を開けばゴモットモなことを言うが、やることは只のマキャベリストだった(今でもそうだが)。ズル賢くて無慈悲で暴力も辞さないところは、まるでインテリヤクザと同居しているようだった。

結局、言い分なんてものは誰にだってある。北朝鮮の労働党にだってあるのだ。
だから、強権に翻弄されたくなければ、相手が口にしたことではなく実際にやったことで判断し、ズル賢く執念深く、時に大胆に対抗すべきだ。

「好かれて死ぬのと、嫌われて生きるのと、どちらか一方を選ぶなら、生きる方を選べ。」(イスラエルの諺)

7.

以上に述べた通り、(1)人類の知性・理性には一定の限界があること[オレ流・不可知論]、(2)現実的なものは必ずしも合理的であるとは限らず、偶発的な要素を排除できないこと[オレ流・運命論]、(3)誰だって我が身が可愛いから、自己正当化の屁理屈はどうにでも付けられること[オレ流・パワー・ポリティクス理論]、以上3点を根拠として、私は自分自身の眼で見たもの、または自分の体で確かめたもの以外は信用しない。

実は今でも先験的なもの、超越的なものへの憧れがないではないが、もう二度とソッチ方面には行きたくないのである。一度目(共産主義)は若気の至りで笑って済ますこともできたが、二度同じことをしでかしたら学習能力のまったくない、タダのバカ者である。

我が眼を通して記憶に焼き付けたこと。この体で直接受け止めた快感または苦痛。これだけが私の真実なのだ。

8.

なお、喜怒哀楽は「真実」の内に含めない。それらのものは気の持ちよう一つでどうにでもなるからだ。喜怒哀楽に振り回されて終わる人生は賢明とは言えず、また得策でもないと思う。

ルネサンス時代のイタリアにマントヴァという小国があった。その女領主イザベッラ・デステ(1474~1539)の座右銘は「夢もなく、怖れもなく/Nec spe nec metu」だったと言う。徹底したリアリストだったのだ。

20年ほど前、丘の上で陽がカゲって行くのをバカみたいに眺めながら、私はこう考えた。
私の場合、「夢もなく、怖れもなく」という座右銘を「思い上りもなく、自己憐憫もなく」と読み換えると、より実践的・建設的なのではなかろうか。さしたる理由も無いのに私がしばしば尊大になったり、かと思うと卑屈になったりするのは、思い上りと自己憐憫がそうさせるに違いないからだ。
どちらにも現実的な根拠はない。おまけに、思い上りは判断力のバランスを失わせ、自己憐憫は思い切った行動を先延ばしにさせる。つまり、どちらも時間の無駄だ。

9.

とは言ったものの、器官または身体を媒介として外部から入ってきた「真実」と、私の頭の中でコシラえた幻像に過ぎない「「真実」」との間に、明確な境界線があるようにも思えない。結局、スパリとは割り切れないのである。

何だか私が先に書いた駄文「世界認識の方法」でほざいたことに、ぐるっと一回りして帰って来たような気もするが、今度は私の器官または身体に着目した分だけ、前文より多少は前進したと言えようか。

我が唯物論の基礎はこの器官ある身体である。私にはそれ以外に自立の思想的拠点はない。だからこそ生きてるうちがハナ、死んだらソレマデなのである。
(以 上)



[70]世界認識の方法(第三版)
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2012-01-27 08:47:10

1.

私が小学校低学年(注1)の、家族みんなが寝静まった深夜の刻、布団の中で壁を見詰めながらこんなことを考えた。

(注1)具体的には1970年4月(6歳)から1972年6月(8歳)の間のことである。

もちろんただの鼻タレ小僧だった私に、以下のように筋道立った思考ができよう筈もない。後年になって少々カジッた哲学用語で、子供だった頃の一度切りの(そして、決して忘れることができなかった)思いつきを交通整理してまとめ直した、いわば「後出しジャンケン」であることをあらかじめお断りしておく。

2.

世界とは私が認識したものの全てだ。

戦争が泥沼化していたベトナム・カンボジアでは、子供でも無差別に虐殺されかねない事を私は知っていたし、アメリカ合衆国の子供がけっこうな消費生活を享受している事も知っていた。
また、日本は高度成長期の今でこそ物のあふれる豊かな国だが、敗戦直後は餓死者も出るような食うや食わずの状態だった事も知っていた。(ここらへん、妙にませているのがテレビっ子のテレビっ子たる所以なのである。)

その一方で、私が認識できなかったものは世界の外にあるようなものだ。たとえ目の前に置いてある物でも、私がそれを認識できなかったら存在しないも同然だ。

また、私が死んだ後の世界がどうなるかも私の知り得ないことだ。世界とはつまり、私が生きてる内がハナなのだ。

これが偏った考えであることは承知しているが、その時の私には、ことほど左様に世界とは主観的なもの、いわばテレビの映像の如きものに過ぎないのではなかろうかと思えたのである。(昼間、実際に体を動かしている時、または他者と交通している時だったら、こんなことは思いつきもしなかったろう。)

とにかくその時、私はこう思った。
私は私の主観に仕えている。私の主観は私に対して万能である。それならば、かくも至高の存在である私の主観が、今この空間、今この時間、そして今この肉体に拘束され、限定されているのはなぜなのか。

なぜ私はベトナムでもアメリカ合衆国でもない、日本という特定の空間に存在しているのか。なぜ敗戦直後ではなく、高度成長期の今という時間に存在しているのか。私が山田太郎や鈴木一郎とは置き換え不可能で、藤村甲子園以外の者であり得ない理由とは一体何なのか。

もしかしたら、私の主観、私の存在は別に至高のものではなく、ただのアクシデントの結果として存在しているのかも知れない。そう考えないとツジツマが合わないではないか。

3.

それで薄汚いガキだった私がその後どうしたかと言うと、実に子供らしい天真爛漫さで、自分の考えをまだ拙い言い回しのまま周囲の親友にぶつけてみた。

もちろん信頼していた友すべてに、変な顔をされただけのことである。
「大人は判ってくれない」どころの話ではない。同じ子供である親友たちですら、私の話を判ってくれなかったのである。

4.

今にして思えば、事の真相は実に単純だった。私はこう言えば良かったのだ。
「どうしてこんな粗暴で、相手の痛みが全く分からないエゴイストで、なおかつ外っ面ばかり良い偽善者で、そのくせ自分たちのことを善人か義人と(ヘタすりゃ聖人君子とでも)信じて疑わない、まるでマキャベリストの鑑みたいな人間が私の両親なんだ。
こんな家、出て行ってやる。」

実際、家出は何度も検討した。だが、私はそれに踏み切れなかった。
家出をすれば寒かろう。ひもじかろう。追っ手に捕まって家に連れ戻されたら、今よりひどい暴力が待ち構えていることは判りきっている。それならこの家でナニ食わぬ顔をし続けていた方がまだましだ。
私は子供のくせに、妙なところで分別臭い奴だったのである。

さらに私は、こんなことを考えるようになった。
そもそも親の前で、顔の表情や身振り、言葉の端々に些かでも反抗のそぶりを見せたりするから殴る蹴るの目に遭うのであって、ポーカーフェイスと完全黙秘を貫き通し(注2)、心の中でだけ父母に復讐し続けるなら父母といえども手の出しようはあるまい。
心だけは私のものだ。(注3)

(注2)但し、ウソは禁物である。コルネイユいわく「うそを吐いたとたんに、良い記憶力が必要となる」とは本当のことだと、何度か痛い目を見た後で私は思い知った。

(注3)これを「思想・良心の自由」と言うのだと、後に憲法の講義で習った。言いたいことを忌憚なく口にできる、いわゆる「表現の自由」とはまた別物である。

それに、痛い目に遭わされて私が泣けば、両親は「なんだ、これ位のことで泣くな」と殴り蹴った当人が私のことを嘲笑した。殴られるのはやむを得ないが、殴られた上に侮辱までされるのは子供心にも耐え難かった。(両親は私のことをフォローした積もりだったのかもしれないが、私はそうは受け取らなかった。)
私は決めた。痛ければ涙は自然に出る。だが、泣き声は上げまい。親に涙を見られるのは屈辱だから、隠れて泣こう。それと、涙は流れるに任せよう。無理して我慢すると眼が充血して赤くなるからだ。それ位の事は実に造作もないことだ。

幼い私は、こうやって一歩また一歩と精神的に武装し、親の目の届かない「地下水道」に潜ることを覚えて行った。(注4)

(注4)私がニコロ・マキアヴェッリ(1469~1527)の著作に触れてその虜となるのはそれから約25年後の1996年(私が33歳)前後のことである。
マキアヴェッリは決してマキャベリストではない。祖国イタリアの自由と独立のため、生涯かけて戦い抜いた「最後の中世人」にして「最初の近代的共和主義者」とでも言うべき人だったのである。

「好かれて死ぬのと、嫌われて生きるのと、どちらか一方を選ぶなら、生きる方を選ぶ。」(イスラエルの諺)

意図せずして私は上記の道を選んだ。なるほど「藤村はオタクだ」、「クラい」、「執念深い」、「陰険でムカつく」とカゲ口を叩かれる筈である。

私はタイム・マシンで過去に遡り、子供の私に教えてやりたい。
「もしも家出する気になったら、児童相談所か法務局人権相談係に駆け込め。家に連れ戻されそうになったらトイレに立て籠もり、着ているものを全部便器の水に浸し、全裸になってでも抵抗しろ。死ぬ気でやれば出来るだろう」と。

5.

私の両親は今でも「長男のおまえが私たちのことを理解してくれないのは納得できない」などと言っている。

私は分かり合えなくても良いと思っている。そういう親子関係なのだから仕方ないだろう。両親のように「ヨソの家にはあるものが、なぜウチにはないんだ」などと駄々をこねても始まらない。

もう済んだことだ、何もかも。It is no use crying over spilt milk.(こぼれたミルクを嘆いても仕方がない)
両親に対しては「これからどうするか」以外に、私にはいかなる関心もない。今後も私の両親が(1)私の領分を勝手に侵犯せず、(2)礼儀と社会常識を尊重してくれるなら、私は両親のことを引き受ける覚悟である。

6.

さてその後、高校生になった私が性懲りもなく我が「世界認識論」を開陳した際、ある親友は私の顔を正面から見据えてこう言った。
「もしかしておまえ、自分の親に不満でもあるんじゃないのか。」
私は「いや、そんな積もりで言ったんじゃない」と打ち消してしまったが、実はこれこそが問題の急所だったのである。

私は自分の本当の姿から目を逸らしていた。
この点を、妹たちや複数の親友から何度も警告されてもいた、「おまえは肝心な時には、そうやってすぐ逃げる」と。
先に述べた「世界認識」云々の屁理屈は、子供なりに巧妙に仕組んだ私のアリバイだったのである。
すなわち、「何もかも私の気のせいだと考えれば、このひどい生活にもなんとか耐えて行けるではないか」というのが、私の真の動機だったのである。

つまり私の精神構造は、早ければ6歳、遅くとも8歳までには煮詰まっていて身動き取れなくなっていたのだ。

こう言った独りよがりな人間は、第三者から見れば当然のことながら、
「自分のことにしか興味がない奴」、
「人の話を一応聞くフリはするが、最後は自分のしたいようにしてしまう奴」、
「相手とよく話し合った上で折り合う、相互了解に達するということができない奴」、
「自分の殻に閉じ籠っている奴」、
「自分の影に脅えている奴」、
「何を考えているのかさっぱり分からない奴」と映る。

実は、親友、同級生、教師、会社の同僚、上司、そして初対面の人間(注5)からさえ、私は何度も忠告(注6)されていた、「いつまでも固い殻の中に閉じ籠るな。他人に対して身構えるな。まず、肩の力を抜け」と。
その頃はまだ、私は自分が何を言われたのかさえ理解できなかったのである。

(注5)上に列挙した人々の中には、私に好意を持っている人もいたし、持っていない人もいた。「おまえのことが嫌いだ」と、私に面と向かって言った人もいた。
このように立場の如何に拘らず口にすることは誰しも同じなのだから、頂いたご忠告は客観的に見て妥当なものと言わざるを得まいと、私は思わないでもなかった。

(注6)一口に忠告と言っても「ためになる忠告」と「ためにならない忠告」の2種類がある。
(1)「アンタのことをみんなが***だって言ってたよ」だの「まあ、私も人の事は言えないんだけどね」といったフレーズを含む「ご忠告」には聞く耳持つ必要はない。
こういう没主体的で無責任な言い回しを好む人間は、えてして面倒ごと・厄介ごとからは逃げ回り、自分の告げ口で相手が苦しむのを見て楽しんでいるだけのことが多いからである。最悪の場合、話の内容が100%デマ、100%誹謗中傷である可能性もあると心得ておいた方が良い。
(2)これに対し、「これは私の見解なんだか」とか「君のためを思って言うんだから、心の片隅にでも留めておいてほしいんだが」と言ったフレーズが出てきた場合、相手はハラを据えてものを言っている。忠告の内容がどうしても承服し難いものだったとしても、その一言々々を真摯に受け止めて「私の何がイケないの?」と反省し、具体的な是正処置を講じるべきである。その是正処置がまるで見当違いなものだったとしても、周囲の人間は「あいつはあいつなりに反省してるんだな」と認めてはくれるだろう。
反対に、あなたが忠告された時だけ反省したようなフリをし、その後何の変化も見られなかったら、あなたは周囲から見放されるだろう。
(3)もちろん、自分一人がイノセントな「唯我独尊」の世界に閉じこもるというのも、それはそれで心地よいものだ。「気がついた時には一人ぼっちになっていた」でも別に構わないという方はどうぞご勝手に。ただし、次のような覚悟だけはしておいた方が良いと思います。小林秀雄いわく、「世捨て人とは世を捨てた人のことではない。世に捨てられた人のことである。」

7.

なお、もしも私の両親がこの文章を読んだらきっとこう言うだろう。
「この文章はフェアじゃない。お前が親からお蔭を被った部分はチャッカリ無視しているではないか。家族旅行や買い物にも連れて行ったし、本は買いたい放題に買わせてやったし、情操教育や進学にもたっぷり金をかけてやったじゃないか」と。

その通りである。この文章は私の生い立ちのダーク・サイドを抉り出そうとしたものだ。だから「そういう一面ばかりじゃなかったろう」と抗弁したところで、それでプラス・マイナス帳消しになるというものでもないのである。
毒なら薬で解毒できる。だが、一旦体内に蓄積された重金属は、そのまま死ぬまで私の中にある。

そう言えば、両親に怒鳴られたり小突かれたりしながら、つきっきりでピアノの練習や幾何学のドリルをやった事もあった。今思えばどちらも重要な基礎教養だったのだが、私は結局これらのものを見るのも嫌になってしまった。こういう押しつけがましいやり方が私の両親なりの愛情表現だったのかと思うと心底ウンザリする。梶原一騎『巨人の星』だの小池一夫『子連れ狼』だのが理想的な子弟教育の見本とされていた時代の話である。

8.

長じて妙な本ばかり読むようになった私は、当然ながら妙な知恵がついた。

中学1年の1976年に、旧ソビエト連邦から国外追放された反体制作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「収容所群島」を、未だよく分からないながらも、むさぼるように読み耽った。
旧ソ連のように自由のない息苦しい国であっても、その気になりさえすればソルジェニーツィンのように精神的な独立と人間としての尊厳を守り通すことができるのだと私は知った。(注7)

(注7)かくてソルジェニーツィンは少年だった私のヒーローの一人となった。
ところが後日、ナターリヤ・レシェトフスカヤ『私のソルジェニーツィン 前夫人の回想記』(サイマル出版会、1974年)を読んだところ、実はこのオッサン、全くどうしようもない偏屈者だったと知った。旧ソ連がどうしたこうした以前に、そもそも世の中と上手く折り合って生きて行くことができないタイプの人間だったのである。
今日私は、ソルジェニーツィンのようになりたいとは別に思わない。

そして、忘れもしない大学2年の1983年、とうとう私はバカなことを思いついた。

すなわち、「世界が私にとって不都合なら、少々乱暴なことをしてでも世界の方を変えてやれば済むことではないか」と。

かくて我が「或阿呆の一生」エピソード2が開幕の運びとなった。
その話はいずれまた改めて。
(以 上)



[67]息子が父に語る吉本隆明
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2012-01-15 01:20:55

1.プロローグ

私の父は定年退職以降、もう10年以上も念仏に凝っている。元々、我が家の宗旨は浄土真宗だったのだが、父は念仏に凝りに凝った挙げ句、とうとう在家のまま僧籍まで取ってしまった。最近では我が家の旦那寺の若いご院家さん(住職のこと)に法論を挑んだり説教したりする始末である。全くどうしようもないバカ親父である。

10年ほど前、父に吉本隆明の親鸞論を紹介した。父はなぜか食いついてきた。「この人はとても頭の良い人だなあ」とえらく気に入った様子であった。

ところが最近、父は生煮えな吉本批判を口にするようになった。吉本の仏教全般に対する造詣は認めざるを得ないが、異教徒にあれこれと偉そうなことを言われるのが気に食わなくなったということらしい。父いわく「吉本は望遠鏡で親鸞を見ているような気がする」だそうだ。「吉本は国訳大蔵経を全巻読破したらしいよ」と言ってやったら、父はビビッていた。ざまあみろ。

ご院家さんから「吉本隆明の『最後の親鸞』とは一体どういう本なのですか」と問われたので、私は以下のように答えた。

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人類の世界認識は段階を踏んで発展してきた。社会科学というものが成立する以前に「世界とは何か。この世の中に違いを作り出して行くにはどうすれば良いのか」と言った問題に対処するには、宗教という形でそれをせざるを得なかったのだと吉本は考えた。
だから、鎌倉時代の日本人が何を考え、何をどうしようとしていたのか知りたければ、親鸞が書き残した著作を読むのが早道なのだと。

ここから先は私、藤村の解釈なのだが、吉本の以上のような論を踏まえると、宗教独自の存在意義はどうなるのか。吉本説に従えば「それは無い」ということになる。それじゃお坊さんがやる気を無くしてしまうだろう。ずいぶんな言い草もあったものではないか。

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ご院家さんには以上のようにお答えしたが、それから先も「吉本隆明って、結局どういう人だったのだろう」という問題が頭から離れなかった。ずっとあれこれ考え続けていた。

本日、その思いを断ち切るため私なりのメモを記す。
吉本の原文は確認していないので、私なりに言い換えた箇所もあり、またおそらく思い違いもあるだろう。その点はどうかご海容いただきたい。


2.<大衆の原像>について

吉本思想のよく知られたキー・ワードは<大衆の原像>である。それは概略、以下のようなものだ。

人類史を発展させてきた原動力は政治でも経済でも思想でも法律でもなく、大衆の営々たる生活の営みなのだと吉本は説く。
大衆とは子を産み育て、やがて死んで行く、後世顧みられることのない人々のことである。自分の家族を養い守ることに自分の全てを注ぎ込んで生きている人々であり、世間に向かって言葉を発することもなく、また文字を書き残すこともなく去って行く人々である。

知識人や知識人の集団(宗派や党派)も、元はと言えばこの大衆の中から生まれ出てきたものなのだが、自らの知的能力で世界(時間と空間)を把握しようとした時点で、そしてそれを文字にして残そうとした時点で、知識人やその集団は既に大衆から浮き上がった存在になっている。
大衆はそんなカネにもならないことには興味を示さないからだ。自分の生活でイッパイイッパイだからだ。

知識人とは要するにヒマ人のことなのである。知識人の集団(宗派や党派)とは、自分たちの利害と直接関係ないことに余計な口を挟みたがるお節介焼きのことである。小さな親切、大きなお世話なのである。

だから知識人やその集団は、自らの世界観の中に<大衆の原像>を繰り込む努力を常にしていないと、必然的に独りよがりな視野狭窄に陥って腐敗堕落してしまう。以上の論拠から、吉本は日本共産党の硬直して独善的な世界観を批判し続けた。
これが吉本の言う<大衆の原像>のあらましである。


3.大衆の戦争参加について

さて<大衆>の定義が以上のようなものだとすると、昭和戦前の日本の大衆が率先して戦争に参加したのはなぜなのか。
蒋介石やルーズベルトが、今すぐにでも日本の大衆を虐殺しに来るという状況でもなかったのに、なんで日本の大衆は見ず知らずの他人を殺しに行くのに抵抗を感じなかったのか。
「大衆は自分の家族を養い守ることに自分の全てを注ぎ込んで生きている。カネにもならないことには興味を示さない」という、最前の定義と矛盾しているではないか。

この点については、戦後になって以下のような説明がされることが多い。

(説明A)私は本当は戦争に反対だった。でも、それを口にできるような雰囲気ではなかったのだ。だからイヤイヤ従っていたまでのことである。

(説明B)私は<無辜(むこ)の民>だ。私は軍国主義者やそれに追随したマスコミにまんまと騙されていたのだ。いわば私は軍国主義の被害者だ。だから、もう騙されないぞ。

(説明C)わが日本共産党は戦争に一貫して反対してきた唯一の党である。だからこそ、非転向のわが党員はみな獄に投ぜられていたのだ。

吉本は(説明A)を「戦争傍観者の言い訳、自己正当化に過ぎない」と切り捨てる。
(説明B)は「床屋政談の類だ。こういうカマトトぶって訳知り顔をしたがるヤカラに限って、今度はマッカーサーやスターリンにまんまと騙されてしまうのだ」と言う。
(説明C)に至っては「要するに獄中にいたので何もできませんでしたというだけのことではないか」と切って捨てた。

吉本は本当はこう言いたいのである。
「国民はみな、熱狂して戦争に協力したではないか。軍国少年だった私はその様子を目撃している。私もまた、祖国の勝利を心から信じていたのだ」と。

それじゃあ再度聞くが、大衆が熱狂して戦争に協力したのはなぜなのか?自分のトクには金輪際ならないことなのに、進んで我が身を危険に曝したのはなぜなのか?

ここで吉本思想のもう一つの顔が現れる。余り指摘されることはないが、吉本という人の地金なのである。

いわく、人間は一人で生まれて一人で死んで行く。その限りでは孤独な存在である。
だが、生きている間は決して一人では生きて行けない。どんな人間でも、自らの家族と、友人、隣近所、祖国と、そして全人類とつながりあっているからこそ生きて行けるのだ。

つまり人間は、ある時には孤独な存在だが、またある時には家族の一員であり、良き隣人であり、忠実な臣民であり、さらには<人類の一員>でもあるのだ。
このことは哲学だの思想だのに関心も知識もない大衆でも、みなが理解していることなのである。
逆に、イイ歳したオトナになってもそういった自覚と責任感が持てない者は、世の中からハジき出されてしまう。これは小林秀雄の言葉だが、「世捨て人とは世を捨てた人のことではない。世に捨てられた人のことなのである。」

以上を踏まえて吉本は言う。
人間というものは、自分の身の丈よりも大きな価値、たとえば「会社のため」、「おらが村のため」、「祖国のため」、「人類のため」といったものを持ち出されると、みんながみんなそちらに靡いてしまうのだと。逆に言えば、そういった大きな価値、大きな正義に身を預けるのでなければ、見ず知らずの他人を殺すため鉄砲担いで海を渡ることなどできはしないと。

なんだか純真無垢な軍国少年そのまんまの言い草である。実際、吉本の青春時代は太平洋戦争の期間とピッタリ重なっている。つまり吉本隆明という人は、戦争中の軍国少年がそのままオトナになってしまったような一面もある人なのである。


4.吉本隆明はなんで仏教やキリスト教に<浮気>したがるのか。

吉本隆明は軍国主義にまんまと一杯食わされた。もちろんその事に対する反省はある。

それで戦後、吉本は一転してアカになった。だが、「もう騙されないぞ。今度は革命だ」と思い込めるほど単純バカでもなかった。おまけに組合活動のやり過ぎで会社をクビになってしまった。これじゃあ誰だって反省するだろう。

もちろん問題は「反省したかどうか」じゃなくて、「何をどう反省したのか。反省した結果、何をどう是正処置するのか」であることは言うまでもない。

ここで吉本さんがユニークなのは、その反省の仕方である。吉本さんはこう考えた。

人間というのは、一見すると自らの家族を養うことしか眼中にないように見えるが、実は普遍的な(全人類に直結するような)大きな価値基準、大きな正義なしには生きて行けない生き物なのではなかろうか。これは知識人であると大衆であるとを問わない。また、古今東西も問わない。

では、人間にとって思想とは一体何なのか。どうして人間が頭の中でこしらえた観念に過ぎないものが、大衆の大多数を動かすほどの力を持ってしまうのか。
いや、そもそも「人間は考える葦である」とは一体どういう意味か。考えること、そしてそれを言語で表現することを通して、人間は世界(人類の総体)とどのように関わっているのか。

かくて吉本さんの<自分探しの旅>が始まった。
軍国主義はダメだった。共産主義もイマイチ肌に馴染まない。
だから吉本さんは、キリストだの親鸞だの良寛だの麻原彰晃だのに<浮気>したがるのではなかろうか。それらのものを、無理矢理ヘーゲル流に捻じ曲げて、近代合理主義的に解釈したがるのではなかろうか。

吉本さんは一面、多芸多才な雑食性のジレッタントのようにも見えるが、「世界思想とはどんなものであるか、思想の世界基準とは何か」に拘り続けたという意味では、一貫している人だったと私は思う。

今日では、上記のような問題意識を抱いた人は大学に留まって思想史、比較思想または言語学の研究者にでもなるのではなかろうか。
だが、吉本さんは腐ってもアカである。かつては「おれが革命といったらみんな武器をとってくれ」(恋唄)と詠った人である。到底大学の枠内に納まるような人ではなかったということなのだろう。吉本さんもまた、時代の子だったのである。

ちなみに吉本さんはクラウゼヴッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」を踏まえてこう言った、「戦争は他の手段をもってする大衆弾圧の継続である」と。私はこの言葉が好きだ。

司馬遼太郎は昭和の軍国主義を親の仇と怨む余り、日露戦争を持ち上げたりした。私はこれに同意しない。203高地で機銃掃射されて死んだ日本兵だって、なにも喜んで死んで行った訳じゃなかろう。

「戦争は他の手段をもってする大衆弾圧の継続である」とは、私が同意・承認できるほとんど唯一の歴史観である。


5.再読・吉本隆明『最後の親鸞』

『最後の親鸞』を再読して思った。吉本隆明は<歪んだ真珠>のような人である。
親鸞に対する評価が歪んでいるのではなく、評価軸そのものが歪んでいるである。そしてその歪みこそが、吉本思想の魅力の源泉にもなっている。カリスマとはかくの如きか。

ここまでは誉めた。ここから先はクサす。
私見では、吉本は西洋近代合理主義の台木の上に、仏教を接ぎ木したのだと思う。西洋近代合理主義と仏教とでは、プロブレマティーク(注)がまるで違うというのに。

(注)プロブレマティークは問題構制と訳されている。ここでは「最初にどういう問題設定をしたかによって、導き出される答えも自ずと制約されてしまう」という意味でこの言葉を用いている。

吉本は国訳大蔵経を全巻読み込んだとのことだ。その労力たるや恐るべきものである。そこまでやった上で、なおかつ仏教を自分流に捻じ曲げてしまうのだから、まるで法廷闘争に長けた共産党のラツ腕弁護士のようではないか。

私の心の中に、西洋近代合理主義と仏教という全く別種の木が二本並んで生えていても良いではないか。私はそう思っている。どちらにせよ、仏教オンチはとても恥ずかしいことである。
(以上)



[66]NHKの片棒かつぎます。
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2012-01-12 20:35:36

NHKの片棒かつぎます。別に「受信料払え」という積もりはありませんが。

[61]で取り上げた高橋優が、NHK総合の20分ドキュメンタリーで取り上げられます。ご興味がおありの方々はどうぞ。

(引用、始め)

http://www.nhk.or.jp/program/20min/
NHK総合、1月16日(月)【15日深夜】午前0時40分~1時00分
ドキュメント20min.
「“今”伝える~シンガーソングライター 高橋優~」

デビュー2年目にしてCMやドラマに楽曲が次々と採用される、いま期待のシンガー・ソングライターの高橋優。その魅力は、力強くまっすぐな歌詞。ライブでは、若者たちが共に歌い・笑い・涙し、熱狂の嵐に包まれる。なぜ、そんなにも若者の心をひきつけてやまないのか。高橋の歌に励まされている若者の目線から、その魅力に迫る。さらに、歌詞が生み出される現場にも密着し、言葉へのこだわりを探る。

(引用、終わり)
(以上)



[64]年頭所感・プラハの春44周年に当たって
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2012-01-01 07:32:42

謹賀新年。
せっかくの正月休みなので、スメタナの交響詩「わが祖国」より第2曲「モルダウ」を聴いた。事のついでにシベリウス「フィンランディア」も聴いた。

1942年生まれの母はご幼少のみぎり、「キィタは樺太、千島よりぃ、ミィナミ、台湾、膨鼓島ぅ」なる歌(注1)を、いつとはなしに聞き覚えたという。
また、旧軍時代の絵ハガキ(たとえば帝国海軍練習生がハツラツと訓練に励んでいる様子を描いたものなど)が家の中にゴロゴロしていて、子供のオモチャになっていたという。
もちろん戦後の話である。

(注1)この歌の素性はネットでは分からなかった。この領土範囲だと1905~1919年の間の歌のように思える。父母によると、同一メロディの歌を他にも聴いたことがあるので、替え歌の可能性もあるという。


わが祖国は戦争に負けてアメリカの属国にされた。占領中、政治・軍事・経済に関してはアメリカの手で徹底的に外科手術を施された。だが、文化的同化までは強制されなかったと私は考える。

もちろん占領期間中は旧内務省=特高警察より厳しい報道統制を敷かれ(注2)、一般大衆の郵便物まで開封・検閲された。だが、あの自爆テロ讃美ドラマ「仮名手本忠臣蔵」が、まだ占領中の1947年に復活上演されているのである(占領軍の中に日本オタクがいたらしい)。

(注2)旧内務省=特高警察による検閲はヤバイ文字を伏せ字にしただけで、前後の文脈を踏まえれば「××主義」とは「共産主義」のことかと容易に推測できる間の抜けたものだった。
一方、占領軍の検閲では気に食わない文言を丸ごと削除し、ズタズタになった文章を文意が通るよう書き直してもう一度持って来いと命じる、ご念の入ったものだったという。

1942年生まれの母の生活環境に戦前文化の残り香がプンプンしていたというのは、それらのものが「そのスジに発覚すれば手が後ろに回りかねないほどヤバイもの」ではなかった証拠とは言えまいか(注3)。

(注3)旧軍の武装解除(1945)、日本共産党員釈放(1945)、農地解放(1946)、東京裁判(1946~8)、財閥解体(1946)、憲法改正(1946~7)、ドッジライン(1949)、シャウプ勧告(1949)等の政治・軍事・経済イシューは、文化イシューとはまた別の話である。
そもそも戦前と戦後の文化的断絶を、あまり過大に評価すべきではないと私は考える。すめろぎは退位も廃位も強制されず、人間(ひと)となりたまひて強かに生き延びたではないか。


我々は英語のアメリカ式発音やコカ・コーラやエルビス・プレスリーを、そしてレジスターや品質管理ノウハウやオペレーションズ・リサーチを、自ら進んで取り入れたのであって、CIAに強制された訳ではない。アメリカの奴隷ではあっても、囚人ではない。アメリカは「男子は全員、弁髪にしなければ首を切るぞ」とまでは言わなかった。

それでは、アメリカ人に征服された訳でもないのに、なんで私はStandard Jazzを流暢な英語で歌いたいとdesperately願うのか。
NHK・Eテレの「3か月トピック英会話 歌って発音マスター!~魅惑のスタンダード・ジャズ編~」を毎回イソイソと見て、[p][b]、[f][v]とかいったアメリカ式発音練習に、なんで私はセッセと励むのか。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/english/3month/
おリコウさん(複数形)は言う、バカモノ(複数形)だけがアメリカ文化に殺到すると。それでもボクはElvis Presleyの流し目と美声を愛さずにはいられないんだよ。


お隣りさんの韓国人は「有史以来1000回以上も侵略され、すべて撃退してきた」そうだ。韓国の人たちがあんなギトギトした、物事をドライに割り切る事大主義者になってしまったのはそのせいだろうか。韓国ドラマをほんのちょっとでも見れば、納得はできることだが。

対するにわが祖国はと言うと、緑は今もみずみずしく、乙女はあでやかで、人の心はカモメのように真っ白である(今のところは)。愛するひとは美しく、愛するひとはすこやかである(今のところは)。

実は我々日本人は、異民族による征服というものを、ただの一度も経験していないのではなかろうか(今までのところは)。
(本文、終わり)


[ヘレニズム文化とは]
紀元前334~323年、アレキサンダー大王の征服によりオリエント全域にギリシャ文化が強制され、その結果生じた東西折衷文化のことである。
たとえばインド亜大陸北西部では、こいつらに征服されるまで仏教徒は「法輪」というシンボル・マークをおシャカさまに見立てており、偶像崇拝を厳しく禁止していたという。そう思って見ると、ガンダーラの仏像というのはギリシャ人の仮装大会のように思えて来る。ウソだと思ったら、上野の東京国立博物館・本館に行って見給え。


1066年 イギリス、ノルマン・コンクェスト。
     英語にフランス由来の外来語が残存しているのはこのためだという。

1453年 オスマン・トルコによる「イスタンブルの開拓」または「イスタンブルの征服」。
    メフメト2世はただちに同地に遷都。

1492年 スペイン・グラナダ陥落によりレコンキスタ完成。
    同地のイスラム教徒およびユダヤ教徒はキリスト教への改宗を強制され、これを嫌う者は追放された。

1532年 神聖ローマ皇帝カール5世のフィレンツェ制圧より、フィレンツェ共和国は世襲のフィレンツェ公国となった。
    チェーザレ・ボルジア(1475~1507)、ニコロ・マキアヴェッリ(1469~1527)は遠くなりにけり。

1618~1766年 三十年戦争、ファルツ継承戦争、ポーランド継承戦争等を通じ、ブルボン朝フランスは神聖ローマ帝国領アルザスを徐々に蚕食していった。

1871年 普仏戦争によりドイツ帝国が第三共和政フランスからアルザスを獲得。

1910年 日韓併合。
    その後、何が起きたかはご存じの通り。

1919年 第一次世界大戦により第三共和政フランスがドイツ・ワイマール共和国からアルザスを獲得。
    アルザスの争奪劇は第二次世界大戦でも繰り返される。

1932年 満州国建国。
    その後、何が起きたかはご存じの通り。

1956年 ハンガリー動乱

1968年 チェコ・プラハの春


もっこ (東北地方の子守歌)

寝んねこ 
寝んねこ 
寝じゃろえ

寝んねば
山から
もっこ(注4)来らね

それでも泣けば
山さ捨ててくる
寝ろじゃヤエヤエヤエ

(注4)「もっこ」とはお化けのことだとも、蒙古のことだとも言う。
なお、この歌には下記のような別バージョンがある。
http://komoriuta.cside.com/nenneko/nekoview.cgi?mode=V&num=53
(以 上)



[63]映画「源氏物語 千年の謎」感想
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2011-12-21 06:10:50

<映画データ>鶴橋康夫監督、2011年12月公開、東宝

<私 見> ホラー仕立ての源氏物語であった。
怖い怖いオバケ女(源氏の愛人の生霊)がバンバン出て来るが、一番怖いのは、実は作者の紫式部だったという話。

古典文学の近代的再解釈(商業化?)としては、まあイイ線行ってる方だと思う。
おいしい役(悪役、コワイ役)は、六条御息所を演じた田中麗奈が独り占めしていた。

平安貴族を演じた女優陣が(役目がら、)皆フリの小さい、表情に乏しい演技に終始していた中、紫式部役の中谷美紀だけは如何にも自意識の強そうな「近代女性」と見える役作りをしていた。

そもそもこの映画は、以下のような見立てに基づいている。

「紫式部は、自分が仕える主君である藤原道長への激しい思いを胸に秘めていた。実は『源氏物語』とは、紫式部が胸の中の苦しい思いを、そのまま草紙にぶつけたものなのである。」

創作がそんな単純なものであれば誰も苦労しないと思うが、まあ俗受けしやすい設定ではある。

この設定に基づき、道長役の東山紀之、そして紫式部役の中谷美紀も、極力、感情を内に秘めたような演技をしている。この二人が前に出すぎると、話の本筋である光源氏の方が霞んでしまうからだ。
東山と中谷だけの見せ場はいくつかあるのだが、注意していないとそのまま見過ごしてしまうほど控えめなものであった。

そして、二人の抑えた演技を見ていると「紫式部・片思い説」というのは案外、事実だったんじゃなかろうかとも思えて来るから、全く大したものである。
東山紀之は、バカにできない良い役者に育った。

***************************************

『源氏物語』のキーとなっている怨霊信仰について、私の見解を述べる。

平安貴族の平均寿命は40歳程度だったという説を聞いたことがある。
つい最近までピンピンしていた人物が、ふとした病で空しくなってしまう。そういうことが頻発する日常だったと思われる。
「なんであいつは、いきなり逝ってしまったのか。」
「××の怨霊のせいじゃないのか。」
そうでも考えなければ合理的に説明できない、やりきれないような気持ちだったのではなかろうか。たかが雷がなっただけでも「怨霊だ怨霊だ」と騒がずにはいられなかったのではなかろうか。

人知を超えたものには祈るしかない。謙虚であるしかない。
これは我々現代人だとて、同じことなのではなかろうか。私はこのことを、東日本大震災と、その後も打ち続く余震の中で痛感した。停電にせよ断水にせよ、もう手の打ちようがなかったのである。

我々が祈ること、謙虚であることを忘れたシッペ返しが、福島第一原発の「想定を超えた」事故だったのではなかろうか。
もしもそうだとするなら、福島第一原発の件は決して偶然ではない。我々はもう既に、取り返しのつかない道を歩んでしまったのかもしれない。
(以 上)



[62]恐らく、ごくごく一部の興味しか引かないだろう話
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2011-12-19 08:29:40

<書誌事項> 『置文21』編集同人・編「回想の全共闘運動(副題)今語る学生叛乱の時代」彩流社、2011年、318ページ

<本書の内容> (版元のサイトより)
第1章 いかに顧みるか●視点と方法
 1、導入─大学闘争を振り返ることの意義と意味      大石和雄
 2、いま全共闘をどう扱うか?方法の問題         神津陽
 3、学生運動と社会主義の結合としての全共闘運動     大石和雄
第2章 東京教育大●筑波移転闘争の記録
 1、かつて教育大闘争があった〈16の断章〉       水沢千秋
 2、全学闘と廃校と─東京教育大65〜70年私史─     前田浩志
第3章 慶應大●68年・69年バリスト闘争の記録
 1、六八年・六九年─慶應大学バリスト闘争回想記     三森義道
第4章 日大●正義の百姓一揆の記録
 1、思想性なき正義の百姓一揆              太郎良譲二
 2、日大全共闘にとっての東大闘争共闘とは何だったのか  太郎良譲二
第5章 筆者座談会●全共闘運動を検証する
 大石和雄、佐野正晴、太郎良譲二、前田浩志、三森義道

<私  見> 本書は、中央大学、東京教育大学(現・筑波大学)、慶応大学、日本大学と、各校の「校風」、「風土」または「学生気質」の違いに踏み込んだ点が、従来の類書と比べて異色である。
学生運動にも各校それぞれのスクール・カラーが反映することは、体験的に知ってはいたが。

さて、本書によって初めて知った驚天の知見が二つあった。
今となっては、恐らくごくごく一部の興味しか引かない話だと思うが、ここにご紹介したい。

1. 東大・安田講堂の攻防戦は「アッツ島の玉砕戦」だったという話

東大・安田講堂の攻防戦は1969年1月18日から19日にかけて行われた。戦術的には学生側のボロ負けだったが、マスコミには大きく取り上げられて、以降は「学生運動の殉教・受難」のシンボルみたいになった。

証言者は日大全共闘OBの太郎良譲二氏。以下が証言である。

(引用、始め)

(藤村注;安田講堂攻防戦の際、他大学の学生は後方霍乱のため「神田カルチェラタン闘争」を仕掛けた。)

出発の際、執行部メンバーから「今日の日大全共闘の役割は、御茶ノ水防衛である」と厳命された。中央大学中庭での集会を終えてデモに入ろうとすると外は機動隊が幾重にも取り囲んでいた。一時の投石戦の後、機動隊が靖国通り方向に後退し、御茶ノ水一体(原文ママ)は解放区カルチェラタンと化した。当然、その勢いで安田講堂陥落阻止の支援に向かうと思っていたら、再度「日大全共闘は、防衛に徹しろ」と指示が来た。御茶ノ水交番前でたむろしていると、他のセクト諸君が順天堂病院方向に進撃し、機動隊と対峙している様が遠目に見えた。しばらくして、本郷まで様子を見にいった行動隊の一人が「本郷まで機動隊はいない」と言い、「東大に向かおう」と提案した。しかし、執行部メンバーからまたまた「御茶ノ水橋を渡るな」との指示。(実はこの頃、機動隊は催涙弾を使い果たしていた。日大情報局による無線傍受で情報をつかんでいた)結局、午後七時頃までぶらぶらして学部バリ(藤村注;バリケード封鎖された学部棟のこと)に戻った。

翌一・一九においても、日大全共闘は「御茶ノ水防衛」とのことで、東大本郷に向かうことはなかった。夕方に「安田講堂陥落」との情報が入り、気が抜けたように学部バリに帰った記憶がある。
当然、皆から不満の声が漏れ始めた。「なぜ東大に向かわなかったのか」

(中略)

「なぜ東大に向かわなかったのか」のなぞは、一○年ほど前から解き明かされてきた。その切っ掛けは、日大情報局担当だった学友から当時の無線傍受記録の一部を耳にしたことにある。前記のように一八日の午後には東大攻防戦で催涙弾を使い果たし、無駄に催涙弾を使うなと指示が出ていた。御茶ノ水一体(原文ママ)が解放区になっているのに機動隊が規制に来ない理由が判明した。

また、当日の学生側指揮本部は全学連各セクト幹部が仕切っており、特に日大全共闘を東大に行かせまいとした。なぜなら安田講堂は一八日の午前中には陥落させる予定で、各セクトは全国からパクラレ要員を募り籠城させていた。安田講堂は日大全共闘がバリケードを補強強化したお蔭で予想外に陥落が遅れた。機動隊との戦闘になれた日大全共闘が安田講堂の機動隊と直接対峙すれば更に陥落が遅れ、下手をすれば安田講堂のバリ撤去が中止されると考えていたのだ。味方に敵がいたのである。

何の目的で画策したのか。マスコミで大きく取り上げられることで大衆の関心を引き、七○年安保闘争勝利の布石を打ったと耳にした。この件は、旧ブント幹部や日大全共闘幹部の口から同じ内容を聞いた。知らぬは○○ばかり也。当事者日大全共闘ばかりか、少なからずいた東大全共闘のノンセクト学生が利用されただけだったのか。(前掲書、249~251ページ)

(引用、終わり)

1943年5月29日、アリューシャン列島アッツ島で、帝国陸軍守備隊2,700名が全滅した。
元々はミッドウェー作戦の陽動のため占領したので、米軍に反攻されたら一溜りもないことは分かっていた。

そして実に、このアッツ島攻防戦こそが我が「玉砕戦」の第一号であり、このため戦死者たちはマスコミを通じて軍神と称えられ、「必勝報国」(早い話が、戦争に行って死んで来いということ)のシンボルとなった。

なお、隣接するキスカ島にいた陸海軍守備隊6,000名は、霧に紛れての撤退に成功している。

安田砦に立て籠もった学生たちは神風特攻隊、またはアラモの砦のつもりだったのだろうか。彼らはその結果に満足したのか。


2.東大全共闘の実態は、セクトの寄り合い所帯だったという話

同じく、日大全共闘OB太郎良譲二氏の証言である。

(引用、始め)

数年前に山本義隆氏(藤村注;元東大全共闘議長。左翼業界では有名な人)から聞いたことがある。彼は次のようなことを言っていました。

「東大全共闘は、党派同士が共に闘うもので、対日共ということで体制を固める必要があり、それで誰か中立的なやつを議長にしようということで自分が指名された。東大全共闘というのは全共闘ではないよ。なぜって、自分は学生ではなく、助手という学校側の人間だよ、それが議長だよ」と。

それで私は、一・一八~一九決戦では各セクトが各施設に陣取っていたことへの疑問が解けたんですよ。(前掲書、281ページ)

(引用、終わり)

私が未だバカタレ学生だったころ、「60年代末頃、東大駒場キャンパスには新旧左翼・全セクトの支部が出揃っていた」と聞いて、内心羨ましく思ったものである。選択肢は多いに越したことはない、さすが東大駒場だけのことはあると。

だが、「ノンセクトが全共闘の主導権を握れず、セクトに牛耳られてしまった」という所に、私は東大生の悲しさを感じる。
頭が良過ぎる人間というのは、ナニをするにしても理屈や損得勘定が先行してしまうからだ。だから、東大駒場がセクト支部の花盛りになるのである。

なまじ頭が良いために、なまじ自分の知的能力に自信があるために、「学生運動をするんだったら、まずはセクトの言い分を聞いてみなくっちゃ」と思う。クソ真面目な人間ほどそう思う。そして、それが躓きの石になるのである。時には頭でっかちが禍して、ハムレットみたいにニッチもサッチも行かなくなるのである。

バカタレはなんにも考えずにバカなことをしでかす。だから、バカほど怖いものはないのである。まさに魯迅の小編「賢人と馬鹿と奴隷」にある通りである。

ちなみに我が母校は、隣近所の2校とセットで「ホーチミン大学」と呼ばれ、世間の顰蹙を買っていたが、利口にもバカにも徹し切れなかったのが我が母校のダメな所だと、本書を通読して思った。


それにしても、当事者たちの回想を読んで、60年代の運動シーンは未だ随分と牧歌的だったんだなと思わずにはいられなかった。

70年代以降の新左翼は、ただの人殺し、またはギャング集団と代わらないではないかと言われたら私には返すべき言葉がない。
(以 上)



[61]高橋優「少年であれ」ほか
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2011-12-17 00:15:11

<高橋優・略歴> たかはし ゆう。歌手。男性。1983年生。秋田県出身。自称「今思ったことを今歌う、リアルタイム・シンガーソングライター」。

<山本幸治氏による紹介記事>

(藤村注;富野由悠季や宮崎駿といった「大御所」から見ると、最近のクリエイターたちが小粒に見えてしまうのは致し方ないことだ、と認めた上で、)

今この時代にとっての真ん中のテーマって何だろうと考えたとき、2つの曲が頭に浮かんだ。「素晴らしき日常」(高橋優)と「3331」(ナノウfeat.初音ミク)だ。

真正面から描くというよりは自分自身を相対化しているように見えるかもしれない。でも、ダイレクトに時代を歌っていると言えるだろう。

そして、そういうスタンスが今の真ん中なのだとしたら、大御所たちにも新しい創作意欲を持ってもらえるかもしれない。

(出典)「SPA!」 Vol.60 No.42 (2011.12.13) P101、山本幸治「アニメ定量分析」Vol.45、扶桑社

<事務所宛・ファンレター>

拝啓 高橋優様
藤村甲子園と申します。「SPA!」12月13日号、山本幸治氏の連載コラム「アニメ定量分析」で、貴台のお名前を初めて知りました。

そこで、You Tubeにアップされている音源を、片っ端からチェックしてみました。久しぶりに新鮮さを感じさせる才能に出会ったと思いました。

小生のこれまでの不明を恥じます。やはり、地上波テレビの歌番組をチェックしているだけでは、本当に新しいものを見逃してしまうんだなあと痛感しました。

小生は「少年であれ」が一番好きです。歌詞と曲のバランスがよく取れていると思います。貴台の「私小説的メッセージ・ソング」系統では、この曲が一番、完成度が高いと思います。ピアノとチェロのアレンジも良いと思いました。

「誰もいない台所」、「虹と記念日」、「靴紐」も好きです。これらは、誰が聴いても「いいな」と思えるだろう、素直なラブ・ソングスですね。

「現実という名の怪物と戦う者たち」、「こどものうた」は、曲のテンポが良いので好きになりました。そうか、こんなアゲアゲの曲も作れる人なんだと思いました。

貴台は、才能に幅のある作家だと思います。これからの人だと思います。まだまだ伸びて行く余地のある人だと思います。

ここ10年ほどはリズム全盛、ダンス全盛の時代でしたが、そろそろ音楽好きの聴衆に飽きられて、これからメロディ・メーカーたちの巻き返しが始まるのでしょうか。

早速、最寄のCDショップにアルバムを注文します。貴台の今後益々のご清栄をお祈りします。 敬具

<アルバム「リアルタイム・シンガーソングライター」感想>

藤村です。
アルバム聴いて思いました。
これはなんと、性急で生硬な「異議申し立て」系メッセージ・ソングの連発ではないか。まるで40数年前の全共闘のアジ演説みたいだ。
でも、それこそが高橋優の楽曲の魅力ナンデス。

高橋は現在27歳。こういった青臭さが許されるギリギリの年齢だと思います。
もしもの話、48歳の小生が、これと似たようなメッセージ・ソングをこしらえて人前でシャウトしようものなら、良くて「さんまのSUPERからくりTV」の「サラリーマン替え歌選手権」、ヘタすりゃただの「頭のおかしいデブ男」扱いです。

性急で生硬。これは決して短所ではありません。実にこれこそが青年の特権なのであります。
ああ、「青年」なんて言葉、久しぶりに使うなあ。

天は高橋優に、イケてる歌詞とイケてるメロディの「二物」を与えました。
でも惜しいかな、美声は与えませんでした。ダミ声ナンデス。
声の良し悪しも、もちろんサウンドの一部です。スーザン・ボイルみたいなタダのオバハンでも「天使の歌声」ひとつで成り上がったのに、実に実に残念なことです。

ルックスの方は、まあ、スガシカオ程度にはイケてると思うンデスが。

「負けるな、少年よ。」©高橋優

(以 上)



[60]突破マンガ「くすりポン吉」
投稿者:藤村 甲子園
投稿日:2011-12-12 04:30:36

<書誌事項> 伊東あきを・作「長篇マンガ くすりポン吉」1949年発行

<伊東あきを・略歴> 不明。「狼少年ケン」等の作者、伊東章夫と同一人物か否かも不明。

<情報源> 「SPA!」 Vol.60 No.42 (2011.12.13) P103、岩井道「マンガ極道」其の一四三、扶桑社

<岩井道・略歴> いわい みち。まんだらけ中野店副店長として多忙な日々を送る。まんだらけのサイト( http://www.mandarake.co.jp )にて、コラム「岩井の本棚」を連載中。独自の視点で注目マンガを紹介する。(上記SPA!による)

<私 見> 「くすりポン吉」は異色の時代劇マンガ、またはナンセンス・ギャグ・マンガである。
主人公はヒロポン中毒と思われる少年剣士。そのストーリーたるや、下記の如きである。

(1)主人公は、襲撃してきた強盗に「クスリ」をかけて無力化する。強盗はこの「まぼろし薬」によって幻覚症状を発し、そのまま昏倒してしまう。

(2)催眠強盗に遭って眠り込んでいる町の人たちを、主人公は覚醒剤で一人残らず起こしてあげる、

と言った、「喜劇新思想体系」(1972~4)時代の山上たつひこでもやらなかったような外道マンガなのである。

念のためにお断りしておくと、「喜劇新思想体系」は青年劇画である。対するに「くすりポン吉」は、どこからどう見ても子供向けのオモチャ漫画である。「あんみつ姫」や「轟先生」と同時期のマンガなのだ。

本作が刊行された1949年当時、ヒロポンは未だ合法ドラッグだったとは言え、余りにもアブナい内容を余りにもアッケラカンと描いているので、上記・紹介記事を読んで、小生はおかしくて大笑いしてしまった。この作者、気は確かか。

この時代、児童マンガに注がれる世間の目は殊の外キツかったと聞く。当時のわが国は、教養主義・善導主義の全盛時代だったのである。あの手塚治虫ですら、何度も不買運動の槍玉に挙げられているのである。

しかるに「くすりポン吉」たるや、「荒唐無稽」、「俗悪」、「子供の教育に良くない」どころの話ではない。ただひたすらアブナいのである。
しかもその絵柄が決してデンパ系ではなく、杉浦茂ばりのホノボノ系という所が何とも味わい深い。

本当は「SPA!」誌上の岩井道の図版入り記事をご紹介したいところなのである。是非とも最寄のコンビニでチェックしていただきたい。

小生が子供だった1970年代初頭は、価値紊乱・秩序破壊を意図したかのようなアナーキーなマンガが大挙して出現した時期であった。山上たつひこ「喜劇新思想体系」を横綱格として、小生は下記のような作品群を直ちに思い出す。

手塚治虫「やけっぱちのマリア」(1970)
ちばてつや「餓鬼」(1970)
谷岡ヤスジ「メッタメタ ガキ道講座」(1970~1)
赤塚不二夫「レッツラゴン」(1971~4)
石森章太郎「劇画 家畜人ヤプー」(1971)
永井豪「オモライくん」(1972)
ジョージ秋山「ゴミムシくん」(1972~3)

ところがどっこい「くすりポン吉」を前にすると、上記の傑作群が「学研の学習マンガ」みたいな、クソまじめだけが取り柄の退屈なマンガと思えてくる。

アナーキストと言うのは、実は意外と謹厳実直なカタブツが多いものである。「最初からオカシナ奴」の破壊力には、到底敵わないのだ。

「くすりポン吉」は珍本には違いないが、内容が内容だけに復刊は金輪際ないだろう。なお、本書はマンガ専門古書店「まんだらけ」に、現在1万2千円で出品されているとのことである。

「ならば、このオレが」と、ほんの一瞬だけ魔が差してしまったが、すぐに思い直した。
こんなものに1万2千円を払う余裕があるなら、それをそっくり共同募金でもした方がはるかに意味があるだろう。
(以 上)






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